
現代の日本では「大麻」という言葉に敏感な反応が伴い、麻薬としての側面ばかりが注目されがちである。しかし、神道の世界における「大麻(おおあさ)」は、まったく異なる歴史と意味を持つ。大幣や神宮大麻など、神事において欠かせない清浄の象徴として尊ばれてきた麻は、日本古来の自然信仰と深く結びついた神聖な素材であった。この記事では、大麻比古神社をはじめとする「大麻」の名を冠した神社や、神道儀式における麻の役割、そして現代の法制度によって失われつつある伝統の継承について、神道の視点から考察していく。
日本古来の神事で重要だった「大麻(おおあさ)」
日本古来の神事において、「大麻(おおあさ)」は神聖な植物として特別な意味を持ってきた。現代の日本では「大麻」という言葉に対して麻薬としてのイメージが先行しているが、神道における「大麻」はまったく異なる性質のものであり、歴史的にも文化的にも切り離して考える必要がある。
神道において用いられてきた「大麻」は、アサ科の植物である「大麻草」の繊維部分を乾燥させたもので、これを「麻苧(あさお)」と呼ぶ。神職が儀式の際に使用する祓具である「大幣(おおぬさ)」や「麻苧幣(おぬさへい)」には、この麻の繊維が使用され、穢れを祓う神聖な力を持つものとして信仰されてきた。神道の基本思想である「清浄」を象徴する素材として、麻は重要な役割を果たしていた。
また、伊勢神宮などで頒布される「神宮大麻(じんぐうたいま)」は、各家庭の神棚に祀るお札であり、その名称に「大麻」の字が用いられている。これは、神宮で祈祷された御神徳を広く分かち、家庭に清浄な空気をもたらすための神符である。「大麻」はここでは「大いなる麻」の意味を持ち、霊的な清浄と祝福の象徴となっている。
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「大麻」という名を冠した神社も存在
さらに、日本各地には「大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ)」(徳島県)や「大麻神社」(北海道など)のように、「大麻」という名を冠した神社も存在する。これらの神社は、麻の神を祀るとともに、古代よりその土地で大麻草の栽培が行われていた歴史を伝えている。大麻比古神社に祀られている大麻比古大神は、忌部氏の祖神とされ、古代において麻の栽培と神事への供納を司ったと伝えられている。
しかし現代の日本では、戦後に制定された大麻取締法によって大麻草の栽培や所持が厳しく制限されており、たとえ繊維目的であっても一般的には利用が難しくなっている。このことは、神道における神事の継承においても少なからぬ影響を及ぼしている。特に国産の麻苧の入手が困難になったことで、神具に用いられる麻を外国産の代用品で補わざるを得ない現状がある。これにより、古来の「日本産の麻による清浄」を尊ぶ精神が希薄になりつつあるとの懸念も、神職の間からは聞かれるようになった。
神社本庁や神道関係者の多くは、「大麻草を神聖視する」というよりも、「大麻(麻)」という植物の性質と、その神道的象徴性を重要視している。現代社会においては、麻薬としての「大麻」と神事に用いられる「麻」を正しく区別し、神事の伝統と文化的な継承を守るための理解と議論が求められている。
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伝統的な麻の栽培、そして文化を守る
伝統的な麻の栽培を行っている地域や、神社に奉納するための麻を栽培している農家は今も存在しており、そうした人々の努力によって、かろうじて神道の精神的文化財が守られているともいえる。たとえば栃木県鹿沼市や群馬県の一部地域では、麻の伝統的な栽培技術が継承されており、神社向けの特別な麻苧の供給が続けられている。
大麻は神道において、決して「取り締まるべきもの」ではなく、「祓い清めの象徴」として、また日本の自然観と農耕文化に根差した尊い存在である。現在の法制度と伝統文化との間に横たわるこの齟齬に対し、より深い理解と対話を通じた調和が今後求められるだろう。