
「絶対王政」という言葉は、フランス革命やルイ14世のイメージと結びついて語られることが多い制度です。しかし、実際には特定の一国だけに存在したものではなく、近世ヨーロッパ各地で見られた統治のあり方を総称する概念です。本記事では、絶対王政とは何かを基本から説明したうえで、いつ、どの国で成立したのかを年代と具体例を交えながら解説します。
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絶対王政とは何か
絶対王政とは、国王が強大な権力を集中して行使し、政治・軍事・司法・財政を事実上一手に掌握する統治形態を指します。重要なのは、「王が好き勝手に振る舞った政治」という意味ではなく、中世的な封建分権体制を抑え込み、国家としての統一的支配を実現した体制である点です。
王権は「神から授けられたもの」と説明されることが多く、これを王権神授説と呼びます。この思想は、王の権威を正当化し、貴族や教会、都市勢力を統制する理論的基盤となりました。
日本に絶対王政はあったのか
日本にヨーロッパ型の絶対王政は存在しませんでした。
絶対王政とは、国王が官僚制・常備軍・財政を直接掌握し、封建貴族を抑えて国家を一元的に統治する体制を指します。これに対し日本では、天皇という最高権威は古代から存在していましたが、政治権力の実態は時代ごとに貴族、武士、将軍、大名へと分散していました。
たとえば律令国家期の天皇は、制度上は強い権限を持っていましたが、摂関政治や院政によって実権は制限されました。中世以降は、鎌倉・室町・江戸と武士政権が成立し、将軍が統治の中心となりますが、将軍も有力大名や幕藩体制の制約を受け、絶対的権力者ではありませんでした。
江戸時代の幕府は中央集権的要素を備えていましたが、藩の自治を認める封建的構造を残しており、官僚国家として王権が一元支配する絶対王政とは性格を異にします。
このため日本史では、「絶対王政に相当する体制は存在しなかった」と説明されるのが一般的です。
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絶対王政が成立した時代背景
絶対王政が成立した背景には、中世後期から近世初頭にかけての大きな社会変化があります。封建領主が分立する社会では、戦争や徴税が非効率で、国全体を統一的に運営することが困難でした。
そこで国王は、常備軍や官僚制度を整え、税を直接徴収する仕組みを築いていきます。貨幣経済の発展と商工業者の台頭も、王権強化を後押ししました。王は新興の都市市民層と結びつき、伝統的な貴族勢力を抑える役割を果たしたのです。
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フランスの絶対王政
絶対王政の典型例として最もよく知られているのが、17世紀のフランスです。とくにルイ14世の治世は、その完成形とされます。
ルイ14世は1643年に即位し、1661年に親政を開始しました。彼はヴェルサイユ宮殿に貴族を集め、宮廷生活に縛りつけることで地方支配力を削ぎ、官僚を通じて国家を統治しました。「朕は国家なり」という言葉に象徴されるように、王権の集中が強く意識された時代です。
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イギリスにおける王権強化と限界
イギリスでも16〜17世紀に王権の強化が進みました。チューダー朝のもとで中央集権化は進みましたが、議会の伝統が強く残っていた点がフランスと大きく異なります。
17世紀には王権と議会が対立し、清教徒革命や名誉革命を経て、王権は制限されました。そのため、イギリスは「絶対王政に向かいかけたが、立憲君主制へ移行した国」として位置づけられます。
その他の国での絶対王政の例
絶対王政はフランス以外にも、近世ヨーロッパ各地で見られました。以下の表は、代表的な国と時期を整理したものです。
| 国名 | 主な時期 | 背景と特徴 |
|---|---|---|
| フランス | 17〜18世紀 | 官僚制と常備軍を基盤とした典型的絶対王政 |
| スペイン | 16〜17世紀 | 新大陸からの富を背景に王権が強化 |
| プロイセン | 17〜18世紀 | 軍事国家としての官僚的絶対王政 |
| ロシア | 18世紀 | 皇帝権力の集中と西欧化政策 |
これらの国々では、王が国家の中心となり、近代国家への基盤が築かれました。
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絶対王政と封建制度の違い
封建制度では、土地を媒介とした主従関係が社会の基盤でした。一方、絶対王政では、土地ではなく国家と王に直接結びつく官僚・軍隊・税制が支配の柱となります。
この点で絶対王政は、中世的封建社会から近代国家へ移行する過程に位置づけられる制度だといえます。
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専制政治・独裁との違い
絶対王政・専制政治・独裁は混同されやすい言葉ですが、歴史学では性格の異なる統治形態として区別されます。
絶対王政とは、近世ヨーロッパで成立した王政の一形態で、国王が官僚制・常備軍・税制を掌握し、封建貴族の権限を抑えて国家を統合した体制です。王権は強大でしたが、慣習法や身分制、宗教、財政といった現実的制約の中で行使されており、無制限の権力ではありませんでした。
専制政治は、統治者が法や慣習を超えて恣意的に権力を行使する体制を指す、性格を表す概念です。特定の時代や制度に限定されず、古代から近代まで幅広く用いられます。絶対王政が制度としての枠組みを持つのに対し、専制政治は統治のあり方そのものを評価する言葉といえます。
独裁は、個人や少数者が政治権力を独占し、反対勢力や権力分立を排除する体制です。近代以降の軍事政権や一党独裁などが典型で、王政に限らず共和制国家でも成立します。
つまり、絶対王政は歴史的制度、専制政治は支配の性質、独裁は権力集中の形態という違いがあり、三者は重なる部分を持ちながらも同一ではありません。
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絶対王政は「絶対」だったのか
歴史学では、絶対王政が実際に「無制限の権力」を持っていたかについて慎重な見方が取られています。王は法律、慣習、財政、地方社会の抵抗など、さまざまな制約の中で統治していました。
そのため、絶対王政とは「権力が集中した体制」であって、「何の制限もない独裁」と同一視するのは適切ではありません。
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絶対王政の終焉とその意味
18世紀後半になると、啓蒙思想の広がりと市民革命によって、絶対王政は次第に否定されていきます。フランス革命は、その象徴的な出来事です。
しかし、絶対王政が築いた官僚制や国家統治の枠組みは、現代の国家にも引き継がれています。絶対王政は、単なる旧体制ではなく、近代国家成立の重要な一段階として理解されるべき存在なのです。






