火焔型土器とは?新潟の国宝に隠された縄文の謎、火焔土器との違い

新潟県から出土した国宝、火焔型土器は、縄文時代の謎を今に伝える歴史的遺物です。この独特な形状の土器は、縄文時代中期に作られ、その名の通り燃え上がる炎を模しています。本記事では、火焔土器と火焔型土器の違いを探りながら、これらがどのように使用され、どの意味を持っていたのか、その謎に迫ります。また、十日町市博物館や新潟県立歴史博物館で展示されているこれらの土器を通じて、縄文人の生活や文化に光を当てます。

国宝 火焔型土器とは

火焔型土器(かえんがたどき)は、縄文時代中期に新潟県の信濃川流域で多く発見された土器です。その特徴は、縁の部分に突起があり、燃え上がる炎を模したようなデザインが特徴です。十日町市に所在する笹山遺跡から出土した土器や石器が、1999(平成11)年6月に「新潟県笹山遺跡出土深鉢形土器」として国宝に指定されました。縄文文化の象徴的な存在とされています。

国宝 火焔型土器とは

 

火焔土器と火焔型土器の違い

「火焔土器」とは特定の遺跡で発見された個々の土器を指す名称であり、「火焔型土器」とは、その形状を持つ一連の土器群を指します。火焔型土器は、同じスタイルの土器が多く発見されるようになり、その中でも特に装飾が施されたものが火焔土器と呼ばれることが一般的です。

火焔土器は縄文時代に何のために作られた?

火焔土器は、その装飾の豊かさから当初は祭祀用とも考えられていましたが、使用痕跡から見ると調理用の鍋として使われたことが示唆されています。縄文人はこの土器を使用して食物を調理し、生活の中で重要な役割を果たしていたと考えられます。

現代人の感覚からすれば、この火焔土器のようなデザイン性を考えると、芸術作品か儀式に使うものと考えてしまいますが、火焔土器や火焔型土器を調査していくと、脂や吹きこぼれた跡、焦げた跡などが見られ、シャーマンなどが使っていたというよりも日常生活の中で料理や調理に使用するために作られて実際に日常で使われていたと考えられることが有力となってきました。

人間は効率化を進める中でシンプルな鍋やフライパンを使うようになってしまいましたが、縄文時代の人々は調理器具にもデザインや芸術、自然との調和、食することへの神々への感謝など、深い想いや感性を持っていたことと感じられます。

火焔土器の作り方

火焔土器の製作技術は、同時代の他の土器と共通していますが、特に装飾の部分では地域ごとの特色が表れています。これら土器は、手作業で精巧に作られ、特に突起部分はその地域特有のスタイルを反映していたとされます。

火焔土器の用途や使い方の謎

火焔土器は主に調理用途に使用されたとされていますが、その装飾性の高さから、一部では儀式用としても用いられた可能性があります。縄文時代の生活を完全に想起することはできませんが、食事という行為だけでも、現代のようにただ食べるほかに、儀式的・自然に感謝するような特別な料理などの祭祀で使用していたのではないかなど、謎と同時に縄文人の生活へのロマンが広がります。実際の使用痕跡からは、日常生活で広く使用されていたことが推測されますが、現代人よりもはるかに豊かな感性やものづくりへの関心をもって、食や日常生活にも溶け込んでいたことが想像されます。

十日町市博物館・火焔土器ミュージアム・新潟県立歴史博物館で見学できる

火焔土器は、十日町市博物館や新潟県立歴史博物館でレプリカを見ることができます。

本物の国宝・火焔型土器(新潟県笹山遺跡出土深鉢形土器)は、十日町市博物館に展示されています。

詳細は「十日町市博物館」をご確認ください。

これらの博物館では火焔土器をはじめとする縄文時代の様々な遺物が展示されており、縄文文化の理解を深めることができます。特に、馬高縄文館火焔土器ミュージアムでは、火焔土器の発掘地として知られる馬高遺跡に関連する資料が豊富に紹介されています。