
私たちが当たり前のように持っている戸籍制度。その起源は、今からおよそ1300年以上前、飛鳥時代にまでさかのぼります。
日本最初の全国的な戸籍とされるのが、庚午年籍(こうごねんじゃく)と庚寅年籍(こういんねんじゃく)です。
これらは単なる人口調査ではありませんでした。
国家が人々を把握し、税を課し、兵を動員するための「国家運営の基盤」であり、日本が本格的な国家へと変わる過程を象徴する制度でもあります。本記事では、白村江の戦い後という時代背景を踏まえながら、日本最初の戸籍制度が何を目的に作られ、どのような意味を持っていたのかを解説します。
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戸籍制度が必要とされた飛鳥時代の背景
7世紀の日本列島は、豪族ごとの支配が色濃く残る社会でした。人々は「国家」よりも氏族や土地との結びつきの中で生きており、中央政府が全国の人口を正確に把握する仕組みは存在していませんでした。
しかし、663年の白村江の戦いで唐・新羅の連合軍に大敗したことにより、情勢は一変します。唐という巨大帝国の軍事力を目の当たりにし、列島全体を一体として守る必要性が痛感されました。
人を把握できなければ、兵も税も集められない。こうした危機意識のもとで、国家が人を直接管理する制度づくりが急速に進められていきます。
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庚午年籍とは何か
庚午年籍(こうごねんじゃく)は、670年に作成されたとされる、日本最初の本格的な戸籍です。
『日本書紀』には「庚午年に戸籍を造る」との記述があり、全国規模で人々を登録しようとした国家的事業であったことがうかがえます。
この戸籍の最大の特徴は、人々を氏族単位ではなく、「国家が直接把握する対象」として登録しようとした点にあります。氏や身分、年齢などを整理することで、課税や労役、軍事動員を可能にする基盤が整えられました。
庚午年籍が作られた時代は、天智天皇の治世末期にあたります。近江大津宮を拠点に、中央集権化を進めていた天智政権の方向性を象徴する制度といえるでしょう。
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庚寅年籍の成立と意義
庚寅年籍(こういんねんじゃく)は、690年に作成された戸籍です。
庚午年籍から20年後にあたりますが、この間に日本は大きな変化を経験しています。壬申の乱を経て、天武天皇が即位し、国家体制の再編が一気に進みました。
庚寅年籍は、庚午年籍を基礎としながらも、より体系的で継続的な戸籍運用を目指したものと考えられています。
天武政権は、律令国家の完成を見据え、戸籍を単発の事業ではなく、一定周期で更新される制度へと位置づけていきました。
この流れは、後の大宝律令・養老律令へとつながっていきます。
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庚午年籍と庚寅年籍の違い
両者の違いを整理すると、次のような特徴が見えてきます。
| 項目 | 庚午年籍 | 庚寅年籍 |
|---|---|---|
| 作成年 | 670年 | 690年 |
| 主な時代 | 天智天皇期 | 天武天皇期 |
| 性格 | 初の全国的戸籍 | 律令制を見据えた整理 |
| 位置づけ | 試行的・基礎的 | 制度化への発展段階 |
史料が乏しいため、詳細な記載内容までは分かっていませんが、「国家が人を管理する」という発想が継続・深化していったことは確かです。
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戸籍がもたらした社会の変化
戸籍制度の成立は、人々の生活にも大きな影響を与えました。
国家に登録されるということは、同時に租・庸・調といった税負担や、労役・兵役の義務を負うことを意味します。
一方で、勝手に移動したり、豪族に隠されたりする存在ではなく、「国家に守られる民」という意識も芽生えていきました。
また、戸籍は土地制度とも密接に結びつきます。班田収授法に代表される土地分配の前提として、誰がどこに住み、何人いるのかを把握する必要があったからです。
戸籍は、国家と民を結びつける最も重要な接点となっていきました。
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神道・民俗の視点から見る戸籍制度
神道や民俗学の観点から見ると、戸籍制度は単なる行政制度ではありません。
人が「氏」や「血縁」から切り離され、「国の民」として再定義されていく過程は、祭祀や祖先観にも影響を及ぼしました。
天皇を中心とする国家祭祀が整備されていく背景には、「誰がこの国の民なのか」を明確にする必要があったとも考えられます。戸籍は、見えない精神構造の変化を支える制度でもあったのです。
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庚午年籍・庚寅年籍が示す日本国家の原点
庚午年籍と庚寅年籍は、日本が初めて「人を基礎にした国家」へと踏み出した証です。
白村江の戦いという外圧をきっかけに、天智・天武両政権が選んだのは、武力だけでなく、制度によって国を守る道でした。
戸籍を作ることは、民を縛ることでもあり、同時に国家が民を引き受けることでもあります。現代でも日本の戸籍制度は非常に優れていると評価されており、日本人の先祖代々の血筋や家系、どんな土地に住んでいたのかなどが明確にわかるようになっています。これは日本の歴史だけでなく、日本人個人の歴史をたどり、先祖を知ることにも大変役立ちます。
もちろん国家に登録されるということは、国が国民を守るだけでなく、戸籍を通じて人々をある意味縛るものではあります。外国人や左翼的な考え方の人たちからは、この日本で歴史の長い戸籍という仕組みをなくして、日本のつながりを分断しようという動きも見られます。
663年の白村江の戦いで、外国の強大さを思い知ったことで、日本でしっかり団結しなければと作り上げてきた、日本の国家形成の本質を今に伝えている戸籍は、そう簡単に手放すべきではない制度ではないでしょうか。




