日本での「花火」の歴史と意味

夏の夜空を彩る風物詩、花火。現代では娯楽として親しまれている花火ですが、その起源や意味をたどると、意外にも深い歴史と文化的背景が見えてきます。本記事では、花火の発祥や日本における花火の始まり、花火師の歴史、花火の祭礼との関わり、「たまや」と叫ぶ由来、そして俳句に詠まれた花火の情景まで、日本の花火文化について詳しくご紹介します。

花火の発祥はどこか

花火の起源は中国にあります。紀元前の中国では、竹を火にくべて破裂させることで邪気を払う風習があり、これが「爆竹」の始まりとされています。その後、唐の時代には火薬の技術が発展し、火薬を用いた火花を放つ仕掛けが作られるようになりました。これが現代の花火の原型となります。

この火薬の技術は13世紀頃にイスラム世界、ヨーロッパ、そして日本へと伝わっていきます。特に、火薬を用いた視覚的な演出としての花火は、戦いの道具としてだけでなく、人々を驚かせ、魅了する存在として各地で発展していきました。

日本で花火を打ち上げた最初の場所

日本で初めて花火が打ち上げられたとされるのは、徳川家康が晩年を過ごした駿府城(現在の静岡県静岡市)と伝えられています。慶長年間(1600年代初頭)、家康のもとにイギリス人の商人ウィリアム・アダムス(三浦按針)が火薬を使った花火を持ち込み、これを家康が見物したという記録があります。

しかし、日本における花火の大衆的な始まりといえば、1733年に隅田川で行われた水神祭が有名です。この年、大飢饉や疫病で多くの人々が命を落としたことから、慰霊と悪疫退散を願って将軍・徳川吉宗の命により、川開きの式典とともに花火が打ち上げられました。この行事が、現在の「隅田川花火大会」の起源とされています。

花火師と祭りの歴史

花火はやがて、専門的な技術を持った「花火師」と呼ばれる職人たちによって製作・打ち上げされるようになります。江戸時代には、花火を製作する職人集団がいくつか生まれ、その中でも「玉屋」と「鍵屋」が特に有名でした。

この二大流派の競演は江戸の人々にとって一大娯楽であり、花火が夜空に打ち上がると観客は「たまやー」「かぎやー」と声を上げ、贔屓の花火師を応援しました。これが花火大会の文化として定着し、やがて全国各地に広がっていきました。

花火は単なる娯楽ではなく、盆踊りや地蔵盆など、各地の夏祭りにおいて先祖の霊を慰める意味でも取り入れられ、地域ごとに様々な形で発展していきました。

昔は花火は何のために行っていたのか

現代では夏の風物詩として親しまれている花火ですが、もともとは慰霊や厄除けの意味を込めて打ち上げられていました。前述の通り、隅田川の川開きにおける花火は、疫病で亡くなった人々への慰霊と悪霊退散を願ったものであり、花火は神仏への祈りの一環として位置づけられていたのです。

また、江戸時代の花火には音が大きく、煙が立ち込めるような「音物花火」が多く、これも邪気を追い払う効果があると信じられていました。火薬の炸裂音には魔を祓う力があるとされていたため、花火は霊的な意味を持っていたのです。

花火の時に「たまや」と叫ぶのはなぜか

花火の掛け声として有名な「たまやー!」という言葉は、江戸時代の人気花火師「玉屋市兵衛」に由来します。玉屋は当時、鍵屋と並ぶ花火職人として人気を博しており、町民たちは花火が打ち上がるたびにその出来を称える意味で「たまやー!」「かぎやー!」と叫びました。

この掛け声の意味を現代の人はあまり知らないと思いますが、単なる応援というより、花火師の技術を称賛する文化でもありました。「たまやー」という言葉は、現在でも花火大会で叫ばれることが多く、日本人の花火文化に深く根付いています。

花火のことを詠んだ有名な俳句

日本の文学にも花火はたびたび登場し、俳句という形式で夏の情景を詠んだ作品が多く残されています。その中でも特に有名なのが、松尾芭蕉の弟子・加賀千代女が詠んだ一句です。

花火せよ 闇を驚け 夕涼み
(作者:夏目漱石)

この句は、花火の炸裂音が夜の静寂を破り、人々の感情を揺さぶる様子を詠んでいます。花火は一瞬の美しさでありながら、その強烈な音と光が人の心に印象を残し、夏の記憶として刻まれることを象徴しています。

また、江戸時代の俳人たちも花火を「はなび」「火の花」などと呼び、はかなさや夏の情緒を詠み込む題材として愛好していました。

おわりに

日本の花火は、ただの娯楽としてだけでなく、祈りや慰霊の意味を込めた文化的な営みとして受け継がれてきました。花火師たちの技と美意識、そしてそれを楽しみ、敬う人々の心が重なり合って、日本ならではの花火文化が形成されてきたのです。

夜空を彩る一瞬の光に、私たちは先人の祈りや感性を見出すことができるのかもしれません。今後も、日本の花火はその伝統を守りつつ、現代の技術とともに進化し続けることでしょう。