国譲り神話のあらすじをわかりやすく解説、関連する神様や神社も

国譲り神話は、日本の古代神話『古事記』に記されている、出雲の神・大国主神が天照大御神を中心とする高天原の神々に国を譲るまでの過程を描いた物語です。豊かな葦原中国を築いた大国主神に対して、天照大御神は天孫のために国を譲るよう求めます。派遣された神々の失敗、最後の交渉者として登場する建御雷神の説得、国譲りの条件として出雲大社が建立されるまでの物語は、日本全土の統治がどのように確立されたのかを示しています。この国譲り神話は、各地にある大きな神社にも名残があり、この国譲り神話を知ることで神社を参拝する時にも、祀られている神様がどんな神様だったのか分かり、日本の歴史をより感じられることと思います。

出雲の国譲り神話とは

国譲り神話は、『古事記』に記された物語で、出雲の神・大国主神(おおくにぬしのかみ)が、天照大御神(あまてらすおおみかみ)をはじめとする高天原(たかまがはら)の神々に国を譲る過程を描いています。大国主神は、出雲で葦原中国(あしはらのなかつくに)という豊かな国を築いていましたが、天照大御神ら高天原の神々は、その国を天孫に統治させるため、国譲りを進めようとしました。大国主神が築いてきた地上世界である「葦原中国」はとても豊かで、大国主命もとてもよい人柄だったこともあり、いろいろな高天原の神が国を譲ってほしいと交渉に来ても、大国主神と仲良くなってしまい、国を譲ってもらう話が進まないというエピソードです。

天孫とは

天孫とは高天原の神の子孫という意味です。大国主神もスサノオノミコトの子孫であるので神ですが、天照大御神を中心とした高天原グループとしては天照大御神の認めた直系の神々を天孫と呼びます。初めて高天原の神が地上に降り立ったことを天孫降臨といいますが、この時に降り立ったニニギノミコトは天照大御神の孫と言われています。

最初の説得 アメノホヒ

最初に派遣されたのはアメノホヒです。彼は大国主神を説得するために送られましたが、到着すると大国主神に媚びへつらい、そのまま従うようになってしまいました。結局、3年間高天原に戻らず、報告もしないまま失敗に終わります。

アメノワカヒコの派遣

高天原の神々は、アメノワカヒコを派遣し、大国主神に国譲りを説得させようとします。しかし、アメノワカヒコは大国主神の娘・シタテル姫と結婚し、葦原中国を自らの支配下にしようと考えます。彼は8年もの間、高天原に報告せず、大国主神と結託して国を統治しようとしました。

ナキメの偵察派遣とアメノワカヒコの最期

アメノワカヒコは国譲りの説得役として葦原中国へ派遣されましたが、大国主神の娘シタテル姫と結婚し、この国を自分のものにしようと考えます。高天原に報告を怠り、裏切っていたため、偵察のためナキメという鳥が派遣されました。しかし、アメノワカヒコはこれに気づき、ナキメを弓で射殺してしまいます。その矢は高天原へ戻り、矢に付着した血からナキメが射殺されたことが明らかになります。

この血が付いた矢を見た高天原の神々は、アメノワカヒコが裏切っているのではないかと疑い、その矢を送り返すことで真実を試すことにします。アメノワカヒコが善良な神であるならば矢は彼に害を及ぼさず、もし悪しき者であれば、その矢が彼自身に当たって死ぬであろうと定めました。こうして矢が葦原中国へ送り返され、寝ていたアメノワカヒコの胸に直撃し、彼は命を落とすこととなりました。

建御雷神と経津主神の二柱を派遣し国譲りを迫る

高天原の神々は最終的な手段として、経津主神(ふつぬしのかみ)を4番目の使者として任命し、そこに最強武神と言われていたタケミカヅチも名乗りを上げました。これにより、二柱とともに、先導役の久那斗神(くなどのかみ)、天乃鳥船神(アメノトリフネノカミ)とともに派遣することに決めました。

建御雷神は剣を逆さに立て、その上にあぐらをかくという威圧的な登場で大国主神に国譲りを迫ります。大国主神は、まず息子の事代主神(ことしろぬしのかみ)に意見を尋ねることにしました。

事代主神と建御名方神

大国主の息子である事代主神は、建御雷神の説得に応じ、父に国譲りを提案します。しかし、大国主のもう一人の息子・建御名方神(たけみなかたのかみ)は反発し、建御雷神に挑んで力比べを行いますが敗北し、信濃の国(現在の長野県諏訪)まで逃亡します。建御雷神に追い詰められた建御名方神は、諏訪湖で命乞いし、服従することを誓います。

大国主神の条件と出雲大社の建立

大国主神は国譲りの条件として、自らが祀られる立派な神社を作るように求めます。天照大御神はこれを認め、出雲大社が建立されました。大国主神は「立派な宮殿で自分を祀ってもらえるなら、国を譲る」とし、その条件の下で葦原中国を天照大御神に譲りました。

国譲りのまとめ

こうして国譲り神話は、天照大御神が日本全土の統治権を得る過程を象徴的に描いています。大国主神が国譲りを決断するまでの背景には、事代主神と建御名方神の対応や、建御雷神・経津主神の威圧的な説得が重要な役割を果たしました。結果として、葦原中国は高天原の神々へと譲られ、日本の統治が確立されたのです。

国譲りという重大な出来事に貢献した神様は「神宮」で祀られている

国譲りの神話で活躍した神様は、現代に続く、天照大御神を中心とした日本の精神的な礎を築いたとして神社の中でも位の高い「神宮」に祀られています。

建御雷神を祀る「鹿島神宮」

国譲り神話の中で圧倒的な強さを見せつけた建御雷神は、茨城県の鹿島神宮に祀られています。

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経津主神を祀る「香取神宮」

国譲り神話の中で建御雷神とともに武神として説得に携わった経津主神は、千葉県の香取神宮に祀られています。

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神話に直接は記述されていませんが、建御雷神と経津主神は、地上に災いをもたらす大鯰(おおなまず)を2人で協力して押さえつけて封印したといわれており、鹿島神宮と香取神宮にはそれぞれ頭と尻尾を押さえつけているという「要石」があります。

国を譲った大国主神たちは「大社(おおやしろ・たいしゃ)」で祀られている

大国主神を祀る「出雲大社」

国譲り神話の中で大国主神は国を譲る代わりに出雲に大きな社を建てて祀ってほしいということを条件に国を譲り、今でも信仰の強い出雲の大社ができました。海外の場合には宗教や特定の人種を侵略する場合には完全に根絶やしにするような迫害の形になりがちですが、日本では大国主神の築いた出雲に残るいわば教えや宗教は残されました。

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建御名方神・事代主を祀る「諏訪大社」

国譲り神話の中で大国主神の息子として登場した建御名方神・事代主は、建御雷神と経津主神から逃げて長野県の諏訪にきました。現代人の感覚からしても、地上で大国主とともに一生懸命に豊かな葦原中国を築いた中で、急に天照大御神が天孫のために国を譲るよう求められ気の毒ですが、お諏訪様として現代も大切にされています。