武甕槌神(タケミカヅチ) 国譲りの最強武神

日本神話における最強の武神である武甕槌神(タケミカヅチ)は、天照大御神と大国主との「国譲り」の物語において重要な役割を果たしました。ここでは、彼の背景や役割について詳しく見ていきましょう。

武甕槌神(たけみかずちのかみ)とは?

武甕槌神(たけみかずちのかみ)は、火の神カグツチが、イザナミを焼死させたため、怒りに燃えたイザナギがカグツチを剣で斬った際に生まれた神々の一柱です。彼はその強大な武力で知られていますが、単なる力に頼らず、正義と忠義に基づいた行動で人々に敬意を抱かせました。

国譲りの交渉

最初の交渉の失敗

天照大御神は、葦原の中津国を平和に治めるため、大国主に国を譲るように使者を送りましたが、彼の人間性により交渉は難航しました。アメノオシホミミ、アメノホヒ、アヒコの3柱を派遣しましたが、うまくいきませんでした。

タケミカヅチの登場

天照大御神は、経津主神(ふつぬしのかみ)を4番目の使者として任命し、そこに最強武神と言われていたタケミカヅチも名乗りを上げました。これにより、二柱とともに、先導役の久那斗神(くなどのかみ)、天乃鳥船神(アメノトリフネノカミ)とともに派遣することに決めました。タケミカヅチは、剣である戸塚の剣を逆さまに立て、その上にあぐらをかいて座り、大国主に尋ねました。「高天原天照大御神と高皇産霊から命令を伝えるために参りました。あなたの支配するこの葦原の中津国は、私たち天照大御神の国です。どうお考えでしょうか?」

大国主の応答と子供たちの対応

大国主は自分では答えず、まず息子である事代主(ことしろぬし)が決定すべきだとしました。事代主はすでに釣りに出ていましたが、アメノトリ船の呼びかけに応じて現れ、「この国は天照大御神に差し上げましょう」と即答し、姿を隠しました。

次にタケミカヅチはタケミナカタに話を持ちかけましたが、タケミナカタは反対し、力比べを挑みました。タケミカヅチの手は瞬時に氷の柱に変わり、剣の刃のように鋭くなりました。タケミナカタは驚き、恐怖で後退しました。今度はタケミカヅチがタケミナカタの手をつかむと、それは柔らかい足のように感じられ、簡単に投げ飛ばされてしまいました。逃げるタケミナカタをタケミカヅチは信濃の諏訪湖まで追い詰めましたが、タケミナカタは恐れ多いと感じ、この地で静かに暮らすことを誓い、降伏しました。

出雲大社の建設

タケミカヅチは大国主のもとに戻り、事代主もタケミナカタも国譲りに同意したと告げました。大国主もそれに従い、「私の子が同意したので、私も天照大御神の命令に従います。この国を差し上げましょう」と言いました。彼は自分の住む場所として、地中に深く基礎を作り、高く柱を立てた御殿を建ててほしいと頼み、それが出雲大社の由来となりました。

武甕槌神の象徴

タケミカヅチは、雷の神であり、その剣は空を裂く雷鳴を象徴します。彼の伝説的な力と正義感から、剣の神や武神として信仰され、特に相撲の始まりの神とされています。さらに彼は鹿島神宮の主祭神であり、日本全国の約600の鹿島神社の総本社でもあります。武道の神として多くの人々に崇拝され、武田信玄など戦国武将にも信仰されました。

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このように、タケミカヅチは葦原の中津国を平定し、天照大御神の理想を実現するための正義の使者であり、強力な武神であったことがわかります。