天照大御神とは?天照大神・天照皇大神の違い|三大神勅と男神説、最高神になった経緯

天照大御神とは?天照大神・天照皇大神の違い|三大神勅と男神説、最高神になった経緯

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祓え給い、清め給え

天照大御神は日本神話の最高神とされます。ただ、この神様がいつから最高神だったのかと問うと、話はそう簡単ではありません。

伊勢の神宮が皇祖を祀る社として国家の中心に据えられたのは、7世紀の終わりごろです。中世に入ると仏教の大日如来と同一視され、さらに「天照大御神は男神だったのではないか」という説まで真剣に論じられました。

つまりこの神様の像は、時代ごとに作り直されてきたものです。このページでは、よく検索される「天照大神と天照皇大神の違い」から始めて、誕生と系譜、三大神勅、男神説、神仏習合、祀る神社まで整理します。

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名前の違いを整理します

この神様は表記が非常に多く、どれが正しいのか迷う方が多い部分です。先に整理します。

表記読み使われ方
天照大御神あまてらすおおみかみ『古事記』での表記です
天照大神あまてらすおおかみ『日本書紀』での表記です
天照皇大神あまてらすすめおおかみ伊勢の神宮の系統で多く用いられます
大日孁貴おおひるめのむち『日本書紀』本文が記す別名です
日神ひのかみ『日本書紀』の一書に見られる呼び方です
天照坐皇大御神あまてらしますすめおおみかみ祝詞などで用いられる正式な称え方です

「天照大神」と「天照皇大神」はどう違うのか、という質問がよく見られます。指している神様は同じです。違いは系統で、「皇」の字を入れる表記は伊勢の神宮を本宗とする系統で多く使われ、それ以外の社では「天照大神」とすることが多くなります。意味の違いではなく、どの立場から呼ぶかの違いです。

注目したいのは「大日孁貴(おおひるめのむち)」です。『日本書紀』の本文はこの名を先に挙げています。「ヒルメ」は日の女、つまり太陽の女性という意味で、「ムチ」は貴い者を表す古い尊称です。天照という字は太陽を照らす働きを表した呼び方で、もともとの呼称はこちらの素朴な名だったとも考えられます。

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誕生と系譜

誕生の場面も、記紀で違います。

項目『古事記』『日本書紀』本文
生まれ方黄泉から帰った伊邪那岐命の禊で、左目を洗ったときに生まれます伊邪那岐と伊邪那美が共に生んだとします
同時に生まれた神右目から月読命、鼻から建速須佐之男命一書により異伝があります
治める場所高天原天上

『古事記』の生まれ方は独特です。父がひとりで禊をしたときに、顔を洗った水から現れます。母から生まれていません。太陽と月と嵐の神が、目と目と鼻という身体の部位から同時に出てくる。この形は、三者が切り離せない組として考えられていたことを示しています。

天照大御神から皇室への系譜

代神名できごと
1天照大御神高天原を治めます
2天忍穂耳命降臨を命じられながら、息子に譲ります
3瓊瓊杵尊天孫降臨で日向に降ります
4彦火火出見尊山幸彦。海神の娘と結ばれます
5鵜葺草葺不合尊神武天皇の父です
6神武天皇東征して大和で即位します

なお、天照大御神の子は天忍穂耳命だけではありません。素戔嗚尊と誓約(うけい)を行ったときに、宗像三女神をはじめとする神々が生まれたと記されています。

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三大神勅、何を授けたのか

天孫降臨にあたって、天照大御神が授けたとされる3つの言葉があります。神道では三大神勅と呼ばれ、重く扱われます。

神勅読み内容
天壌無窮の神勅てんじょうむきゅうこの国は我が子孫が君として治める地であり、その栄えは天地とともに窮まりないという言葉です
宝鏡奉斎の神勅ほうきょうほうさいこの鏡を我が御魂として、私を見るように敬い祀れという言葉です
斎庭稲穂の神勅ゆにわのいなほ高天原の神聖な田の稲穂を授け、地上で育てさせるという言葉です

この3つの組み合わせが、よくできていると思います。1つめは統治の正統性、2つめは祭祀の根拠、3つめは稲作の起源です。国を治める理由、神を祀る理由、米を作る理由が、同じ場面でまとめて授けられている。

とくに3つめは見落とされがちです。天皇が毎年行う新嘗祭は、その年の新穀を神に供え、自らも食す祭りです。この祭りの根拠が斎庭稲穂の神勅に置かれています。天照大御神が太陽の神でありながら稲の神でもあるのは、この一点でつながっています。

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天岩戸隠れ

天岩戸隠れ

天照大御神の最も有名な場面です。素戔嗚尊が田を壊し、祭りの御殿を汚し、機織りの御殿に皮を剥いだ馬を投げ入れて織女が死んだため、天の岩屋に入って戸を閉ざしました。世界は闇に包まれます。

神々は鶏を鳴かせ、鏡と勾玉を作り、祝詞を唱え、天宇受売命が舞って笑いを起こしました。不思議に思って戸を細く開けたところ、差し出された鏡に自分の姿が映り、その隙に引き出されます。

この場面の面白さは、最高神が引きこもるという点にあります。世界を照らす神が、弟の乱暴に耐えられず隠れてしまう。そして神々は説得も叱責もせず、外を楽しくして待ちました。

完全無欠の存在として描かれていないことが、この神様の特徴だと思います。怒り、傷つき、隠れ、そして戻ってきます。

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男神だったのではないかという説

ここはあまり語られない部分ですが、中世から近代にかけて真剣に論じられてきた説です。

根拠として挙げられるものを整理します。

根拠として挙げられること内容
記紀が性別を明記していません女神と断定する記述が意外に乏しく、文脈から読み取られています
武装の描写があります素戔嗚尊を迎えるとき、髪を結い直し弓矢を携えて雄々しく構えます
太陽神は男神という例が多いとされます他の文化圏との比較から指摘されることがあります
中世の説話や神道流派大日如来と同一視する流れの中で、男神として語る例があります
日神という呼び方『日本書紀』の一書の表現が、性別を示さない形になっています

一方で、女神とする根拠も明確にあります。『日本書紀』本文の「大日孁貴」の「ヒルメ」は日の女を意味し、機を織る場面があり、瓊瓊杵尊に「吾が子」と呼びかける関係も母系として描かれています。

筆者の受け取り方を書くと、どちらかに決める問いの立て方がそもそも合っていないように思います。記紀がこの神様の性別をはっきり書かなかったのは、書く必要がなかったからでしょう。太陽という存在に性別を当てはめるのは人間の都合であって、神話の側はそこに関心を払っていません。

男神説が出てきた時期を見ると、中世の神仏習合のころと重なります。大日如来という男性の仏と重ねるために、性別の説明が必要になった。つまりこの議論は、神話そのものから出た疑問ではなく、別の体系に合わせようとしたときに生じた問題だったと考えられます。

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信仰はどう変わってきたのか

最高神としての地位は、最初から固定されていたわけではありません。時代ごとの変化を追います。

時代どう扱われたか
古代皇祖神として伊勢の神宮に祀られます。天皇以外の私的な参拝は制限されていました
中世大日如来と同一視されます。僧侶の参拝も行われるようになります
近世伊勢参りが庶民に広がります。御師が神宮大麻を配り、各家で祀られ始めます
近代国家の祭祀の中心に位置づけられます
現代全国の神社で祀られ、神棚の中央にお神札が納められます

注目したいのは近世です。古代の伊勢の神宮は、天皇のための社でした。一般の人が勝手に幣を捧げることは禁じられていた時期もあります。それが江戸時代になると、御師と呼ばれる人々が全国を回って神宮大麻を配り、伊勢講が組まれ、庶民が伊勢を目指すようになります。

今、全国の家庭の神棚の中央に伊勢のお神札が納められているのは、この江戸時代の動きの結果です。皇室の祖神が家々の神になるまでに、1,000年以上かかっています。

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祀る主な神社

伊勢神宮 宇治橋鳥居

神社所在地特徴
伊勢の神宮(内宮)三重県伊勢市天照大御神を祀る本宗。20年ごとに式年遷宮が行われます
日前神宮・國懸神宮和歌山県和歌山市岩戸隠れの際に作られた鏡を祀ると伝わります
籠神社京都府宮津市伊勢に移る前に祀られたと伝え、元伊勢と呼ばれます
檜原神社奈良県桜井市宮中から移された最初の地と伝わり、元伊勢の1つとされます
各地の神明社全国伊勢の神宮の神霊を分けて祀る社で、数万社に及びます

元伊勢という言い方があります。天照大御神は、もとは宮中に祀られていましたが、崇神天皇の御代に宮の外へ移され、その後各地を巡って最後に伊勢に落ち着いたと伝えられます。この巡行の途中に祀られた地が元伊勢と呼ばれ、複数の候補地があります。

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ご利益として伝えられてきたもの

  • 国家安泰と家内安全
  • 開運と事業の発展(闇を照らし道を開く神として)
  • 五穀豊穣(斎庭稲穂の神勅から)
  • 勝負運と困難の打開(岩戸から出て光を取り戻した神として)

よくある質問

天照大神と天照皇大神の違いは何ですか

同じ神様です。「皇」の字を入れる表記は伊勢の神宮を本宗とする系統で多く使われ、それ以外の社では天照大神とすることが多いという違いです。

読み方はどれが正しいのですか

『古事記』の表記は天照大御神(あまてらすおおみかみ)、『日本書紀』は天照大神(あまてらすおおかみ)です。どちらも正しく、どの書物に拠るかの違いです。

男神なのですか女神なのですか

一般には女神とされます。ただ記紀は性別を明記しておらず、中世から男神説も論じられてきました。大日如来と重ねる神仏習合の流れの中で生じた議論と考えられます。

誰の子で、誰の親ですか

『古事記』では伊邪那岐命の禊から生まれ、母はいません。子は天忍穂耳命で、その孫が天孫降臨した瓊瓊杵尊です。神武天皇は6代目にあたります。

伊勢の神宮に参拝するとき何に気をつければよいですか

外宮から内宮へという順が古くからの作法とされます。参道の中央は神の通り道として避け、鳥居で一礼します。

神棚のお神札はどこに置きますか

中央です。伊勢の神宮の神宮大麻を中央に、向かって右に氏神のお神札、左に崇敬する神社のお神札を納めます。

まとめ

天照大御神は、父の禊から母を持たずに生まれ、高天原を治め、弟の乱暴に傷ついて岩屋に隠れ、鏡に自分を映されて戻ってきた神様です。完全無欠としては描かれていません。

そして最高神という像は、作り直されてきました。古代は天皇のための皇祖神、中世は大日如来と重ねられ男神説まで出て、近世に御師が大麻を配って家々の神になり、近代に国家の祭祀の中心に置かれました。

変わらなかったのは、鏡を御魂として祀れという宝鏡奉斎の神勅だけだったのかもしれません。神棚の中央に納めるお神札も、神社の奥に据えられた鏡も、すべてあの一言から来ています。参拝して鏡の前に立つとき、自分の姿が映る位置に置かれているということを思い出してみてください。

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祓え給い、清め給え

「祓え給い、清め給え、神ながら守り給い、幸え給え」の語源・歴史・実践法をさらに深く知りたい方へ。

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日本神話と歴史
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