素戔嗚尊とは?記紀で親も子も違う神|追放された理由と疫病除けの神になった経緯

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素戔嗚尊(スサノオノミコト)は、日本神話の中で最も描き方が揺れる神様です。
誰の子かが記紀で違います。追放された先も違います。そして大国主命との関係も、『古事記』では6代後の子孫、『日本書紀』では実の子とされます。同じ神について、親も子も居場所も一致していないのです。
さらに不思議なのは、高天原を荒らして追放された神が、後の世で疫病を防ぐ神として最も広く祀られたことです。このページでは、揺れている部分を表で突き合わせながら、荒ぶる神が守り神になった筋道までたどります。
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素戔嗚尊の基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 主な表記 | 素戔嗚尊(日本書紀)、建速須佐之男命(古事記) |
| 姉 | 天照大御神 |
| 兄 | 月読命 |
| 妻 | 櫛名田比売、神大市比売など |
| 治めた場所 | 追放後は出雲、のちに根の国 |
| 主なご神徳 | 厄除け、疫病除け、縁結び、水難除け |
| 総本社とされる社 | 八坂神社、津島神社、氷川神社など系統が複数あります |
「スサ」の意味については、荒れるという意味の「すさぶ」から来たとする説、出雲の須佐という地名に由来するとする説、進むという意味を取る説があります。どれも決着していません。
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記紀で食い違う3つの点
ここがこのページの中心です。まとめて見ると、違いの大きさに驚かれると思います。
| 項目 | 『古事記』 | 『日本書紀』 |
|---|---|---|
| 誰の子か | 伊邪那岐命の禊で、鼻を洗ったときに生まれます。母はいません | 本文では伊邪那岐と伊邪那美が共に生んだ子とします |
| 追放された先 | 出雲の肥河の上流へ降ります | 一書では新羅の曽尸茂梨を経て出雲へ、別の一書では熊成峯を経て根の国へ |
| 大国主との関係 | 6代後の子孫(6世の孫)とします | 実の子とします |


3つめの食い違いは特に大きいものです。出雲の国造りをした大国主命が、素戔嗚尊の子なのか6代後の子孫なのかで、出雲という土地の位置づけが変わります。子なら直系の後継、6代後なら距離のある関係です。
2つめも見逃せません。『日本書紀』の一書は、追放された素戔嗚尊が朝鮮半島の新羅に降り、そこを気に入らず出雲へ渡ったと記しています。新羅を経由させる筋が正史の異伝として残っていることは、古代の日本と半島の行き来を考えるうえで注目されてきました。
これだけ揺れているのは、素戔嗚尊が1柱の神ではなく、各地で祀られていた複数の神格が1つの名のもとに集められた結果だと考えられています。出雲の神、半島とつながる神、嵐の神、疫病の神。性格の違うものが重ねられたから、記録ごとに違う顔が出る。
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誕生と、姉との誓約
『古事記』では、黄泉から帰った伊邪那岐命が禊をしたとき、左目から天照大御神、右目から月読命、鼻から建速須佐之男命が生まれました。父は三神にそれぞれ治める場所を与えますが、素戔嗚尊は命じられた海原を治めず、母に会いたいと泣き続けたため追放されます。

別れの挨拶をしに高天原へ上ったところ、天照大御神は武装して迎えます。弟が攻めてきたと考えたためです。素戔嗚尊は疑いを晴らすため、誓約(うけい)という占いを申し出ました。
互いの持ち物を交換して神を生む形で行われ、天照大御神が素戔嗚尊の剣から宗像三女神を、素戔嗚尊が天照大御神の勾玉から天忍穂耳命らを生みました。素戔嗚尊は、自分の生んだ神が男だったから自分の心は清いと主張し、勝ったと言って高天原で振る舞い始めます。

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高天原での乱行と追放
素戔嗚尊が高天原で行ったことは、乱暴というより狙いが定まっています。
| 行い | 壊されたもの |
|---|---|
| 田の畦を壊し、溝を埋めました | 稲作 |
| 新嘗の御殿に糞をまき散らしました | 祭祀 |
| 皮を剥いだ馬を機織りの御殿に投げ入れました | 機織り。驚いた織女が死にます |
稲作、祭祀、機織りは高天原の生活の柱です。この3つを順に壊したため、天照大御神は岩屋に隠れ、世界は闇になりました。

罰として素戔嗚尊は財物を取り上げられ、髭と手足の爪を切られて追放されました。
この刑罰の形が興味深いところです。髭と爪を切るというのは、身体から伸びた余分なものを取り除く行為です。神道の祓いは、付いた穢れを取り去る所作でできています。つまり罰の与え方そのものが、祓いの形になっている。追放は追い出すだけでなく、清めてから出す手続きだったと読めます。
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ヤマタノオロチ退治
出雲の肥河の上流に降りた素戔嗚尊は、娘を八岐大蛇に奪われて泣く老夫婦に出会います。生き残った末娘が櫛名田比売でした。
素戔嗚尊は娘を妻にもらう約束をし、櫛名田比売を櫛に変えて髪に挿し、八度醸した強い酒を8つの桶に用意して大蛇を酔わせ、十拳剣で斬り刻みました。尾を裂いたときに出てきたのが、後に草薙剣と呼ばれる剣です。



注目したいのは、この退治が力押しではないことです。娘を櫛に変えて隠し、酒で相手を動けなくしてから斬る。高天原で暴れた神が、ここでは段取りを組んで勝っています。
日本最初の和歌とされる歌
櫛名田比売と住む宮を須賀の地に建てたとき、素戔嗚尊が詠んだとされる歌があります。
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を
雲が幾重にも立ちのぼる出雲に、妻を籠らせるため幾重にも垣を作る、という意味です。五七五七七の形を備えた最も古い歌とされ、和歌の起源に位置づけられています。
高天原を荒らした神が、妻を守る垣の歌で和歌の始まりになっている。この落差が、素戔嗚尊という神の幅をよく表していると思います。
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妻と子孫
| 関係 | 神名 | のちの位置づけ |
|---|---|---|
| 妻 | 櫛名田比売 | 稲田の神とされます |
| 子 | 八島士奴美神 | 大国主へ続く系譜の初代です |
| 妻 | 神大市比売 | 大山津見神の娘です |
| 子 | 宇迦之御魂神 | 稲荷神として広く祀られます |
| 子 | 大年神 | 年神として正月に迎えられる神とされます |
| 子孫または子 | 大国主命 | 出雲の国造りを行います |
| 子 | 五十猛神 | 紀伊の木の神とされます |

この系譜を見ると、素戔嗚尊が何の神なのかが見えてきます。妻は稲田の神、子は稲荷の神と年神です。荒ぶる神でありながら、実りと年の巡りに関わる神々の父になっている。
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根の国の主となる
素戔嗚尊は最後に根の国(根の堅洲国)へ移り、その主となります。大国主命が兄たちに迫害されて逃げ込んだとき、素戔嗚尊は蛇の室や火攻めといった試練を与えたうえで、娘の須勢理毘売と太刀と弓矢を与え、国を治めよと送り出しました。
試練を課して、通った者に武器と娘を与える。この形は、通過儀礼を司る存在としての素戔嗚尊を示しています。根の国は死の世界に近い場所ですが、黄泉の国とは別のものとして語られます。
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なぜ疫病を防ぐ神になったのか
ここが素戔嗚尊という神を理解する鍵だと思います。高天原を荒らして追われた神が、後の世で疫病除けの神として最も広く祀られました。
橋渡しになったのが牛頭天王です。疫病をもたらすと同時に鎮めるとされた神で、平安時代以降、素戔嗚尊と同じ神とみなされるようになりました。京都の祇園社(現在の八坂神社)が祇園祭で疫病の退散を願うのは、この習合によるものです。
そして蘇民将来の伝説が、この神の性格を決定づけました。旅の神が宿を求めたとき、裕福な弟は断り、貧しい兄の蘇民将来が迎え入れた。神は礼として、茅の輪を掛けておけば疫病を免れると教えた。この神が牛頭天王、すなわち素戔嗚尊だとされます。
筆者の見方を書きます。災いを防げる神は、災いを起こせる神でなければならない、ということだと思います。
穏やかなだけの神に、疫病を押し返す力は期待できません。高天原を一人で闇にできるほどの力を持った神だからこそ、その力を向こう側に向けてもらえると考えられた。日本の信仰には、強く恐れられた存在をあえて祀り上げて守り神に転じるという型があります。素戔嗚尊はその最も古い例と言えるでしょう。
信仰が3つの系統に分かれている理由
素戔嗚尊には、ほかの神にはない特徴があります。総本社が1つに定まらないのです。
天照大御神なら伊勢の神宮、大国主命なら出雲大社、武甕槌神なら鹿島神宮と、中心となる社がはっきりしています。ところが素戔嗚尊は、少なくとも3つの系統がそれぞれ中心を持っています。
| 系統 | 中心となる社 | 性格 | 広がり方 |
|---|---|---|---|
| 祇園信仰 | 八坂神社(京都) | 牛頭天王と習合した疫病除けの神 | 祇園社・八坂社として都市部に広がりました |
| 天王信仰 | 津島神社(愛知) | 同じく天王として祀られる疫病除けの神 | 津島社・天王社として東海から関東に広がりました |
| 出雲系の信仰 | 須佐神社・八重垣神社(島根) | 記紀の神話そのものに結びついた神 | 出雲の地名と伝承に根づいています |
これに加えて、関東では氷川神社の系統が独自の広がりを持ち、紀伊では熊野の神と結びついています。
なぜこうなったのかというと、もとが別の神だったものが素戔嗚尊という名のもとに合わせられたからです。牛頭天王はインドに由来するとされる疫病の神で、出雲の須佐の神は土地の神でした。記紀の素戔嗚尊という大きな枠が用意されたことで、それらが同じ神として扱われるようになった。
筆者はこの点を、素戔嗚尊という神の強さの正体だと考えています。1か所に固まらず、各地の荒ぶる神や疫病の神を吸収しながら増えていった。総本社が定まらないのは弱点ではなく、この神が各地で必要とされ続けた証拠でしょう。
素戔嗚尊を祀る主な神社
系統がいくつかに分かれ、全国に数千社あるとされます。
| 神社 | 所在地 | 特徴 |
|---|---|---|
| 八坂神社 | 京都府京都市 | もとは祇園社。祇園祭を行い、全国の祇園社の中心です |
| 氷川神社 | 埼玉県さいたま市 | 武蔵国一宮。関東の氷川社の総本社です |
| 津島神社 | 愛知県津島市 | 天王信仰の中心で、全国に津島社が分布します |
| 熊野本宮大社 | 和歌山県田辺市 | 家都美御子大神を素戔嗚尊と同神とする伝えがあります |
| 須佐神社 | 島根県出雲市 | 須佐の地名が残り、終焉の地と伝わります |
| 八重垣神社 | 島根県松江市 | 櫛名田比売とともに祀られ、縁結びで知られます |
| 須我神社 | 島根県雲南市 | 日本初の宮の跡と伝え、和歌発祥の地とされます |
| 日御碕神社 | 島根県出雲市 | 下の宮に天照大御神、上の宮に素戔嗚尊を祀ります |
ご利益として伝えられてきたもの
- 疫病除けと健康(牛頭天王との習合と蘇民将来の伝説から)
- 厄除けと災難除け(荒ぶる力を向けてもらう信仰です)
- 縁結びと夫婦円満(櫛名田比売との物語から)
- 水難除けと農業(嵐と水を司る神として)
- 和歌や文芸の上達(日本最初の歌を詠んだ神として)
筆者の考察
素戔嗚尊について考えるとき、私が最も面白いと思うのは、追放された神が最も広く祀られる神になったという逆転です。
高天原で乱暴を働き、髭と爪を切られて追われた神です。ところが現在、この神を祀る社は全国に広がり、祇園祭という日本最大級の祭りの中心にいます。神話のなかでの評価と、信仰のなかでの位置づけが一致していません。
橋渡しになったのが牛頭天王との習合でした。疫病をもたらす神と鎮める神が同一であるという考え方が、追放された荒ぶる神とよく噛み合った。災いを起こせる力を持つ神だからこそ、災いを止めることもできると考えられたわけです。
記紀で親も子も食い違うことも、この神の性格と関係があるように思います。系譜が定まらないのは、もともと別の土地で別に祀られていた神々が、ひとつの名前のもとにまとめられた結果なのではないでしょうか。
よくある質問
素戔嗚尊と須佐之男命は同じ神ですか
同じ神です。素戔嗚尊は『日本書紀』の表記、須佐之男命は『古事記』の表記です。どちらも「スサノオ」という音に当てた漢字です。
天照大御神との関係は何ですか
姉弟です。『古事記』では父の禊から同時に生まれ、天照大御神は左目、素戔嗚尊は鼻から生まれました。
大国主命は子ですか子孫ですか
記紀で違います。『古事記』は6代後の子孫、『日本書紀』は実の子とします。
なぜ追放されたのですか
高天原で田を壊し、祭りの御殿を汚し、機織りの御殿に皮を剥いだ馬を投げ入れて織女が死んだためです。財物を取り上げられ、髭と爪を切られて追放されました。
疫病除けの神とされるのはなぜですか
疫病を起こすとも鎮めるともされた牛頭天王と同じ神とみなされたためです。蘇民将来の伝説と結びつき、茅の輪くぐりの由来にもなっています。
最も有力な総本社はどこですか
1つに定まりません。祇園信仰の八坂神社、天王信仰の津島神社、関東の氷川神社、出雲の須佐神社など、系統ごとに中心となる社が分かれています。
まとめ
素戔嗚尊は、記紀で親も追放先も子も一致しない神です。それは記録が雑だったからではなく、各地で祀られていた性格の違う神々が1つの名に集められたからだと考えられます。
高天原を闇に変えた神が、妻を守る垣の歌で和歌の始まりになり、稲荷と年神の父になり、そして疫病を押し返す神として全国で祀られました。
この振れ幅が、この神が長く愛された理由だと思います。乱暴で泣き虫で、母に会いたいと言って追い出され、それでも娘を助けて歌を詠み、最後は試練を課して若い神を送り出す側になりました。完璧でないものが受け入れられて守り神になる。日本の神様の中でも、ここまで人間に近い神は他にいないのではないでしょうか。














