建御名方神(タケミナカタノカミ)とは?出雲の国譲りに抵抗し諏訪に封印された神

建御名方神(たけみなかたのかみ)は、日本神話の中で重要な役割を果たす神であり、主に諏訪大社に祀られています。この記事では、建御名方神の系譜、国譲り神話における役割、諏訪大社の信仰、ご利益などについて詳しく解説します。

建御名方神の系譜

建御名方神(読み方:たけみなかたのかみ)は、大国主神(おおくにぬしのかみ)と高津姫神(たかつひめのかみ)との間に生まれた神です。兄には事代主神(ことしろぬしのかみ)がおり、父である大国主神と共に国造りを手伝いました。建御名方神の名前は「勇武に優れた者」という意味があり、神話ではその勇猛さが強調されています​。

父 大国主神(おおくにぬしのかみ)

兄 事代主神(ことしろぬしのかみ)

出雲の国譲り神話での建御名方神

建御名方神(たけみなかたのかみ)は、天孫の使者である建御雷神(たけみかづちのかみ)との国譲りの交渉において、父である大国主神(おおくにぬしのかみ)を守るために抵抗しました。「古事記」や「日本書紀」によると、建御名方神は建御雷神が国譲りの説得のために降臨した際に、力比べを挑むことでその意志を示します。建御雷神はまず大国主神に国譲りを迫りますが、大国主神は「子に任せる」として回答を避け、代わりに建御名方神が現れました。

建御名方神は、勇猛果敢な性格を示し、巨大な手を用いて建御雷神の剣を握り潰そうとしましたが、建御雷神の剣はまるで氷や蕨のように軽々と手から逃れました。この結果に驚いた建御名方神は、今度は自らの手を建御雷神に差し出し力を試しましたが、逆に建御雷神にその手を握り潰され、痛みに耐えかねて降伏を宣言します。

建御名方神は、自らの敗北を認めると同時に、建御雷神に対して「この土地を天孫に譲ること」を約束し、信濃の地(現在の諏訪)へと逃れ、その地で封印されました。この出来事が建御名方神が諏訪大社に祀られるきっかけとなり、彼の抵抗と敗北は国譲り神話の一端として円滑な進行に重要な役割を果たしました。この封印が彼の諏訪大社への奉斎の起源とされています。

諏訪大社と建御名方神

建御名方神は、諏訪大社(すわたいしゃ)に主神として祀られています。諏訪大社は、長野県諏訪市と茅野市に位置する諏訪湖周辺の四つの神社(本宮、前宮、春宮、秋宮)から成る古社で、日本全国にある諏訪神社の総本社です​。

諏訪大社は、古代からの風習を色濃く残しており、特に「御柱祭(おんばしらさい)」という7年に一度行われる祭りで有名です。この祭りでは、御柱と呼ばれる巨大な柱を山から神社に運ぶという壮大な儀式が行われ、建御名方神の勇猛さを象徴しています​。

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建御名方神のご利益

建御名方神は、その武勇から以下のようなご利益を持つとされています​。

  • 戦勝祈願: 勇猛果敢な神であることから、戦勝や競技の成功を祈る神として信仰されています。
  • 農業・開拓: 信州の守護神として、農業や開拓の守り神としても崇められています。
  • 商売繁盛: 地域の繁栄と商売の成功を祈る信仰もあります。
  • 家内安全: 家族の安全と繁栄を守護する神としても信仰されています。

建御名方神にまつわる伝承

諏訪大社に伝わる伝承では、建御名方神は氷の神であり、冬の寒さを司る神でもあるとされています。また、建御名方神はその後も諏訪の地で農耕や狩猟を奨励し、地域の発展に貢献したと伝えられています。

おわりに

建御名方神は、日本神話の中で勇猛さと忠義心が強調される神であり、その伝承と信仰は現在も諏訪大社を中心に続いています。諏訪大社の歴史や祭りを通じて、建御名方神の存在を感じ、彼のご利益を享受することができるでしょう。訪れる際には、その神話と伝統に思いを馳せてみてください。