
仁徳天皇陵(大仙古墳)は、日本最大の前方後円墳でありながら、発掘調査がほとんど行われていない謎多き場所です。宮内庁はこれを「仁徳天皇の墓」としていますが、本当に仁徳天皇が埋葬されているのかは不明です。戦後、GHQによる調査が行われなかった理由や、もしかすると極秘に調査されていた可能性、そして考古学的に別の人物の墓である可能性も指摘されています。本記事では、仁徳天皇陵の基本情報や築造の歴史、発掘が進まない理由、世界遺産登録の背景、そして現在も続く多くの謎について詳しく解説します。
仁徳天皇陵(大仙古墳)とは?
仁徳天皇陵(にんとくてんのうりょう)古墳は、大仙古墳とも呼ばれます。大阪府堺市にある日本最大の前方後円墳で、5世紀前半に築造されたと考えられています。宮内庁により 「仁徳天皇陵」 と指定されていますが、実際に仁徳天皇が埋葬されているかどうかは不明で、多くの謎が残されています。
仁徳天皇陵の基本情報
所在地:大阪府堺市堺区大仙町
全長:約486メートル(エジプトのクフ王のピラミッドや中国の始皇帝陵を超える世界最大級の墳墓)
形状:前方後円墳(円形の後円部と台形の前方部)
築造時期:5世紀前半
周囲の構造:三重の堀(内濠・中濠・外濠)と陪塚(ばいちょう:従者の墓)
この古墳は2019年に 「百舌鳥・古市古墳群」 の一部としてユネスコ世界文化遺産に登録されました。しかし、考古学的な発掘調査が行われておらず、その詳細はほとんど明らかになっていません。
仁徳天皇陵は本当に仁徳天皇の墓なのか?
仁徳天皇陵が本当に 仁徳天皇(第16代天皇)の墓である という確証はありません。宮内庁がそう指定しているだけで、科学的根拠はほとんど示されていません。
① 宮内庁が仁徳天皇陵とした理由
江戸時代に国学者らが「この巨大古墳こそが仁徳天皇の墓だ」と考えた
明治時代に 「皇室の権威の象徴として」 宮内庁が正式に認定
以後、歴史的な根拠を示すことなく「仁徳天皇陵」として扱われ続けている
② 考古学的には異なる可能性
同時代の中国の歴史書『宋書』には「倭の五王」の記述があり、仁徳天皇の名は見当たらない
発掘調査がされていないため、副葬品や埋葬者の遺骨の分析ができない
実際には別の権力者の墓である可能性もある
考古学的には 「倭の五王」の一人である「讃」 の墓の可能性や、別の王族の墓である可能性も指摘されています。
戦後、マッカーサーはなぜ仁徳天皇陵を調査しなかったのか?
戦後、日本はGHQ(連合国軍総司令部)の統治下にあり、マッカーサーの指揮のもとでさまざまな調査が行われました。特に、天皇家に関わる場所は調査対象となる可能性が高かったはずですが、なぜか仁徳天皇陵は本格的に調査されませんでした。
① 天皇家との関係とGHQの方針
GHQは当初、天皇制の廃止を検討していたが、最終的には「象徴天皇制」として存続を許可
仁徳天皇陵は皇室の権威を象徴する場所であり、調査することで 日本国内の反発を招く可能性 があった
宮内庁が天皇陵への立ち入りを許可しなかった
② 秘密裏に調査された可能性
一部では、「GHQが実は仁徳天皇陵を極秘に調査し、何かを発見したが隠蔽したのではないか?」という説もあります。しかし、これを裏付ける証拠は見つかっていません。
発掘調査が進まない理由と天皇家・国との関わり
仁徳天皇陵の発掘調査が進まない最大の理由は、宮内庁が管理しており、 「皇室の陵墓」であるため発掘を許可していない ことにあります。
① 宮内庁の方針
仁徳天皇陵は 「皇室の聖域」 とされ、発掘調査は一切許可されていない
他の天皇陵と同様、科学的な研究よりも「歴史的・伝統的な扱い」を重視
宮内庁が管理するため、一般の研究機関が自由に調査できない
② 近年の一部調査
2018年、墳丘の一部で 非破壊調査(地中レーダー探査) が実施
一部の陪塚(小型の古墳)は発掘調査が行われ、副葬品などが確認されている
しかし、肝心の主墳(仁徳天皇陵本体)については未調査のまま です。
世界遺産登録と今後の展望
① 世界遺産登録の意義
2019年(令和元年)、「百舌鳥・古市古墳群」がユネスコ世界文化遺産に登録されました。これにより仁徳天皇陵は 世界的な歴史遺産としての価値を認められたことになります。歴史遺産とは、「文化遺産及び自然遺産を人類全体のための世界の遺産として損傷、破壊等の脅威から保護し、保存することが重要であるとの観点から、国際的な協力及び援助の体制を確立すること」を目的としています。
参考:世界遺産について|世界遺産 百舌鳥・古市古墳群(もず・ふるいちこふんぐん)
② 発掘調査の可能性は?
世界遺産登録によって、 学術的な調査を求める声は高まっている ものの、宮内庁の管理下である限り、本格的な発掘は難しいとされています。ただし、今後 非破壊調査の拡大や、国際的な研究との連携 によって、新たな事実が明らかになる可能性はあります。
まとめ
仁徳天皇陵は、「日本最大の古墳」 でありながら、多くの謎を抱えたまま調査が進んでいません。戦後のGHQによる調査が行われなかった理由、あるいは隠された可能性、そして本当に仁徳天皇の墓なのかという疑問が今も残されています。
今後、考古学的な研究が進めば、 仁徳天皇陵の真実が解明される日が来るかもしれません。しかし、宮内庁の方針が変わらない限り、その全貌が明らかになるのは、まだまだ先の話になりそうです。