大化の改新とは 飛鳥時代に何が変わった?中心人物・内容まとめ

大化の改新は、645年に飛鳥時代の日本で発生した画期的な政治改革です。この改革は中大兄皇子と中臣鎌足を中心に行われ、律令国家の基盤を築くための一連の変革をもたらしました。本記事では、改新が起きた背景、中心人物、そして具体的にどのような変更が行われたのかを詳しく解説します。

大化の改新とは

大化の改新は、645年に中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(後の藤原鎌足)が主導した日本史上初の本格的な政治改革です。この改革は、飛鳥時代の末期に行われ、律令国家体制の基礎を築いた重要な出来事とされています。蘇我入鹿を暗殺することで蘇我氏の勢力を排除し、天皇を中心とした政治を再構築することが主な目的でした。

大化の改新は何年に起きた?

大化の改新は645年に始まりました。これは、乙巳の変とも呼ばれるクーデターによって蘇我入鹿が暗殺された事件から始まります。ただし、改革自体の具体的な政策は翌646年に「改新の詔」を通じて表明されたため、645年から646年にかけての出来事と考えられています。

よく誤解されているのですが、大化の改新は、蘇我入鹿が暗殺された646年の事件(改新の詔)がきっかけとなっただけで、奈良に平城京ができて奈良時代に移るのは710年です。大化の改新は1年や2年だけの出来事ではなく、飛鳥時代末期の約60年間にわたり、天皇による中央集権国家・律令国家としての日本の原型が出来上がっていくことが大化の改新なのです。詳しくは後述します。

大化の改新が起きた飛鳥時代~奈良時代の特徴

大化の改新が起きたのは厳密には飛鳥時代ですが、この改新により奈良時代への遷移が始まります。奈良時代は律令制度の確立、国家神道の形成、中央集権体制の強化などが特徴で、大化の改新はこれらの基礎を作ったと言えます。また、文化的にも唐の影響を受けた仏教が広まり、国際的な交流が活発になりました。

奈良時代は710年に始まります。この時期には、日本の首都が平城京(現在の奈良県奈良市)に移され、これを契機に新たな時代が始まったとされています。奈良時代は710年から794年まで続き、この時代の終わりは、首都が平城京から平安京(現在の京都市)に移されたことによって区切られます。

大化の改新の中心人物

大化の改新の中心人物は、中大兄皇子と中臣鎌足です。

中大兄皇子は、蘇我氏の横暴を止めるために政変を起こし、後に天智天皇として即位します。中臣鎌足は、この政変で中大兄皇子を支え、後に藤原姓を賜り、藤原氏の祖となります。これら二人の政治的ビジョンと行動が、日本の歴史を大きく変えることになりました。

大化の改新で何が変わった?

大化の改新により、まず政治体制が大きく変わりました。大化の改新で蘇我氏の権力を衰退させることで何を目指したのかというと、聖徳太子が理想とした「天皇による中央集権国家」でした。

新しい政治体制のモデルは中国の律令制で、具体的には、公地公民制の導入、国郡制の確立、班田収授法の施行、そして租税制度の改革が行われました。これにより、天皇を中心とする中央集権国家が形成され、地方豪族の勢力を抑えることが可能になりました。また、法律や行政制度が整備され、後の律令国家の基盤が作られたのです。

土地や人に関する「公地公民制」

公地公民制は、私有地や私有民を廃止し、国が全ての土地と人民を直接管理する制度です。この制度の導入によって、蘇我氏などの豪族が持っていた部曲(人民)や田荘(土地)を国が回収し、中央の政治権力を強化しました。国が直接支配することで、天皇が日本の絶対的中心であることを明確にし、全国に滞りなく政策を施行することが可能となりました。土地を失った豪族や皇族には、食封(じきふ)と呼ばれる代替の報酬が支給されました。

国の分け方「国郡里制」

国郡里制は、日本全国を国、郡、里に細分化し、各地の行政機構を確立する制度です。この制度により、国司、郡司、里長が設置され、中央政府の政策が地方にも効率的に行き渡るようになりました。国司は朝廷から派遣され、郡司は地方の有力者が任命され、地方行政が天皇の意向に沿って運営されることを目指しました。この制度の完全な実施は701年の大宝律令制定まで待たなければなりませんでした。

戸籍と財産「班田収授法」

班田収授法は、戸籍と土地の計帳を作成し、国民一人一人に決まった大きさの田んぼを配布する法律です。この制度により、6年ごとに戸籍を更新し、6歳以上の公民に田んぼを支給しました。これらの田んぼは「口分田」と呼ばれ、民の財産とされましたが、その人が亡くなった際には国に返還されることになっていました。

税に関する決めごと「租調庸の税制」

租調庸の税制は、公民が国に対して米、布または特産物、労働を納めることを義務付けた統一税制です。この税制には三つの主要な部分があります。祖(田んぼの税金)、調(主に繊維製品や特産物)、庸(朝廷への出張労働)です。この税制は、唐の制度を基にしつつ、日本の慣習に合わせてアレンジされました。

 

この改革は、日本の政治、経済、社会の各面に深い影響を与え、その後の国家発展の土台を築きました。

まとめ

大化の改新は、飛鳥時代の政治構造を一新し、中央集権的な律令国家へと移行するきっかけを作りました。中大兄皇子と中臣鎌足によって主導されたこの改革は、公地公民制の導入、国郡制の確立、班田収授法の施行など、日本の政治体系を根底から変えるものでした。こうして645年に始まった改革は、その後の日本の国づくりに深い影響を与え続けています。