
本居宣長(もとおりのりなが)は、江戸時代中期の国学者であり、日本の古典研究を大成した人物です。彼は『古事記』の研究を通じて日本固有の精神文化を探求し、「もののあはれ」という概念を打ち立てました。その業績は日本文学研究や思想史に大きな影響を与え、現代に至るまで評価されています。
本記事では、本居宣長がどのような人物だったのか、彼の思想や国学研究の成果、代表作とその概要、名言、そして「もののあはれ」の概念について詳しく解説します。歴史の教科書には載っていないような本居宣長の深い思想や影響についても触れていきます。
本居宣長とは?生涯と国学研究の始まり
生い立ちと学問への目覚め
本居宣長は1730年(享保15年)、伊勢国松阪(現在の三重県松阪市)に生まれました。松阪は商人の町として栄えていましたが、宣長の家系は医者でした。彼は幼い頃から学問に興味を持ち、17歳のときに医学を学ぶために京都へ遊学します。しかし、儒学や朱子学を学ぶうちに、その教えが日本古来の精神と異なるのではないかという疑問を抱くようになりました。
その後、彼は医学を修めて松阪に戻り医者として生計を立てる一方で、古典研究に没頭していきます。そして、29歳のときに師と仰ぐ賀茂真淵(かものまぶち)と出会い、国学の研究に本格的に取り組むことになりました。
『古事記』研究への情熱
本居宣長は、日本古来の精神を探るために『古事記』の研究に着手しました。彼はこの研究に30年以上を費やし、ようやく完成させたのが『古事記伝』です。この研究を通じて、日本の歴史や文化を儒学や仏教の影響から解き放ち、日本独自の思想を明らかにしようとしました。
国学とは?
国学とは、日本古来の文化や精神を研究する学問であり、特に日本の古典文学や神話、神道に注目して発展しました。江戸時代の学問の主流であった儒学は、中国由来の思想であるため、日本独自の考え方とは異なる部分も多くありました。国学者たちは、日本人本来の精神性を見出すために、『古事記』『日本書紀』『万葉集』などの古典を研究し、日本の原点を追求しました。
国学の研究は、後に尊王攘夷思想へとつながり、幕末の政治運動や明治維新にも影響を与えました。特に国学の四大人と呼ばれる四人の学者は、それぞれの時代で国学の発展に大きな役割を果たしました。
本居宣長の思想と国学の意義
本居宣長の思想は、それまでの中国由来の学問(儒学や朱子学)とは異なり、日本の古典や神話に基づいたものでした。
①「もののあはれ」の概念
「もののあはれ」とは、本居宣長が日本の美意識を表現するために提唱した概念です。これは、人が物事に触れたときに自然に湧き上がる感情や、移ろいやすい人生の儚さを感じ取る心の働きを指します。
彼は『源氏物語』を例に挙げ、この作品の魅力は「もののあはれ」を深く表現している点にあると述べました。日本の文学や芸術には、この感受性が重要であり、それが日本文化の本質であると説いたのです。
②『古事記』の解釈と日本独自の精神
本居宣長は、『古事記』を日本の精神文化の源泉と考えました。彼は、それまでの仏教的・儒教的な解釈を排し、純粋に『古事記』を日本の神話や歴史として解釈しました。
特に、日本の神々や皇室の正当性を示すために、『古事記』の物語を詳細に分析し、日本人のアイデンティティの形成に大きな影響を与えました。
③儒学・仏教批判と復古思想
本居宣長は、儒学や仏教が日本本来の価値観を歪めたと考え、特に朱子学の「理(ことわり)」の概念を批判しました。彼は、道理よりも「人間の自然な感情」が大切であり、日本人は理屈よりも「感じる心」を重視すべきだと主張しました。
また、彼は『直毘霊(なおびのみたま)』という著作の中で、日本の神々が持つ「直き心(なおきこころ)」こそが大切であり、日本古来の神道的な世界観が日本人の精神に根付いていると説きました。
本居宣長の代表作とその概要
本居宣長は多くの著作を残しましたが、その中でも特に重要なものを紹介します。
作品名 | 概要 |
---|---|
『古事記伝』 | 『古事記』の注釈書。30年以上をかけて執筆し、日本の神話や歴史を研究した国学の最高傑作。 |
『源氏物語玉の小櫛』 | 『源氏物語』の研究書。「もののあはれ」という概念を明確にし、日本文学の本質を探る。 |
『直毘霊(なおびのみたま)』 | 日本の精神性について書かれた哲学書。儒学や仏教の影響を排し、日本独自の価値観を提唱。 |
『玉勝間』 | 日本の言葉や文化について記した随筆集。国語学的な考察も含まれる。 |
本居宣長の名言とその意味
本居宣長は、多くの名言を残しています。その中から代表的なものを紹介します。
「しきしまの 大和心を 人とはば 朝日ににほふ 山桜花」
この和歌は、「日本人の心とは何かと問われたならば、朝日の光を浴びて美しく輝く山桜のようなものだ」と答えるという意味です。本居宣長は、日本人の感性や精神の美しさをこの歌で表現しました。
「道というものは、学ぶことによって知られるものではない」
これは、本来の道(生き方)は理屈ではなく、直感や感性で理解されるべきだという考えを示しています。本居宣長の思想は、朱子学のような理屈を重視する学問とは対照的でした。
本居宣長の影響と現代へのつながり
本居宣長の思想は、幕末の尊王攘夷運動に影響を与え、明治維新の精神的基盤の一つとなりました。また、彼の国学研究は、日本文学や歴史研究の礎を築き、現在の日本文化の理解にも大きな貢献をしています。
彼の提唱した「もののあはれ」は、現代の日本文学や映画、アニメなどの表現にも影響を与えており、日本人の感性の根底にある美意識として受け継がれています。
国学の四大人とは?
「国学の四大人」とは、本居宣長、賀茂真淵、平田篤胤、荷田春満の四人を指します。それぞれが日本の古典や神道の研究に貢献し、国学の発展を支えました。
名前 | 生没年 | 主な業績 | 代表的な思想 |
---|---|---|---|
荷田春満(かだのあずまろ) | 1669-1736 | 国学の基礎を築き、神道研究を推進 | 『古事記』『日本書紀』の研究を重視し、国学の礎を築く |
賀茂真淵(かものまぶち) | 1697-1769 | 『万葉集』の研究を通じて日本古来の精神を追求 | 「ますらをぶり(剛健な精神)」の提唱 |
本居宣長(もとおりのりなが) | 1730-1801 | 『古事記伝』を執筆し、国学を大成 | 「もののあはれ」の美意識と純日本的な思想の強調 |
平田篤胤(ひらたあつたね) | 1776-1843 | 神道を中心とした復古思想を展開 | 尊皇攘夷思想を発展させ、幕末の思想に影響 |
和歌と国学の研究を推進を行い国学に貢献した「村田春海」も国学上で重要な存在です。
まとめ
本居宣長は、『古事記』の研究を大成し、「もののあはれ」という日本独自の美意識を提唱した国学者です。彼の思想は、日本の文学や歴史研究に大きな影響を与え、現代の日本文化にも深く根付いています。その功績は今なお評価され続けており、日本人の精神文化を理解する上で欠かせない存在です。