アラハバキとは?(荒吐神・荒脛巾)消されかけている古代信仰・神社

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アラハバキ(荒吐神・荒脛巾神)は、日本の古代信仰の中でも特に謎の多い神です。
『古事記』にも『日本書紀』にも一切登場しないにもかかわらず、東北から関東を中心に、今も全国の神社にひっそりと祀られています。しかもその多くが、主祭神ではなく「客人神(まろうどがみ)」という独特の立場で残されています。
この記事では、アラハバキとはどのような神なのか、なぜ記紀に登場しないのか、そしてなぜ「消されかけている」と言われるのかを、史実として確かな部分と、俗説や創作にすぎない部分を切り分けながら解説していきます。
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アラハバキ(荒吐神・荒脛巾神)とは
アラハバキは、主に日本列島の東北地方から関東地方にかけて信仰されてきた神です。記紀神話や『風土記』などの正典には一切登場しないため、その正体や起源についてははっきりしたことがわかっていません。
神名の表記は一定しておらず、「荒覇吐」「荒吐」「荒脛巾」「阿良波々岐」など、地域や時代によってさまざまに書き分けられてきました。共通して「荒」の字が使われていることから、もともとは荒ぶる存在として畏れられていた神だったとうかがえます。
アラハバキを考えるうえで最も重要な特徴が、多くの神社で「客人神(まろうどがみ)」として祀られているという点です。客人神とは、もともとその土地で祀られていた地主神が、後からやってきた神に主祭神の座を奪われ、客人の立場に転じたものを指すと説明されることが多い神格です。つまりアラハバキは、「もともとそこにいた古い神」であった可能性が高いのです。
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なぜ記紀に登場しないのか
アラハバキの最大の特徴は、『古事記』『日本書紀』という国家の正典にまったく姿を見せないことです。これは、アラハバキが大和朝廷の神話体系の外側にあった神、つまり中央の支配が及ぶ前から地方で信仰されていた土着の神であったことを示していると考えられます。
記紀に登場しない以上、アラハバキの正体を探るには、神話ではなく、地名や神社の伝承、民俗習俗といった資料に目を向けるしかありません。民俗学者の谷川健一や折口信夫といった研究者も、このアラハバキの問題に注目してきました。特に折口信夫は、客人神こそが神社創建以前からの土着神であり、主祭神の方が後から来た神であるという見方を示しています。
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アラハバキはどんな神とされてきたか
アラハバキには、地域や時代によってさまざまな性格が重ねられてきました。代表的なものを整理します。
足の神・旅の神
「脛巾(はばき)」とは、脛(すね)に巻きつけて足を保護する装具のことです。この名から、アラハバキは足腰の守護神、つまり「足の神」として信仰されてきました。宮城県多賀城市の荒脛巾神社では、旅人が脚絆や草鞋を奉納する風習があり、足腰の病に霊験があるとされています。旅に用いる装具であることから「旅の神」とも考えられ、さらに境界を守る「塞の神(さえのかみ)」「道祖神」的な性格も帯びていきました。
製鉄の神
アラハバキを祀る神社の近くには、砂金や砂鉄の産地が多いことが指摘されています。多賀城の荒脛巾神社には鋏が奉納され、鋳鉄製の灯籠もあるといいます。東北のアラハバキ神社の御神体の多くが鉄鉱石であり、青森県の岩木山神社のアラハバキの御神体も黒い鉄であるとされます。こうしたことから、アラハバキは「製鉄の神」だったのではないかという説があります。
研究者の近江雅和は、「アラ」は鉄の古語であると主張し、製鉄や鉱物採取に関わった修験道の山伏らがアラハバキ信仰を取り入れたのではないかと推測しています。アラハバキを祀る氏族が、製鉄技術を持つ物部氏と関連するという指摘もあります。
生殖と身体の神
多賀城の荒脛巾神社では、足腰の守護にとどまらず、下半身全般を癒す神として男根を模した像も奉納されています。北海道倶知安のアイヌの伝承では、アイヌの古語で「クナト」は男根、「アラハバキ」は女陰を意味し、本来この二つは一対の夫婦神であったとも伝えられています。生命を生み出す力への信仰と結びついていた可能性があります。
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アラハバキを祀る神社
アラハバキを祀る神社は、東北地方を中心に各地に点在しています。御神体を磐座(いわくら)や鉄鉱石とするものが多いのも特徴です。
荒脛巾神社(宮城県多賀城市)
アラハバキ信仰を語るうえで最も代表的な神社です。鹽竈神社(しおがまじんじゃ)の境外末社で、安永3年(1774年)の記録にはすでに記載があり、その頃には仙台藩から所領が寄進されていたといいます。腰から下の病気に霊験があるとされ、多数の草鞋が奉納されています。境内には鋏を奉納する養蚕神社や、聖徳太子を祀る太子堂などもあり、さまざまな民間信仰が融合した独特の雰囲気を持っています。
この神社が建つ多賀城は、大和朝廷が東北の蝦夷(えみし)を制圧するために築いた前線拠点でした。谷川健一は、朝廷の「蝦夷をもって蝦夷を制す」という統治政策のもと、もともと蝦夷の神だったアラハバキを、逆に多賀城を守る塞の神として祀り、蝦夷を撃退しようとしたのではないかと論じています。
大宮氷川神社の門客人神社(埼玉県さいたま市)
アラハバキの「消されていく」性格を最もよく示すのが、武蔵一宮として知られる大宮氷川神社の摂社「門客人神社(もんきゃくじんじんじゃ)」です。
この門客人神社は、もともと「荒脛巾神社」と呼ばれ、アラハバキを祀っていました。氷川神社の主祭神は須佐之男命をはじめとする出雲系の神々ですが、これらは武蔵国造一族がこの地に移ってきた際に持ち込んだ神とされ、アラハバキはそれ以前からこの土地にいた地主神(先住の神)であったとみられています。氷川神社の近くには見沼(みぬま)という沼地があり、アラハバキはもともとこの見沼の水神として信仰されていたとも考えられています。
『新編武蔵風土記稿』などによると、かつて荒脛巾神社と呼ばれていたこの社は、神職の氷川内記が神祇伯の吉田家に届け出て「門客人社」と改称し、祭神も足摩乳命(あしなづち)・手摩乳命(てなづち)という出雲系の神に置き換えられました。足摩乳命と手摩乳命は、櫛名田比売(くしなだひめ)の親神にあたります。こうしてアラハバキの名はこの地から消え、出雲系の神々の体系に統合されていったのです。
その他のアラハバキゆかりの神社
アラハバキを客人神として祀る神社は、武蔵(埼玉)だけでなく、三河(愛知)、出雲(島根)、伊予(愛媛)などにも点在しています。愛知県の砥鹿神社(とがじんじゃ)の奥宮末社には「荒羽々気神社(あらはばきじんじゃ)」があり、こちらは大己貴命(おおなむちのみこと)の荒魂を祭神としています。岩手県の丹内山神社は、アラハバキ大神の巨石(胎内石)を御神体としています。
これらの神社では、アラハバキの名はすでに失われていることが多いものの、「客人神」「荒魂」といった形でその痕跡が残されています。
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アラハバキと長髄彦(ナガスネヒコ)
アラハバキを語るうえで触れておきたいのが、長髄彦(ナガスネヒコ)との関係です。明治の神仏分離以降、各神社の祭神は記紀神話の神々に当てはめて変更されていきましたが、アラハバキの場合は「脛(はぎ)」の字が共通することもあって、神武天皇の東征で大和王権に敗れた側の長髄彦と結びつけられることがありました。
長髄彦は、大和の地でニギハヤヒを奉じて神武天皇の軍に抵抗した、いわば「まつろわぬ者」の象徴的な存在です。中央に敗れた者と、中央の神話から外された神。この二つが「ハバキ」という音を介して重ねられていったところに、アラハバキという神が背負わされてきた「敗者・先住者の記憶」という側面が表れているように思います。
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東日流外三郡誌と遮光器土偶のイメージ
アラハバキが広く世間に知られるきっかけとなったのが、1970年代に登場した『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』という文書です。青森県の和田家で発見されたこの文書には、アラハバキを「荒覇吐」と記し、これを信仰する一族が津軽地方を統一していたという内容が書かれていました。
そしてこの文書には、アラハバキ神の姿として、青森県つがる市の亀ヶ岡遺跡から出土した遮光器土偶(しゃこうきどぐう)とよく似た図像が描かれていました。これによって「アラハバキ=遮光器土偶」というイメージが世間に定着していきました。当時はUFOや超古代史に関心が集まったオカルトブームの時代でもあり、遮光器土偶を宇宙人と結びつける説とも相まって、強い印象を残しました。火焔型土器などと同じく、縄文の造形物が持つ独特の迫力が、こうした想像をかき立てた面もあるのでしょう。
ただし注意したいのは、この『東日流外三郡誌』は、文字や文法の時代的な矛盾、発見者と同じ誤字が見られることなどから、学界では戦後に作られた偽書であることがほぼ確実視されているという点です。同じく偽書とされるホツマツタヱや宮下文書などと並んで語られることもありますが、「アラハバキ=遮光器土偶」というビジュアルイメージは、古代から伝わるものではなく、この偽書によって近年広まったものにすぎません。
ここからは筆者の考えですが、偽書であることと、アラハバキ信仰そのものが無意味であることは、分けて考える必要があると思います。『東日流外三郡誌』が創作だったとしても、太古から東北を中心にアラハバキという神が地主神・土着神として信仰されてきたこと自体は、各地の神社の存在からも確かだからです。偽書がもたらした派手なイメージを取り除いたうえで、なお残る地味で根強い信仰の痕跡にこそ、本当のアラハバキの姿があるのだろうと感じます。
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シュメール起源説などの俗説について
アラハバキについては、シュメール文明との関連や、古代アラビア語起源説など、さまざまな説が語られることがあります。たとえば「アラハバキ」は古代アラビア語で「最高の神」を意味し、南アラビアからインド・中国を経て日本に伝わったとする説や、遮光器土偶をシュメール神話の女神イナンナと同一視する説などです。シュメールの神々であるアヌンナキと日本神話を結びつける言説の中で語られることもあります。
これらの説は想像をかき立てる魅力的な物語ではありますが、いずれも確固たる学術的根拠を持つものではなく、歴史学や考古学の裏付けがあるわけではありません。アラハバキを考えるうえでは、こうした壮大な外来起源説に飛びつく前に、まず国内の神社の伝承や民俗資料から確実に言えることを押さえておくことが大切だと考えます。本記事でも、これらの説はあくまで「そうした見方もある」という俗説の一つとして紹介するにとどめます。
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なぜアラハバキは「消されていった」のか
アラハバキは、縄文から続く古い時代に、関東から東北にかけて広く信仰されていた土着の神だったと考えられます。しかしその後、出雲系の信仰が各地に広がり、さらに天照大御神を頂点とする大和朝廷の神話体系へと国全体が統一されていく過程で、地域のアラハバキ信仰は次第に塗り替えられていきました。
大宮氷川神社の例に見られるように、アラハバキは主祭神の座を出雲系の神に譲り、客人神へと退き、やがて名前そのものが別の神に置き換えられていきました。記紀という正典に最初から組み込まれなかったことが、結果としてアラハバキの存在を歴史の表舞台から遠ざけていったとも言えます。同じように記紀の国譲りで中央に従った出雲の神々が、各地で地主神を上書きしていった構図とも重なります。
それでもなお、東北や関東の各地に、アラハバキの名や痕跡は細々と残り続けています。中央の神話に組み込まれなかったからこそ、かえって土地に根ざした古い信仰の形を今に伝えている。アラハバキは、日本という国が一つにまとまっていく過程で「消されかけた」神でありながら、完全には消えなかった、古層の信仰の生き証人なのかもしれません。
まとめ
アラハバキ(荒吐神・荒脛巾神)は、記紀に登場しないにもかかわらず、東北から関東を中心に各地で信仰されてきた謎の多い神です。多くの神社で客人神として祀られていることから、もともとはその土地にいた地主神・土着神であり、後から来た出雲系や記紀神話の神々に主祭神の座を譲っていったと考えられています。
足の神、製鉄の神、生殖の神など多様な性格を持ち、大宮氷川神社の門客人神社のように、名前を変えられながらかろうじて存続してきた例もあります。『東日流外三郡誌』による遮光器土偶のイメージやシュメール起源説など、近年広まった俗説も多いですが、それらを切り分けてもなお、太古から続く土着信仰としてのアラハバキの存在は確かなものです。
派手な伝説の奥にある、土地に根ざした素朴な信仰の痕跡。そこにこそ、消されかけてなお生き残ってきたアラハバキという神の本当の姿があるのではないでしょうか。



