伊勢の神宮は何の神様?天照大御神は古事記の時代に作られた神様?

伊勢の神宮は日本の神社の中でも特に重要な位置を占めており、その中心に祀られているのは天照大御神(あまてらすおおみかみ)です。この神様は、日本の神話における太陽神であり、皇室の祖神とされています。しかし、天照大御神の起源や伊勢の神宮の歴史には多くの謎が含まれています。

伊勢の神宮と神様

伊勢の神宮は、皇室の祖先であり、日本国民全体の守護神として崇敬される天照大御神を中心に祀る皇大神宮(内宮:ないくう)と、生活の基盤となる産業の守り神、豊受大御神を祀る豊受大神宮(外宮:げくう)を含む、大小さまざまな社を持っています。これには14の別宮、43の摂社、24の末社、そして42の所管社が含まれ、合計125の宮社から成り立っています。これらを総称して「神宮」と呼びます。伊勢の神宮には何の神様がいるのかと疑問を持つ方はたくさんいらっしゃると思いますが、摂社、末社なども含め、125の宮社から成り立っており、それぞれの神様の成り立ちやご利益・ご神託があります。

外宮を参拝してから内宮を参拝するのが本来の順序

豊受大御神を祀る豊受大神宮(外宮:げくう)を参拝してから、天照大御神を中心に祀る皇大神宮(内宮:ないくう)を参拝することが本来の順序です。

天照大御神と古事記

天照大御神は、「古事記」や「日本書紀」に記述されている神々の中でも最も高位の神とされ、神話の中で重要な役割を担っています。古事記が完成したのは大化の改新から飛鳥時代を超え、奈良時代が始まったころ、712年です。この時期に日本の神々の系譜や物語が形式化されました。しかし、天照大御神が具体的にどのようにして「創造」されたのか、またその神格が以前に存在していた可能性については、学術的な議論が存在します。

伊勢の神宮の歴史と神秘

伊勢の神宮の創建時期については明確な記録が残っていないため、その起源も神秘に包まれています。神宮の特徴の一つである「式年遷宮(しきねんせんぐう)」(20年に一度、神宮の建物を新しく建て替える儀式)は、永遠の継続性と純粋性を象徴しており、その伝統は1300年以上前から続いているとされますが、その起源についてもはっきりとしたことはわかっていません。この式年遷宮は檜などの木材を1万本以上使用し、準備には9年、総費用は500億円を要す大きな儀式です。

日本の神々と中央集権化の影響

天照大御神が全国的に崇拝されるようになった背景には、古代日本における政治的な動きが関係しているとされます。西暦で言うと600年代や700年代ですから、今のように日本の各地でどんな信仰や思想があるかなどは共有されることはまずありませんので、それぞれの地域に氏神様や土地神様がおり、その地域ごとに祈っていたはずです。このように地域ごとに強く信仰される神様がいたはずですが、古代の権力者たちは、異なる地域で崇拝されていた様々な神々を統一し、国家としての一体感を強化するために「天照大御神」を最高神として位置づけたとも考えることができます。これにより、伊勢の神宮は日本の神社の中心地としての役割を果たすようになりました。

さらに、伊勢の神宮は戦前は日本の国営のような位置づけでしたが、終戦後に政教分離で国から引きはがされてしまいました。

日本各国の神社で使われる祝詞(のりと)で天照大御神に直接祈るものは少ない

日本の神社で使われる祝詞(のりと)において、天照大御神が登場するものが比較的少ないです。本当にもともと最高神として古くから信仰を集めていたとしたら、祝詞でも天照様にも祈りを聞いてもらいたいということが入りそうなものですが、例えば大祓詞では、天照大御神の子孫の神々が「豊葦原の瑞穂の国を平和で安心して生活できる国にして治めなさい」という命令をお受けになりましたということが書かれており、天照大御神はあくまでも最高神として日本の象徴的な立場であり、その子孫や地域の八百万の神々がその命で受けたという書かれ方になっています。

地域の神々の多様性

日本は長い歴史の中で多様な地域文化が発展してきました。各地域には独自の神々が存在し、その地域固有の神話や伝承が根付いています。そのため、地域社会に深く根ざした神々を祀る際には、それぞれの神様に特化した祝詞が用いられることが一般的です。天照大御神は伊勢の神宮を中心とする祭祀で特に重要視されますが、地方の神社では地元の神々を讃える祝詞が多く使われるため、天照大御神が登場する機会は相対的に少なくなります。

伊勢の神宮の祭祀と祝詞の特殊性

伊勢の神宮は天照大御神を主神としており、この神宮独自の祭祀と祝詞が存在します。伊勢の神宮の影響力は絶大ですが、全国的に見ると、他の多くの神社が独自の主神を持っており、それぞれに応じた祝詞が使われています。天照大御神は「皇室の祖神」としての地位を保持しつつも、他の地域社会では異なる神々が優先されることが多いです。

祭祀の中心化と分散化

日本の神道では、古代から中央集権化の動きとともに、天照大御神の祭祀が伊勢に集中し、他の地域では地元の神々が重視されるという構造が形成されました。このため、天照大御神を中心に祀る祝詞は、特に伊勢の神宮周辺で主に使用されることとなり、他の地域では少なくなります。

宗教的多様性の尊重

また、日本は宗教的な多様性を尊重する文化が根強く、各地の信仰や祭祀の自由が保障されています。そのため、天照大御神を祀る伊勢の神宮とは異なり、地域ごとに異なる神々を尊重する傾向が強いため、祝詞にもその多様性が反映されています。

伊勢の神宮と天照大御神を最高神として位置づけるために消された神様がいる可能性も

神社で使用される祝詞には様々なものがありますが、必ずしも天照大御神が神々の頂点であるというわけではなく、伊勢の神宮を中心に政治的にも日本の国家的にも統一を進めるために天照大御神という存在を八百万の神のまとめ役として古事記が作られた時代、伊勢の神宮ができた時代に当時の権力者や有権者が創造したとも考えられるのです。古事記や日本書紀という記録だけで日本神話や当時の日本を読み取ると、天照大御神の存在は絶大と感じますが、各地域にはそれぞれ信仰される神様がいて、天照大御神という存在を知らない国民もたくさんいたことでしょう。天照大御神という存在と伊勢の神宮を特別なものとするために、地域で強く信仰されていた神様に対しての信仰を、天照大御神に置き換えるようになことが行われた可能性もあります。伊勢の神宮は天照大御神を祀る神社であることと同時に、昔は信じられていた神様で消されてしまった神様や、他の神様と重ね合わせてしまった神様なども含めて祈りをささげられる場所かもしれません。

まとめ

伊勢の神宮と天照大御神にまつわる歴史は、ただの宗教的信仰以上のものを含んでいます。それは日本の心、皇室の正統性、そして文化的継続の象徴としての役割を果たしてきたからです。天照大御神の物語性と伊勢の神宮の神秘性は、日本人の心の中で特別な位置を占めており、その謎を解き明かすことは、日本の歴史を深く理解する一助となります。

天照大御神が作られた神様であるかは大きな問題ではなく、日本人の精神性や心の力のために、伊勢の神宮は長きに渡り、神の国の日本を守り続けてきた場所であることは確かです。現代でもテーマパークなどよりも日本人に愛されてたくさんの参拝を集めている場所です。各地の神社や神様も地域の祈りを受け入れて守り続けてきたものであり、唯一神ではなく八百万の神がいるからこそ日本なのです。