猿田彦大神とは何の神様?猿田彦神社のご利益とは

猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)は、日本神話に登場する国津神で、天照大御神(あまてらすおおみかみ)から邇邇芸命(ににぎのみこと)の天孫降臨を道案内する役割を担った神です。道開きや道案内の神として信仰され、旅の安全や新しい道を切り開く象徴として崇められています。

猿田彦大神とは?

猿田彦大神は、『古事記』や『日本書紀』に記述される国津神です。天照大御神は孫の邇邇芸命を地上に送り込む際に、道案内役として猿田彦大神を遣わしました。猿田彦大神は、長い鼻(約7尺)や赤い顔、輝く姿を持ち、邇邇芸命を無事に日向(ひむか、現・宮崎県)の高千穂峰(たかちほのみね)に導きました。この神話により、猿田彦大神は道開きや導きの神としての役割を担うこととなりました。

猿田彦は天狗なのか?

猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)は、日本神話に登場する国津神であり、天狗との関連性がしばしば議論されます。しかし、猿田彦大神と天狗は、異なる背景と役割を持つ存在であり、神話上の猿田彦大神が天狗そのものというわけではありません。

猿田彦大神は日本神話において、邇邇芸命(ににぎのみこと)の天孫降臨を導く役割を果たす神であり、正式な神道の神格です。猿田彦大神は『日本書紀』において、長い鼻や赤い顔、光り輝く姿といった特徴が描かれており、日本の民間伝承における天狗のイメージと共通する部分があり、長い鼻を持つ天狗と結びつけられることがあります。猿田彦大神は日本神話において、邇邇芸命(ににぎのみこと)の天孫降臨を導く役割を果たす神であり、正式な神道の神格です。一方、天狗は山伏(やまぶし)や修験道(しゅげんどう)と関連し、民間伝承や妖怪としての性格が強いです。天狗はしばしば道教や仏教の修行者の姿を取り、時には人々を惑わせる存在として描かれます。

江戸時代以降、天狗のイメージが広まるにつれ、猿田彦大神の特徴が天狗と結びつくことがありました。猿田彦大神は日本神話の中で天孫降臨を導く重要な役割を果たした国津神であり、道開きの神として信仰されています。その特徴が天狗と重なる部分はありますが、猿田彦大神と天狗は異なる背景と役割を持つ存在です。天狗との関連は後世の文化的解釈により生まれたものであり、正式な神話や神道においては別々の存在として扱われています。

天孫降臨で猿田彦が道案内をした神話の話

邇邇芸命(ににぎのみこと)が高天原から葦原中国に天降りしようとした際、天の八衢(やちまた)という場所に、葦原中国と高天原の間を照らす光り輝く神が現れました。この神は、長さ七咫(約7尺)の鼻、七尺の背丈を持ち、目は八咫鏡のように、また赤酸醤(あかかがち)のように赤く輝いていました​。

天照大御神(あまてらすおおみかみ)と高木神(たかぎのかみ)は、この神の正体を探るために天宇受売命(あめのうずめのみこと)を遣わしました。天宇受売命がその神に尋ねたところ、彼は国津神である猿田毘古神(さるたびこのかみ)で、邇邇芸命の道案内をするために迎えに来たと答えました​ 。

猿田毘古神の先導で、邇邇芸命は無事に葦原中国に降り立ちました。邇邇芸命はこの時、天宇受売命に対して、「あなたがこの神の名前を明らかにしたのだから、猿田毘古神を送り届け、その名前を冠して仕えるように」と命じました。これにより、天宇受売命は「猿女君(さるめのきみ)」と呼ばれるようになりました。

『日本書紀』によると、猿田毘古神は自ら天鈿女命(あめのうずめ)に自分を送り届けるように頼んだとされています。導きの役割を終えた猿田毘古神は、故郷である伊勢国の五十鈴川(いすずがわ)の川上へと帰りました。

後に、猿田毘古神は伊勢の阿邪訶(あざか)で漁をしていた際、比良夫貝(ひらふがい)に手を挟まれて溺れてしまいました。この際、彼が海中で溺れたときの泡から三柱の神「底度久御魂(そこどくみたま)」「都夫多都御魂(つぶたつみたま)」「阿和佐久御魂(あわさくみたま)」が生まれました​。これらの神々は、現在の三重県松阪市に鎮座する阿射加神社に祀られています。

また、『倭姫命世記』によれば、倭姫命(やまとひめのみこと)が天照大御神の鎮座地を求めて巡行していた際、猿田彦の子孫である大田命(おおたのみこと)が五十鈴川の川上一帯を献上し、倭姫命を先導しました。大田命の子孫は宇治土公(うじのつちぎみ)と称し、代々伊勢神宮の玉串大内人として仕えました​。猿田彦の伝承や信仰は、後世に至るまで地域社会や神社の祭祀に大きな影響を与えています。

さらに、三重県鈴鹿市の椿大神社では、猿田彦命が溺れた際に命を落とし、同社の高山土公神御陵に葬られたとされ、その場所が猿田彦命の御陵とされています。また、二見興玉神社の由緒では、猿田彦が天孫降臨の際に降り立った場所が境内の海中にある興玉神石であると伝えられています。

猿田彦神社

猿田彦神社は、三重県伊勢市に位置し、猿田彦大神を主祭神として祀る神社です。創建の起源は、猿田彦大神が邇邇芸命の道案内を終えた後に伊勢国の五十鈴川の河口に留まり、その地で祀られるようになったことにあります。神社の境内には、道中安全を祈願する「道開きの石」があり、参拝者が安全祈願や新しい道を開くために訪れる場所として広く知られています。

伊勢の猿田彦神社観光ガイド「みちひらき」の神様

ご利益

ここまで紹介したように、猿田彦大神の力や行いから、猿田彦神社には、以下のようなご利益があると言われます。

道開き: 新しい道を切り開く力を象徴し、人生の新たなスタートや転機をサポートします。

導き: 迷いや不安を取り除き、正しい方向へ導く力があるとされます。進学、転職、引越しなどの方向性を定める際に参拝されます。

道中安全: 旅の無事や交通安全を祈願する場所として信仰され、多くの人々が旅行や移動の際に参拝します。

開運招福: 幸運を呼び込み、成功へと導くご利益があります。特に商売繁盛や新しい事業の成功を祈るための参拝者が多く訪れます。

猿田彦大神と地域信仰

猿田彦大神は、全国各地で道祖神としても信仰されており、道の分かれ目や村の境界に祀られることで、悪霊や疫病を防ぐ役割を持っています。地域の人々は、猿田彦大神を通じて旅の安全や地域の繁栄を願い続けてきました。猿田彦神社では年間を通じて様々な祭事が行われ、その中でも道開きや道中安全を祈る祭りが特に注目されています。

まとめ

猿田彦大神は、邇邇芸命の天孫降臨を導いた国津神として、日本神話において重要な位置を占めています。道開きや道案内の象徴として信仰され、猿田彦神社では道中安全や新しい道の開拓を祈願する参拝者が多く訪れます。猿田彦大神の伝説とその信仰は、日本の神話と地域文化において欠かせない存在です。