ヨモツシコメ(黄泉醜女、よもつしこめ)は、日本神話における黄泉の国(よみのくに、死者の国)に登場する恐ろしい女性の姿をした存在です。『古事記』や『日本書紀』に描かれ、特にイザナミの死後に関連して登場します。この記事では、ヨモツシコメの意味やその役割、イザナミとの関連性について詳しく解説します。
ヨモツシコメの意味と役割
ヨモツシコメ(黄泉醜女)は、日本神話の『古事記』に登場する黄泉の国に住む醜い女性たちで、生者の世界に侵入する者を追い払う役割を持ちます。イザナギが黄泉の国から逃げる際に登場し、死後の世界の恐ろしさと境界を象徴する存在です。
ヨモツシコメの由来と描写
ヨモツシコメ(黄泉醜女、よもつしこめ)は、古事記に登場する黄泉の国に住む醜い女性たちの総称です。ヨモツシコメたちは死者の世界に属し、生者が侵入することを阻む役割を担っています。彼女たちの名前「シコメ」は「醜い女」を意味し、恐ろしい姿で描かれることが多いです。
ヨモツシコメは黄泉の国の住民であり、神様ではない
ヨモツシコメは、黄泉の国に住む醜女で、主にイザナギが黄泉の国から逃げる場面で登場します。ヨモツシコメはイザナギを追いかける死者の国の住人として描かれ、その役割は神々のような尊敬の対象ではありません。神道の文脈での「神」や「神格」には含まれず、むしろ死の恐ろしさや黄泉の国の脅威を象徴する存在です。
黄泉の国でのヨモツシコメの役割
ヨモツシコメは、黄泉の国に入り込んだイザナギを追いかける場面で登場します。イザナギは死者の世界に妻であるイザナミを探しに行きましたが、イザナミが変わり果てた姿を見て驚き、逃げ出しました。この時、イザナミはヨモツシコメたちにイザナギを追わせました。この描写により、ヨモツシコメはイザナミの配下としての役割を果たし、黄泉の国の恐ろしさを表現するキャラクターとして描かれています
死人を追うことは禁忌、生きる人は生きる意味・価値を
つまり、死者の居場所である黄泉の国に生きている人が追ってくることは禁忌、生きている人は生きている人として使命・役割をもって生き続けることの大切さ、役割を終え寿命を迎えてから容姿などを気にしなくてもよい黄泉の国へ来るようにという教えがあるように感じます。
イザナミとヨモツシコメの関連性
黄泉の国に行ったイザナミの変容
イザナミは、日本神話における創造神であり、イザナギと共に国産みや神産みを行いました。しかし、火の神カグツチ(軻遇突智)を産んだ際に命を落とし、黄泉の国に送られました。イザナギはイザナミを取り戻そうと黄泉の国に向かいましたが、そこで変わり果てた姿のイザナミに出会いました。このイザナミの変容が、黄泉醜女のイメージを象徴しています。
イザナミの怒りとヨモツシコメ
イザナミは、イザナギが自分の変わり果てた姿を見たことに激怒し、ヨモツシコメたちにイザナギを追わせました。このエピソードは、イザナミ自身がヨモツシコメの一部であるかのように描かれることもあり、死後の恐ろしい姿としてヨモツシコメと結びつけられています。
ヨモツシコメの象徴的な意味
死と再生の象徴としての「ヨモツシコメ」
ヨモツシコメは、死後の世界の恐ろしさと、死者と生者の境界を象徴する存在です。彼女たちは、生者が死後の世界に踏み入れることを防ぐ役割を担い、死の不可避性や黄泉の国の恐ろしさを表現しています。このような象徴的な意味から、ヨモツシコメは死後の世界に対する畏怖や警戒心を象徴するキャラクターとして理解されています。
文化的な影響や、他の昔話や怪談話への派生
ヨモツシコメのイメージは、日本の民間伝承や妖怪に影響を与えてきました。恐ろしい姿をした女性のキャラクターは、後の民話や昔話で「鬼婆」や「山姥」などの形で登場することが多く、現代のホラーや怪談にもその影響が見られます。ヨモツシコメの物語は、日本文化における死と恐怖の象徴として、さまざまな作品に反映されています。
まとめ
ヨモツシコメ(黄泉醜女)は、日本神話の中で黄泉の国に登場する恐ろしい女性たちであり、死後の世界の恐怖と生者と死者の境界を象徴する存在です。イザナミの変容とも関連し、死の世界の一部として描かれます。ヨモツシコメの物語は、日本の民間伝承や文化に影響を与え、死後の世界に対する畏怖や警戒を表現するキャラクターとして理解されています。このような神話的な存在を通じて、日本の文化や伝統における死生観を知ることができます。