アジスキタカヒコネとは?系譜やアメノワカヒコの葬儀での出来事

アジスキタカヒコネ(味鋤高彦根命、あじすきたかひこのみこと)は、日本神話に登場する勇猛な神であり、大国主神の子供の一柱です。この記事では、アジスキタカヒコネの系譜、葦原中国平定における役割、天皇家や八咫烏との関係、神社とご利益、そして『古事記』での重要なエピソードについて詳しく解説します。

アジスキタカヒコネとは?(味鋤高彦根命)

アジスキタカヒコネ(味鋤高彦根命)は、大国主神(おおくにぬしのかみ)の子で、葦原中国平定に関与した勇猛な神です。彼は外見がアメノワカヒコと酷似しており、葬儀でその怒りを爆発させたことで知られています。彼の信仰は農業の守護神として、主に農業繁栄や家内安全、開運にご利益があるとされます。

アジスキタカヒコネの系譜

アジスキタカヒコネ命は、大国主神(おおくにぬしのかみ)と沼河姫(ぬなかわひめ)の子供です。

兄弟には、建御名方神(たけみなかたのかみ)事代主神(ことしろぬしのかみ)がおり、これらの神々と共に葦原中国(あしはらのなかつくに、地上界)の平定や開拓に関与しました​ ​。アジスキタカヒコネの名には「鋤の神」と「高貴な彦(人)」を意味し、農業や開拓の象徴とされています。

古事記での葦原中国平定

アジスキタカヒコネは葦原中国平定において重要な役割を果たしました。天照大御神(あまてらすおおみかみ)の命により、地上の統治を進めるために、他の神々と共に地上の反乱分子を鎮圧しました。彼はその勇猛さと知略で敵を打ち負かし、地上の平定に貢献しました。具体的には、武力や知恵を駆使して地上の秩序を守り、国造りに尽力しました​​。

アメノワカヒコの葬儀での出来事

アジスキタカヒコネは、高天原に復命しなかったために命を失ったアメノワカヒコの葬儀に訪れました。

しかし、アジスキタカヒコネはアメノワカヒコと外見が非常に似ていたため、アメノワカヒコの父であるアマツクニタマが、アジスキタカヒコネを息子と勘違いして抱きつきました。アジスキタカヒコネはこれに激怒し、「穢わしい死人と一緒にするな」と叫び、神度剣を抜いて葬儀のための喪屋を切り倒し、蹴り飛ばしてしまいました。この行動により、アジスキタカヒコネの名は明らかにされました。妹のシタテルヒメが彼の名を明かす歌を詠み、彼の怒りと強さを示す重要なエピソードとなっています​​。

アジスキタカヒコネと関係八咫烏との関係

八咫烏(やたがらす)はアジスキタカヒコネの使いとして、神武天皇の東征を助ける存在だったという話も出回っていますが、古事記・日本書紀では八咫烏は天照大御神からの使いであることが書かれているのでアジスキタカヒコネとは直接は関係がありません。

八咫烏に関する記述

古事記

『古事記』には、八咫烏が神武天皇の東征を導いたことが記されています。「ここに天より八咫烏を遣して、行道を導き進めき。ゆえにこの地を八咫の道の標(しめ)となして八咫の烏にて天皇を導きつ」とあり、八咫烏が神武天皇を熊野から吉野へと道案内したことが記されています。

日本書紀

『日本書紀』巻第三の記述では、熊野の山中で神武天皇が道に迷っていたところ、「天より八咫烏を遣わして、熊野に迷える天皇を導きたまふ」とあり、天の使いとしての八咫烏が天皇の道案内を務めたことが述べられています。

神社とご利益

アジスキタカヒコネは、全国の賀茂神社(上賀茂神社・下鴨神社を含む)の総本社・高鴨神社等の祭神、別名・迦毛之大御神(かものおおみかみ)と呼ばれます。

これらの神社では、農業繁栄、戦勝祈願、家内安全、道案内などのご利益が期待されています。

まとめ

アジスキタカヒコネ命は、日本神話において勇猛で重要な役割を果たす神であり、その系譜や神話に基づくエピソードから、彼の存在の意義が深まります。全国の神社で彼を祀ることで、多くの人々がそのご利益を享受してきました。アジスキタカヒコネ命の伝説と信仰を理解することで、日本の神話や文化への理解が一層深まるでしょう。