神武天皇は日本の初代天皇であり、日本神話の中でも特に重要な存在です。紀元前660年に即位したとされていますが、この年代は神話的なものであり、歴史的な裏付けはありません。天照大御神から数えて五代目にあたる神武天皇は、神話の中で天照大御神の子孫として位置づけられています。彼の即位と東征の物語は、日本の国家形成の象徴として伝えられてきました。この記事では、神武天皇の即位、天照大御神との関係、東征の歴史、そして卑弥呼との関係について詳しく解説します。
神武天皇とは
神武天皇(じんむてんのう)は、日本神話における初代天皇であり、記紀(『古事記』および『日本書紀』)によると、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の孫であるニニギノミコトの曾孫にあたります。神武天皇は、紀元前660年に即位したとされ、日本の建国神話の中心人物です。彼の即位の日は現在も「建国記念の日」として祝われています。
神武天皇の別名
神武天皇にはいくつかの別名があります。主な別名を以下に挙げます。
- 神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと) - これは神武天皇の最もよく知られた別名です。
- 磐余彦命(いわれひこのみこと) - 簡略化された形です。
- 神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと) - 別の表記形式です。
- 彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと) - 日本書記で登場し、神社の御祭神の表記などにも使われています。
これらの名前は、『古事記』や『日本書紀』に記されているもので、神武天皇の神格や尊さを表現しています。
神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)という名前の意味
「神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)」という名前には、日本の古代の神話的な背景と深い意味が込められています。その意味を分解して説明します。
- 神(かむ) - 神聖な存在を意味し、神格化された人物を指します。
- 日本(やまと) - 古代日本の中心地域であり、大和地方を指します。ここでは日本全体を象徴する意味でも使われています。
- 磐余(いわれ) - 奈良県磐余(いわれ)地域に関連し、磐余は神聖な土地や堅固な場所を意味することもあります。
- 彦(ひこ) - 尊称として使われ、神聖な男性を意味します。「彦」は貴人や王子などの尊称です。
- 尊(みこと) - 高貴な人、尊い人を意味し、敬意を込めた称号です。
したがって、「神日本磐余彦尊」という名前は「神聖なる日本(大和)の磐余の地に関わる尊い男性」を意味し、神武天皇の神聖性と大和地方の中心的な存在であることを強調しています。
天照大御神から神武天皇への家系図・系譜
天照大御神と神武天皇の関係性は、以下のように遡ることができます。天照大御神から数えて神武天皇は五代後の子孫にあたります。以下にその系譜を詳しく示します。
- 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
- 高天原に住む太陽の女神で、日本神話における最高神。
- 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
- 天照大御神の孫で、天孫降臨により地上に降り立った神。
- 彦火瓊々杵尊(ひこほのににぎのみこと) 日向三代(現在の宮崎県に住んでいた)
- 瓊瓊杵尊の子孫たちは日向(現在の宮崎県)に住みました。彦火瓊々杵尊は、瓊瓊杵尊の子供で、地上を治める神。
- 彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと、山幸彦) 日向三代(現在の宮崎県に住んでいた)
- 彦火瓊々杵尊の子供で、海幸彦と山幸彦の兄弟神話で知られる。
- 鵜葺草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと) 日向三代(現在の宮崎県に住んでいた)
- 彦火火出見尊の子供で、神武天皇の父。
- 神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと) → 神武天皇(じんむてんのう)
- 日向三代の最後の一人である、神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれびこのみこと)、すなわち神武天皇は、九州から東へと移動し、大和地方(現在の奈良県)に到達し、そこで初代天皇として即位しました。
このように、天照大御神から神武天皇までは五代の系譜となります。
神武天皇の皇后はヒメタタライスズヒメ(媛蹈鞴五十鈴媛命)
神武天皇は、大物主神(おおものぬしのかみ)と高津姫神(たかつひめのかみ)の間の娘とされている、ヒメタタライスズヒメ(媛蹈鞴五十鈴媛命)と結婚し、ヒメタタライスズヒメは后となります。
卑弥呼とは
卑弥呼(ひみこ)は、3世紀の倭国(古代日本、邪馬台国)の女王で、『魏志倭人伝』にその記録があります。卑弥呼は呪術を使う巫女であり、魏の皇帝に使者を送り、親魏倭王の称号を得ました。卑弥呼の統治下で倭国は30余りの国を支配していました。
神武天皇の即位と卑弥呼の時代はどっちが先?関係性はある?
日本の歴史の教科書では、日本神話の内容や縄文時代・弥生時代・飛鳥時代くらいまでの内容をあえて教えないような教育政策をとっているので、神武天皇が即位した時期と、卑弥呼がいた時代が同じぐらいで関係性があるのではないかと思ってしまうことと思います。
神武天皇の即位は紀元前660年とされており、卑弥呼が実在したとされる3世紀よりも遥かに前の時代です。
したがって、年代の流れから見ても、神武天皇の時代が先に設定されています。
しかし、歴史学的な裏付けはなく、直接的な関係性は見られませんが、両者とも日本の古代史における重要な人物です。
神武天皇の正体
神武天皇の実在性については、古代の伝説と史実が交錯しているため、完全には明らかになっていません。彼はヤマト王権の祖先として位置づけられ、統治の正当性を神話的に裏付ける存在とされています。神武天皇は、南方から九州を経て大和地方に至り、初代天皇として即位したと伝えられています。
神武天皇とヤタガラス
瓊瓊杵尊の子孫たちは3代に渡り日向(現在の宮崎県)に住んでいましたが、神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)は九州から大和地方に出てきました。神武天皇の東征を導いたとされるのがヤタガラス(八咫烏)です。ヤタガラスは三本足の大烏で、神の使いとして神武天皇を導き、無事に大和地方へと導いたとされています。このヤタガラスは、日本サッカー協会のシンボルマークとしても知られています。また、現代にも続く日本の秘密結社の名前なのではないかという話もあります。
神武天皇の東征
神武天皇の東征は、九州の日向から出発し、瀬戸内海を経由して大和地方に至る壮大な旅です。この過程で、様々な敵対勢力と戦い、多くの試練を乗り越えました。特に熊野地方での戦いが有名で、ヤタガラスの導きにより勝利を収めたとされています。最終的に奈良盆地に到達し、ここで即位したとされています。
神武天皇陵は墓?本当の場所
神武天皇陵は奈良県橿原市に位置する「畝傍山東北陵(うねびやまとうほくりょう)」とされています。しかし、これが実際の墓であるかどうかについては、考古学的な証拠が乏しいため、疑問視されています。実際の埋葬地が他に存在する可能性もあり、研究が続けられています。