神社でしてはいけないこと一覧|参拝作法の理由と、実は気にしなくていい俗説

神社でしてはいけないこと一覧|参拝作法の理由と、実は気にしなくていい俗説

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祓え給い、清め給え

神社にお参りするとき、なんとなく作法が気になって落ち着かない。そんな経験はありませんか。実は神社でしてはいけないとされることには、ひとつひとつ理由があります。

この記事では、参道の歩き方から手水、拝礼、お願いの仕方まで、避けるべきこととその理由を順に解説します。あわせて、実は気にしなくてよい俗説についても正直にお伝えします。理由がわかれば、迷いなくお参りできるようになります。

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鳥居の前ですること、してはいけないこと

鳥居は、神域と俗世を分ける境界です。ここから先は神様の領域だという入り口ですから、他人の家の玄関をくぐるときと同じ心構えが求められます。

してはいけないとされるのは、一礼せずに通り抜けること、帽子をかぶったまま入ること、そして鳥居の真ん中を通ることです。中央は正中(せいちゅう)と呼ばれ、神様の通り道とされています。端に寄って会釈をしてからくぐりましょう。

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参道での振る舞い

参道でも、中央は空けて歩きます。左右どちらを歩くかに厳密な決まりはありませんが、手水舎がある側を通ると自然な流れになります。

参道を横切らなければならないときは、軽く会釈をして通ります。大声で話す、走り回る、飲食しながら歩くといった行為も避けるべきとされています。神職の方に伺うと、注意されるのはたいてい騒がしさに関わることだそうです。作法の細かい違いよりも、静かに過ごすことのほうがずっと大切だということでしょう。

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手水でしてはいけないこと

手水舎(てみずや)は、参拝前に心身を清める場所です。ここは間違いが起こりやすいところです。

してはいけないこと理由
柄杓に直接口をつける柄杓は共用のもの。口をすすぐ水は手のひらに受ける
水盤の中に手を入れる溜められた水は清浄なもの。汚してはならない
すすいだ水を水盤に戻す穢れを移した水を清水に戻すことになる
一度に大量の水を汲む柄杓一杯の水で最後まで行うのが作法

正しい手順は、柄杓一杯の水で左手、右手の順に清め、左手に水を受けて口をすすぎ、もう一度左手を清め、最後に柄杓を立てて柄に水を流します。この一連を一杯の水で行うのが基本です。

この作法の根っこにあるのが、日本神話のです。伊邪那岐命が黄泉の国から戻り、川で身を清めた場面が、水による清めの原点になっています。手水は、その禊を簡略化したものなのです。

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拝礼でしてはいけないこと

拝殿での作法は二礼二拍手一礼が基本です。避けたいのは次のような振る舞いです。

お賽銭を遠くから投げ入れること。お金は投げるものではなく、静かに入れるものです。鈴を長く激しく鳴らし続けることも避けましょう。鈴は神様をお呼びし、その音で自らを祓う意味があるとされ、二、三度で十分です。

また、いきなり願い事から始めるのも本来の作法ではありません。まず住所と名前を心の中で名乗り、日々の感謝を伝えてから願いを申し上げます。神様に対して、名乗らずに要求だけするのは礼を欠くという考え方です。

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境内でしてはいけないこと

行為理由
本殿を撮影する御神体が鎮まる場所。撮影禁止としている神社が多い
神職や巫女を無断で撮影する神事の妨げになる。必ず許可を得る
ご神木や境内の木の枝を折る神が宿る木とされてきた。石や砂を持ち帰るのも同様
おみくじを木の枝に結ぶ木を傷める。みくじ掛けに結ぶ
賽銭箱以外にお金を置く紛失や管理の問題を招く
ペットを境内に入れる神社により方針が異なる。事前に確認する

ご神木や石を持ち帰ってはいけないという戒めは、単なるマナーの話ではありません。神が宿るものを勝手に持ち出すという行為に対する、古くからの畏れが背景にあります。

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お願い事でしてはいけないこと

神様へのお願いにも、避けたほうがよいとされるものがあります。

まず、他人の不幸を願うことです。丑の刻参りに代表される呪詛は、日本の信仰においても自分に返るとされてきました。人を呪わば穴二つという言葉のとおりです。

次に、あれもこれもと欲張ることです。一社につきひとつの願いに絞るのがよいとされます。願いを絞ることは、自分が本当に何を望んでいるのかを確かめる作業でもあります。

そして、願いが叶ったあとにお礼参りをしないことも、避けたい振る舞いです。お願いに行ったきり報告しないのは、人間関係で考えれば失礼にあたります。叶っても叶わなくても、一年に一度は感謝を伝えに伺うという姿勢が、神様との縁を保つ基本です。

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忌中の参拝は控えます

神道では死を穢れと捉えるため、身内に不幸があった直後の忌中は神社への参拝を控えるとされます。目安は五十日です。

これは故人を悪いものとする意味ではありません。穢れとは気枯れ、つまり生命力が弱った状態を指すという解釈があり、悲しみに沈んでいる時期は静かに過ごすべきという配慮だと考えると理解しやすくなります。忌が明けたあとの喪中であれば、参拝しても差し支えないというのが一般的な考え方です。

ただこの考え方については神社ごとに考え方は異なっており、七五三や結婚式などあらかじめ予定していてなかなかずらすことができない行事などもあると思います。穢れを神社に持ち込まないというのは一人一人の配慮によって神社が聖域な場所として成り立っているわけですが、わからないことやどうしたらよいかについては神社の神職さんに相談してみるとよいでしょう。ただその時にも神職の方は、「絶対にこうしないといけない」という伝え方はおそらくしないです。柔らかく伝えて下さると思うので柔らかく伝えてくださると思うので雰囲気や感触を読み取って決めましょう。

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実は気にしなくてよいこと

逆に、よく言われているけれど過度に心配する必要のないこともあります。正直にお伝えします。

よく聞く話実際のところ
複数の神社を回ると神様がケンカする八百万の神々は共存する世界観です。神社側もそうした説明はしていません
お守りを複数持つと効果が落ちる同様に問題ありません。丁寧に扱うことのほうが大切です
夕方以降の参拝は絶対に避ける神社が開いている時間であれば差し支えありません。ただし暗く足元が危険なので日中が望ましいという実際的な理由はあります
お賽銭は5円でなければならないご縁の語呂合わせであり、金額に決まりはありません
生理中の参拝は禁忌かつてそうした考え方がありましたが、現在の神社本庁は特に制限を設けていません

作法を細かく気にするあまり、参拝そのものが窮屈になってしまっては本末転倒です。神社は本来、地域の人々が気軽に足を運ぶ場所でした。

筆者の考察

神社の作法を並べていくと、そのほとんどが二つの原則に集約されることに気づきます。清浄を保つことと、相手を敬うことです。

手水で口をすすぐのも、忌中を避けるのも、清浄を保つためです。正中を歩かないのも、名乗ってから願うのも、お礼参りをするのも、相手を敬うためです。この二つを押さえていれば、細かい所作を多少間違えても本質からは外れません。

そして興味深いのは、この二原則が人の家を訪ねるときの作法とまったく同じだという点です。手を洗い、玄関で挨拶し、名乗り、用件を伝え、後日お礼を言う。日本の神様は、遠い天上から人を裁く存在ではなく、近所に住む敬うべき方として扱われてきました。だから作法も、訪問の礼儀に似ているのです。

作法の一覧を覚えようとするより、大切なお宅に伺うつもりで振る舞う。それがいちばん確実な近道だと思います。

まとめ

神社でしてはいけないこととして、鳥居や参道の中央を歩くこと、手水で柄杓に口をつけること、賽銭を投げること、鈴を鳴らし続けること、ご神木や石を持ち帰ること、本殿を無断で撮影することなどが挙げられます。願い事では他人の不幸を願わず、お礼参りを忘れないようにしましょう。

一方で、複数の神社を回ってはいけない、お守りを複数持ってはいけないといった話には根拠がありません。作法の根本にあるのは、清浄を保つことと相手を敬うことの二つだけです。大切なお宅に伺う気持ちで参拝すれば、自然と形は整います。

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祓え給い、清め給え

「祓え給い、清め給え、神ながら守り給い、幸え給え」の語源・歴史・実践法をさらに深く知りたい方へ。

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