時代別の天皇一覧と順番|飛鳥から江戸まで誰が実権を握っていたか

時代別の天皇一覧と順番|飛鳥から江戸まで誰が実権を握っていたか

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祓え給い、清め給え

「飛鳥時代の天皇って誰だったっけ」「鎌倉時代の天皇の順番が知りたい」。歴史を調べていると、時代ごとにどの天皇がいたのかを確認したくなる場面がよくあります。

この記事では、飛鳥時代から江戸時代まで、時代ごとの天皇を順番に一覧でまとめました。あわせて、その時代に実権を握っていたのは誰だったのか、天皇がどのような立場に置かれていたのかという背景も添えています。年表として使いながら、時代の流れもつかめる構成にしました。

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時代区分と天皇の対応をざっくりつかむ

細かい一覧に入る前に、全体像を押さえておきましょう。

時代おおよその期間代の範囲実権を握っていた勢力
飛鳥時代592年〜710年第33代〜第43代ごろ蘇我氏、のち天皇自身(律令国家へ)
奈良時代710年〜794年第43代〜第50代ごろ天皇と藤原氏
平安時代794年〜1185年ごろ第50代〜第82代ごろ藤原氏の摂関政治、のち院政、末期は平氏
鎌倉時代1185年〜1333年第82代〜第96代ごろ鎌倉幕府(源氏、のち北条氏)
南北朝時代1336年〜1392年南朝と北朝が並立足利氏と南朝勢力
室町時代1336年〜1573年第96代〜第106代ごろ室町幕府(足利氏)
安土桃山時代1573年〜1603年第106代〜第107代織田信長、豊臣秀吉
江戸時代1603年〜1868年第107代〜第122代江戸幕府(徳川氏)

時代区分と天皇の代がぴったり一致しないのは、時代の区切りが政治体制の変化で決められているためです。天皇の在位はそれとは別の流れで続いていますので、境目の天皇は二つの時代にまたがります。

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飛鳥時代の天皇

天皇主な出来事
33推古天皇日本初の女性天皇。聖徳太子が摂政となる
34舒明天皇第1回の遣唐使を派遣
35皇極天皇在位中に乙巳の変が起こる
36孝徳天皇大化の改新を進める
37斉明天皇皇極天皇が再び即位(重祚)
38天智天皇中大兄皇子。白村江の敗戦後に近江へ遷都
39弘文天皇壬申の乱で敗れる
40天武天皇壬申の乱に勝利。律令国家の基礎を築く
41持統天皇藤原京へ遷都
42文武天皇大宝律令が制定される
43元明天皇平城京へ遷都し奈良時代へ

飛鳥時代は、日本が国家としての形を整えた時期です。女性天皇が3人(推古・皇極斉明・持統)も立っていることが目を引きます。豪族の力が強く、次の天皇を決めるまでの調整役として、あるいは有力な血統を保つ存在として、女性天皇が重要な役割を果たしていたと考えられています。

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奈良時代の天皇

天皇主な出来事
43元明天皇平城京遷都。古事記が完成
44元正天皇日本書紀が完成
45聖武天皇東大寺大仏の造立。国分寺を建立
46孝謙天皇聖武天皇の娘
47淳仁天皇藤原仲麻呂の乱で廃位
48称徳天皇孝謙天皇が重祚。道鏡を重用
49光仁天皇天智天皇系へ皇統が移る
50桓武天皇平安京へ遷都し平安時代へ

奈良時代は、疫病や政変が相次いだ不安定な時代でした。聖武天皇が大仏造立に踏み切った背景には、天然痘の大流行や飢饉、藤原広嗣の乱があります。仏教の力で国を鎮めようとしたのです。

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平安時代の天皇

平安時代は約400年と長く、天皇も30代以上に及びます。ここでは節目となる天皇を挙げます。

天皇主な出来事
50桓武天皇平安京遷都。蝦夷征討を進める
52嵯峨天皇薬子の変。書に優れ三筆の一人
56清和天皇藤原良房が摂政となり摂関政治が始まる
60醍醐天皇延喜の治。菅原道真を左遷
66一条天皇紫式部や清少納言が活躍した時代
71後三条天皇藤原氏を外戚としない天皇。荘園整理を進める
72白河天皇譲位後に院政を始める
75崇徳天皇保元の乱に敗れ讃岐へ。日本三大怨霊の一人とされる
77後白河天皇平氏と源氏の台頭。長く院政を敷く
81安徳天皇壇ノ浦で幼くして入水

平安時代の天皇を追うと、権力の形が三段階で変わっていくのが見えてきます。前半は天皇自身が政治を行い、中期は藤原氏が摂政・関白として実権を握り、後期は天皇が譲位して上皇となり院政を行いました。天皇の座を降りたほうが自由に権力を振るえるという逆転が起きたのが院政です。

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鎌倉時代の天皇

天皇主な出来事
82後鳥羽天皇譲位後、承久の乱を起こし隠岐へ流される
83土御門天皇承久の乱後、自ら土佐へ移る
84順徳天皇承久の乱に加担し佐渡へ流される
85仲恭天皇在位わずか数十日で廃位
88後嵯峨天皇皇統が持明院統と大覚寺統に分かれる原因となる
90亀山天皇元寇の時期。大覚寺統の祖
96後醍醐天皇鎌倉幕府を倒し建武の新政を始める

鎌倉時代は、天皇にとって厳しい時代でした。承久の乱で後鳥羽上皇が敗れて以降、幕府が皇位の継承にまで介入するようになります。この時期に生まれた皇統の分裂が、後の南北朝時代につながっていきました。

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南北朝時代の天皇

南北朝時代は、二つの朝廷が同時に存在した特殊な時期です。

南朝(吉野)北朝(京都)
後醍醐天皇(96代)光厳天皇
後村上天皇(97代)光明天皇
長慶天皇(98代)崇光天皇、後光厳天皇
後亀山天皇(99代)後円融天皇、後小松天皇

現在の代数の数え方では南朝が正統とされ、北朝の天皇は歴代に数えられていません。これは明治時代に政府が決めた方針によるもので、三種の神器を保持していたのが南朝だったことが根拠とされました。1392年に南北朝が合一し、以後は北朝系の血統が続いていきます。

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室町・安土桃山・江戸時代の天皇

天皇時代と出来事
100後小松天皇室町。南北朝の合一
103後土御門天皇室町。応仁の乱が起こる
105後奈良天皇室町。朝廷の財政難が深刻化し即位の礼が延期される
106正親町天皇安土桃山。信長・秀吉と関わる
107後陽成天皇安土桃山から江戸へ
108後水尾天皇江戸。紫衣事件で幕府と対立し譲位
109明正天皇江戸。859年ぶりの女性天皇
117後桜町天皇江戸。現在のところ最後の女性天皇
121孝明天皇江戸。開国と攘夷に揺れる幕末
122明治天皇明治維新。近代日本へ

室町から戦国にかけては、朝廷の財政が極度に苦しくなった時期です。後奈良天皇は即位の礼を行う費用がなく、大内氏らの献金でようやく実施できたと伝わります。天皇の権威が最も細っていた時代と言えるでしょう。

それでも皇統が絶えなかったところに、日本という国の特異さがあります。実権を失っても、権威の源泉としては必要とされ続けたのです。

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天皇の名前はいつ決まるのでしょうか

一覧を見ていて気づかれたかもしれませんが、「後醍醐」「後鳥羽」のように「後」がつく天皇が数多くいます。これは、慕われた先代の名を継いだものです。後醍醐天皇は、延喜の治で知られる醍醐天皇の政治を理想としたため、生前から自ら後醍醐と名乗ることを望んだと伝えられます。

そして重要な点として、これらの名前はすべて崩御後に贈られたものです。生前は今上天皇と呼ばれ、実名である諱で呼ぶことはありませんでした。

筆者の考察

時代別に天皇を並べてみると、日本史の教科書ではあまり強調されない事実が浮かび上がります。実権を握っていた時期のほうが、圧倒的に短いということです。

天皇自身が政治を動かしていたのは、飛鳥から奈良、平安初期までの限られた期間です。その後は摂関政治、院政、幕府と、実権は次々と別の場所へ移っていきました。それでも天皇は廃されず、新たな権力者は必ず朝廷から官職を受けて自らを正統化しました。征夷大将軍という地位も、天皇が任命するものです。

力を持たないことによって、かえって長く続いた。これは日本史を貫く不思議な構造だと思います。実権と権威を切り離し、権威のほうを動かさずに置いておく。だからこそ、権力争いが起きても国の枠組みそのものは壊れずに済んだのかもしれません。時代ごとの天皇一覧は、その千年以上の実験の記録でもあるのです。

まとめ

飛鳥時代は推古天皇から元明天皇まで、奈良時代は元明天皇から桓武天皇まで、平安時代は桓武天皇から安徳天皇のころまで、鎌倉時代は後鳥羽天皇から後醍醐天皇までが、それぞれの時代を生きた天皇です。南北朝時代は二つの朝廷が並立し、現在は南朝が正統とされています。

時代区分と天皇の代は完全には一致しません。境目の天皇は二つの時代にまたがるためです。実権は蘇我氏、藤原氏、上皇、幕府へと移り変わりましたが、皇統そのものは途切れることなく続きました。この一覧を手元に置いて、歴史を調べる際の道しるべにしていただければ幸いです。

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