祟られたと感じたときに確かめること|神道では祟りをどう捉えるか、お祓いの前にできること

祟られたと感じたときに確かめること|神道では祟りをどう捉えるか、お祓いの前にできること

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祓え給い、清め給え

祟られたかもしれない。そう感じて調べておられる方に、まずお伝えしたいことがあります。

悪いことが続いたとき、それを祟りとして受け取るのは、日本人にとって自然な発想です。おかしなことではありません。この列島では千年以上、災いを神や御霊のはたらきとして受け止める考え方が積み重ねられてきました。

日本人は、悪いことが起きると「自分の行いが悪かったからだ」「あの時ああゆうことをしたからだ」「自然の摂理に逆らったり、しきたりを破ったりしたから」というように言われちゃうことありますよね。

ただし、神道の考え方に照らすと、押さえておきたい点がいくつかあります。祟りとは罰ではないこと。個人が自分で判定するものではないこと。そして、対処には順番があることです。

この記事では、祟られたと感じるときに何が起きているのかを整理し、日本の信仰が祟りをどう扱ってきたかを確かめ、そのうえで実際にできることを順に挙げていきます。

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はじめに、落ち着いて見ていただきたいこと

三つ申し上げます。

ひとつ。神道には、自分が祟られているかどうかを個人が判定するための作法がありません。祟りを見分ける手順や、当てはまれば祟りと決まる項目のようなものは、伝統のなかに存在しないのです。ですから、当てはまる項目が多いから祟られている、という判断の仕方は、そもそも神道の考え方ではありません。

ふたつ。不運が続くことと、祟りは同じではありません。人生には、理由のはっきりしない不調が重なる時期があります。それを何かのせいにしたくなるのは自然な心の動きですが、重なったこと自体が原因の証明にはなりません。

みっつ。もし体調や気分の不調が続いているなら、まず医療の側で確かめていただきたいと思います。これは信仰を軽んじる話ではありません。順番の話です。体の問題を信仰で解こうとすると、どちらも遠回りになってしまいます。

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「祟られた」と言われる現象を整理します

祟りの兆候として語られることを並べ、先に確かめたいことを添えます。否定するためではありません。切り分けるためです。

よく挙げられること先に確かめたいこと
悪いことが立て続けに起きる疲れているときは、同じ出来事でも重く感じます。時期を書き出すと偏りが見えることがあります
体調がずっとすぐれない季節の変わり目、睡眠、持病の影響が考えられます。まず受診をおすすめします
寝つけない、悪い夢を見る不安が続くと睡眠は乱れます。不安の原因と結果が入れ替わっていないか確かめます
物が壊れる、失くす注意力が落ちているときに起きやすくなります。これも疲れの結果である場合があります
家族にも不調が続く同居していれば環境も生活習慣も共有しています。住まいや季節の要因を見てみます
心当たりの場所へ行った後から時期が一致すること自体は、因果の証明にはなりません。ただ気になる気持ちは無理に抑えなくてよいと思います

別の説明が成り立つからといって、気持ちが晴れるとは限りません。それはよくわかります。ただ、順番として、ここを一度通っておくことをおすすめします。

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神道では、祟りをどう捉えてきたのでしょうか

祟るとは、もともと「現れる」という意味でした

ここは、ぜひ知っておいていただきたい点です。

タタルという語の成り立ちについては、立つという語と関わるという見方が示されてきました。神が立ち現れる、姿を見せる、という意味あいです。

つまり祟りとは、もともと悪意ある攻撃を指す言葉ではありませんでした。ふだん目に見えない神が、何らかの形で現れた状態を指していたのです。現れ方が激しければ人には災いと映る。しかしそれは、神の側からすれば意思表示にすぎません。

荒御魂という考え方

神道では、同じ神に二つの側面があると考えます。荒々しく現れる荒御魂と、穏やかに現れる和御魂です。

台風は家を壊しますが、同じ雨が田を潤します。火は家を焼きますが、同じ火が食事を作ります。自然の力に善悪はなく、現れ方が違うだけである。この感覚をそのまま神に当てはめたものが、荒御魂と和御魂という捉え方です。

ここから、大事なことが導かれます。祟りは罰ではないということです。悪いことをしたから罰が当たったという構図では、日本の神々は語られてきませんでした。荒く現れている状態を、穏やかな状態へ戻す。それが求められてきた対応です。

だから、対処は「鎮める」ことでした

祟りに対して日本人が取ってきた方法は、退けることではありません。丁重に祀ることでした。

菅原道真、平将門、崇徳天皇。恐れられた御霊は、追い払われるのではなく、社に迎えられて神として祀られました。恐ろしい相手を、味方に変えてしまう。これが御霊信仰と呼ばれる考え方です。

祟り神という言い方があります。災いをもたらす神という意味ですが、同時に、丁重に祀れば強い守り神になるとされてきました。祟るほどの力があるということは、守るときにもそれだけの力があるという理解です。

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それでも気になるときに、できること

順番をつけて挙げます。上から順に試していただくのがよいと思います。

順番すること考え方
1体と生活の点検睡眠、食事、受診。ここを整えると見え方が変わることがあります
2住まいを掃除するとくに水回りと玄関。神道では清めることが第一の作法です
3手や口を清める禊のもっとも簡単な形です。神社の手水と同じ考え方です
4氏神様に参拝する自分の住む土地を守る神です。特別な願いでなくても構いません
5神社でお祓いを受ける気持ちの区切りとして有効です。社務所に相談してください
6心当たりに応じた行動お墓参りを欠かしていた、謝っていない相手がいるなど、思い当たることに手を打ちます

お祓いは、どこでどう頼めばよいのですか

近くの神社の社務所で相談できます。厄除けや災難除けといった名目で受け付けている社が多くあります。

祈祷料は社によって異なりますが、5千円から1万円程度を目安としているところが一般的です。相談すれば教えてもらえますので、遠慮なく尋ねてください。

なお、神社でお祓いを受ける意味について、筆者は次のように考えています。祟りを物理的に取り除く作業というより、いったん区切りをつけるための行為です。ここまでを祓ったと納得することで、同じことを気にし続ける状態から抜け出せる。その効き方のほうが本質的だと思います。

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気をつけていただきたいこと

ここは、はっきり書いておきます。

祟られているという不安は、残念ながら付け込まれやすいものです。次のような相手には近づかないでいただきたいと思います。

こう言われたらどう考えるか
今すぐ祓わないと悪化する急がせるのは判断させないためです。急ぐ必要はありません
先祖が苦しんでいると告げられる確かめようのないことを言って不安を強める言い方です
高額な品物で解決すると言われる物を買うことで祟りが解けるという考え方は、神道にはありません
家族には言わないようにと求められる相談されると困る事情がある、ということです
金額が段階的に上がっていく典型的な進み方です。その時点で離れてください

神社の祈祷は、料金が事前にわかり、断っても何も言われません。これが健全な形です。不安を大きくして金銭を求めてくる相手は、神道とは無関係だと考えてください。

そして、ひとりで抱えないでいただきたいと思います。家族でも友人でも、話せる相手に一度声に出してみてください。口に出すと輪郭がはっきりして、それだけで軽くなることがあります。

気分の落ち込みや不眠が続いている場合は、心療内科や精神科に相談することも選択肢に入れてください。相談することは弱さではありません。

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筆者の考察 「祟られた」と感じるとき、人は説明を探しています

理由がわからないことのほうが、つらいのです

なぜ祟りという考え方が、これほど長く残ってきたのでしょうか。

筆者は、人が理由のない苦しみに耐えにくいからだと考えています。原因がわかれば、対処ができます。しかし原因が見えないと、何をすればよいのかもわかりません。その状態が続くことのほうが、つらいのです。

祟りという説明は、そこに筋道を与えます。そして同時に、対処の道も示します。祀れば鎮まる、という道です。ここが優れているところだと思います。原因を名指しして終わりにせず、必ず次の行動が用意されているのです。

日本の作法は、原因の特定より区切りをつけることでした

もうひとつ、気づいておきたいことがあります。

大祓の祝詞では、罪も穢れも、川の流れに乗せて海へ運び、そこで消えてしまうと語られます。誰が悪かったかを問いません。どこまで清まったかを確かめる手続きもありません。ただ、流したことにして、そこで終わりにするのです。

これは、たいへん実用的な仕組みだと思います。原因を突き止めようとすれば、いつまでも終わりません。祓いという行為は、区切りをつけるための装置として働いてきました。

ですから、祟られたかどうかを突き止めることに時間をかけるより、いったん区切りをつけて前へ進むほうが、作法としても理にかなっています。半年に一度、みなでまとめて祓う。そういうやり方を、この国は選んできました。

恐れた相手を、味方に変えてきた歴史

最後にもう一度、御霊信仰の話に戻ります。

この国の人々は、恐ろしいものを消そうとはしませんでした。社を建て、名を呼び、供え物をして、こちらの側に迎えました。天神さまとして学問の神になった菅原道真が、その代表です。

恐れは、向き合い方を変えれば力になる。千年をかけて確かめられてきたのは、そういうことだったのではないでしょうか。いま不安を抱えておられる方にとっても、この考え方は役に立つかもしれません。消そうとしなくてよいのです。置き場所を決めれば、それで足ります。

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祟りについてよくある質問

自分が祟られているかどうか、確かめる方法はありますか

神道の伝統のなかに、個人がそれを判定する方法はありません。確かめられると言う人がいたとしても、その根拠を示せるものではないとお考えください。気になる場合は、神社に相談し、お祓いを受けて区切りをつけるのが現実的な対応です。

お墓参りをしていないと祟られますか

そのような考え方は、神道にも仏教にもありません。行けない事情は誰にでもあります。ただ、気にかかっているのであれば、行ける時期に行くことで気持ちが整うということはあるでしょう。罰を避けるためではなく、自分の区切りとして考えていただければよいと思います。

神社やお寺で不作法をしてしまいました

知らずにした作法の誤りを、神が怒って祟るという考え方は伝統的ではありません。気になる場合は、次にお参りするときに一言お詫びを申し上げれば十分です。神道では、心を向けることそのものを重んじます。

木を切った、石を動かした、土地を掘った場合はどうですか

そうした行為に先立って祭りを行う習わしは、たしかにあります。地鎮祭や、伐採の前に山や木へ捧げる祭りがそれです。すでに行ってしまった場合でも、あとから神職に相談してお祓いを受けることができます。気づいた時点で筋を通せば足ります。

人を呪いたい気持ちがあります

そうした気持ちを抱くことは、誰にでも起こりえます。ただ、日本の伝承では、呪いは自分に返るとくり返し語られてきました。丑の刻参りの話にも、人を呪えば自らも鬼になるという筋が付いています。

相手を動かそうとするより、自分の身を守るほうへ力を向けるのが、この国の作法です。結界という考え方も、攻めるためではなく境を保つためのものでした。

お祓いを受けたのに気持ちが晴れません

お祓いは気持ちの区切りをつける行為ですが、それだけで不調が解消するとは限りません。落ち込みや不眠が続いている場合は、体や心の側に原因があることが考えられます。医療機関に相談することを、あわせてご検討ください。

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まとめ

祟られたかどうかを個人が判定する方法は、神道の伝統のなかにはありません。まず体と生活を点検し、それから住まいを清め、氏神様に参拝する。気になれば神社でお祓いを受ける。この順番で十分です。

祟るという言葉は、もともと神が立ち現れることを指していました。罰ではありません。荒く現れている状態を穏やかに戻す、それが求められてきた対応です。日本人は恐れた相手を退けるのではなく、祀って味方に変えてきました。

そして、不安を煽って金銭を求めてくる相手からは離れてください。ひとりで抱えず、誰かに話してください。不調が続くなら、医療機関に相談していただきたいと思います。

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祓え給い、清め給え

「祓え給い、清め給え、神ながら守り給い、幸え給え」の語源・歴史・実践法をさらに深く知りたい方へ。

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日本神話と歴史
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