宇佐神宮とは?八幡総本宮の三殿と四拍手の作法|中央に祀られる比売大神は誰なのか

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全国に4万社を超える八幡宮があります。その総本宮が、大分県の宇佐神宮です。
宇佐神宮本殿は三棟あり、横に並んでいます。一之御殿に八幡大神、三之御殿に神功皇后。この二柱は正体がはっきりしています。
問題は、真ん中の二之御殿です。ここに祀られるのは比売大神(ひめおおかみ)。しかし、この神が誰であるのかは、はっきりしていません。しかも中央に位置しているのです。
この記事では、宇佐神宮の御祭神と八幡造という建築、四拍手という独特の作法、皇位継承を左右した神託事件、そして比売大神をめぐる謎を見ていきます。
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宇佐神宮の御祭神は三柱
| 御殿 | 御祭神 | どなたか |
|---|---|---|
| 一之御殿 | 八幡大神 | 第15代の応神天皇とされます |
| 二之御殿 | 比売大神 | 正体について諸説あります |
| 三之御殿 | 神功皇后 | 応神天皇の母とされます |
本殿に向かって、左から一之御殿、二之御殿、三之御殿の順に並びます。

一之御殿の八幡大神は、応神天皇と同一とされています。725年、神亀2年に創建されたと伝えられるのが、この一之御殿です。

三之御殿の神功皇后は、応神天皇の母です。母子をあわせて祀る形になっています。

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二之御殿の比売大神とは?
ここが、この社をめぐる最大の謎です。
比売とは、貴い女性を指す一般的な言い方です。つまり比売大神という呼び名は、固有名詞というより称号に近いものです。名が伝わっていない、と言い換えることもできます。
有力とされる説を挙げます。
| 説 | 内容 | 根拠とされること |
|---|---|---|
| 宗像三女神とする説 | 宗像大社に祀られる三柱の女神であるとします | 宇佐神宮自身がこの立場を示しています |
| 地主神とする説 | 八幡神が来る前からこの地にいた女神であるとします | 中央に祀られている配置が根拠とされます |
| 卑弥呼とする説 | 邪馬台国の女王であるとします | 九州説と結びつけた見方です |
筆者が重く見るのは、二番目の地主神説です。
考えてみてください。八幡大神が主祭神であるならば、その社殿が中央に置かれるのが自然です。ところが実際には、八幡大神は左端で、中央は比売大神です。
この配置は、もともとこの地に女神が祀られていて、そこへ八幡神が後から加わったと考えると説明がつきます。先にいた神を中央から動かせなかった、ということです。
もちろん推測です。ただ、名が伝わらない古い女神が、全国4万社の総本宮の中心に座り続けている。この事実そのものが、この社の古さを物語っているように思います。

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宇佐神宮の本殿三棟は八幡造という建築様式

宇佐神宮の本殿三棟は、八幡造と呼ばれる様式で建てられ、いずれも国宝です。
八幡造の特徴は、二つの建物を前後につなげることです。前殿と後殿が並び、その間の屋根が谷になります。横から見ると、屋根が二つ連なった形に見えます。
| 特徴 | 内容 |
|---|---|
| 構成 | 前殿と後殿を前後に連結します |
| 入口の向き | 平入。屋根が横に長く見えます |
| 屋根 | 切妻造。二棟の間が谷になります |
| 色 | 朱塗りと白壁。金の装飾も施されます |
| 代表例 | 宇佐神宮と、京都の石清水八幡宮 |
なぜ二棟をつなげるのか。後殿を夜のお住まい、前殿を昼のお住まいと説明することがあります。神が昼と夜で場所を移されるという考え方です。
伊勢の神明造や出雲の大社造が、倉や住居に近い簡素な一棟であるのに対し、八幡造はずいぶん手が込んでいます。成立の時期が下るぶん、建築として発展した形といえます。
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二拝四拍手一拝という作法
宇佐神宮では、参拝の作法が一般と異なります。拍手を四回打ちます。
二回お辞儀をし、四回手を打ち、最後にもう一度お辞儀をする。二拝四拍手一拝です。
四拍手を作法とする社は、ほかに出雲大社が知られています。全国でもごく限られた社だけに残る形です。
なぜ四回なのかについては、決着した説明がありません。二拍手が一般化する以前の古い作法が残ったという見方、四柱の神に対応するという見方などが唱えられています。
ここで押さえておきたいのは、現在の二拍手が明治以降に標準化されたものだという点です。それ以前は、社によって回数が違いました。つまり宇佐や出雲が例外なのではなく、統一されなかった社がここだ、と考えるほうが実態に近いのです。
上宮と下宮、両方お参り
もうひとつ、この社ならではの習わしがあります。
宇佐神宮には上宮と下宮があります。そして、下宮まで参らなければ片参りになる、と言い伝えられてきました。上宮だけで帰ってはいけない、という意味です。
参拝の際は、上宮で三殿を順に拝んだあと、下宮へも足を運ぶ。これが正式な形とされています。
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皇位継承を左右した、神託事件
宇佐神宮は、日本史上もっとも重い局面に登場したことがあります。769年、神護景雲3年の出来事です。
道鏡を皇位につけよという神託
当時、称徳天皇のもとで僧の道鏡が強い権勢を握っていました。そこへ、宇佐八幡宮から神託がもたらされます。道鏡を皇位につけるべし、という内容でした。
天皇家の血筋でない者を天皇にするという話です。前例のないことでした。
称徳天皇は、和気清麻呂を宇佐へ遣わし、神意を改めて確かめさせます。そして清麻呂が持ち帰った神託は、正反対のものでした。天つ日嗣は必ず皇緒を立てよ。つまり、皇統の者を立てなさい、という内容です。
この報告によって、清麻呂と姉の広虫は処罰されます。しかし結果として、道鏡が天皇になることはありませんでした。
この事件が示していること
筆者が注目したいのは、神託が二度出ていることです。しかも内容が正反対でした。
神託とは、それを持ち帰る人間を通して伝えられます。ですから、誰が聞いたかによって内容が変わりうる。この事件は、その危うさを歴史のなかで最も鮮明に示した例だといえます。
神の言葉には、それを見極める役が必要である。古代の神道が審神者という役を置いてきた理由が、この一件からも見えてきます。皇位という最大の問題が、神の言葉ひとつで動きかけたのです。
ともあれ、九州の一社が朝廷の中枢を揺るがしたことになります。宇佐神宮がいかに重い位置を占めていたかが、この出来事からわかります。
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八幡神は、なぜ全国に広まったのでしょうか
4万社を超えるという数は、全国の神社のなかでも最多とされます。どうしてこれほど広がったのでしょうか。
| 段階 | できごと |
|---|---|
| 奈良時代 | 東大寺の大仏造立に協力するとの託宣があり、八幡神が都へ迎えられます |
| 平安時代前期 | 京都の男山へ勧請され、石清水八幡宮が創建されます |
| 平安時代後期 | 源氏が氏神として仰ぐようになります |
| 鎌倉時代以降 | 武家の信仰として全国へ広がります |
| 神仏習合のなかで | 八幡大菩薩と呼ばれ、寺院にも祀られます |
広まり方の鍵は、二つあったと考えられます。
ひとつは、武家の氏神になったことです。源氏が八幡神を仰ぎ、武士が各地へ移るたびに社を建てました。神は人の移動に乗って運ばれます。武士の世が続いたことが、そのまま八幡宮の数になりました。
もうひとつは、仏教との結びつきです。八幡神は八幡大菩薩と呼ばれ、神でありながら菩薩としても扱われました。神社にも寺にも祀ることができたわけです。受け入れ先が二倍になったといってよいでしょう。
八幡神は、神仏習合のもっとも成功した例だといえます。菩薩号を持つ神という、理屈としては無理のある存在が、千年にわたって成り立ちました。

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宇佐神宮についてよくある質問
宇佐神宮のご利益は何ですか
八幡神が武家の守り神とされてきたことから、勝負運や厄除けで知られます。神功皇后が祀られることから安産や子育ての信仰もあります。比売大神については、縁結びや心願成就を願う方がおられます。
三殿はどの順で参拝しますか
一之御殿、二之御殿、三之御殿の順に拝むのが一般的です。それぞれの前で二拝四拍手一拝を行います。そのうえで下宮へも参るのが正式な形とされています。
石清水八幡宮や鶴岡八幡宮との関係はどうなりますか
いずれも宇佐神宮から神霊を分けて祀られた社です。石清水八幡宮は平安前期に宇佐から勧請され、鶴岡八幡宮は源氏によって石清水から迎えられました。系統をたどると、すべて宇佐に行き着きます。
なぜ神宮という名なのですか
神宮の称号は、皇室と特別に関わりの深い社に用いられます。宇佐は八幡大神を応神天皇として祀ることから、この称を得ています。古くは宇佐八幡宮とも呼ばれてきました。
四拍手を忘れて二拍手してしまいました
気にされなくて差し支えありません。作法は敬意を形にしたものであり、回数を間違えたことで神が咎めるという考え方はありません。次の御殿から四拍手に直せば十分です。
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まとめ
宇佐神宮は、全国4万社を超える八幡宮の総本宮です。725年に一之御殿が創建されたと伝えられ、八幡大神、比売大神、神功皇后の三柱を祀ります。
中央の二之御殿に祀られる比売大神の正体は、はっきりしていません。主祭神であるはずの八幡大神が左端に置かれ、名の伝わらない女神が中央に座っている。この配置は、八幡神より前からこの地に祀られていた神がいたことを示すのかもしれません。
本殿は八幡造という前後二棟をつなげた様式で国宝。参拝は二拝四拍手一拝で、下宮まで参らねば片参りとされます。そして769年には、道鏡をめぐる神託によって皇位継承の行方を左右しました。九州の一社が国の中枢を動かしたことを、この社の歴史は記録しています。







