上賀茂神社と下鴨神社の違い|賀茂社に祀られる親子三代の神と、父のいない誕生の伝説

上賀茂神社と下鴨神社の違い|賀茂社に祀られる親子三代の神と、父のいない誕生の伝説

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祓え給い、清め給え

京都に、上賀茂神社と下鴨神社という二つの社があります。あわせて賀茂社と呼ばれます。

上賀茂神社と下鴨神社の二社の関係を、こう説明すると分かりやすくなります。祀られている神様は、祖父、母、孫の親子三代なのです。下鴨に祖父と母、上賀茂に孫。三柱で一つの家族を構成しています。

しかも、この家族には父親が登場しません。母が拾った一本の矢によって子が生まれた、と伝えられているからです。

この記事では、賀茂社の二社の違いと御祭神、丹塗矢の伝説、神武天皇を導いた神との関係、葵祭、そして流造の代表とされる本殿までを見ていきます。平安京よりも古い、京都最古級の社の話です。

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上賀茂神社と下鴨神社の違い

上賀茂神社と下鴨神社の違い

まず、正式な名前と御祭神を整理します。

観点上賀茂神社下鴨神社
正式名賀茂別雷神社賀茂御祖神社
読みかもわけいかづちじんじゃかもみおやじんじゃ
御祭神賀茂別雷大神賀茂建角身命、玉依媛命
三代の関係孫祖父と母
場所賀茂川の上流側賀茂川と高野川の合流点
特徴的な景観立砂と呼ばれる円錐形の砂糺の森と呼ばれる原生林

名前に注目してください。下鴨神社の正式名は賀茂御祖神社です。御祖とは、祖先という意味です。つまり名前そのものが、上賀茂の神の祖先を祀る社であることを示しています。

上と下という呼び方は、川の流れによるものです。上流にあるのが上賀茂、下流にあるのが下鴨。位が上下しているわけではありません。

賀茂と鴨、表記が違うのはなぜでしょうか

上賀茂は賀茂、下鴨は鴨と書きます。正式名はどちらも賀茂ですので、下鴨神社という呼び名だけが鴨の字を使っていることになります。

どちらも同じカモという音を写したもので、この地に勢力を持った賀茂氏の名に由来します。ただ、2つの字の性格は同じではありません。

「賀茂」は音だけを写した表記で、字そのものに意味はありません。対して「鴨」は水鳥を表す字です。ここで気になることがあります。下鴨神社に祀られる賀茂建角身命は、八咫烏に姿を変えて神武天皇を導いた神とされています。つまり賀茂氏の祖は鳥なのです。

川の名も同じように分かれています。出町柳で高野川と合流するまでは「賀茂川」、合流してからは「鴨川」。同じ1本の川なのに、途中から字が変わります。

意味を持たない「賀茂」が正式な社名と上流の川に残り、鳥を表す「鴨」が通称と下流の川に残りました。筆者はこの分かれ方に、記録と記憶の違いを見る気がします。公式の名は音を守り、人の口に残った名は物語を守った。鴨の字を選んだ誰かは、鳥に化ける神のことを覚えていたのではないでしょうか。

なお「カモ」の語源を「神(かみ)」の転とする説もあります。これに従えば、賀茂社は字の通り「神の社」ということになります。

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丹塗矢の伝説 父のいない誕生

賀茂社の由緒を語るうえで欠かせないのが、この話です。『山城国風土記』の逸文に伝えられています。

玉依媛命が川で遊んでいたとき、上流から丹塗りの矢が流れてきました。美しい矢だったので拾い上げ、家に持ち帰って寝床のそばに置きました。

すると、やがて身重になり、男の子が生まれます。

子が成長したころ、祖父の賀茂建角身命が宴を開き、集まった者たちの前で孫に酒を勧めました。おまえの父と思う者にこの酒を飲ませなさい、と。

子は誰にも杯を渡しませんでした。そのかわり、屋根を突き破って天へ昇っていったと伝えられます。

ここで、父が誰であったかが明かされます。矢は雷の神が姿を変えたものでした。だからこの子は、雷を分けた神、すなわち賀茂別雷大神と呼ばれるようになったのです。

この話は何を伝えているのでしょうか

筆者は、この伝説に二つのことが込められていると考えています。

ひとつは、水と雷の結びつきです。矢は川を流れてきました。そしてその正体は雷の神でした。雷が鳴れば雨が降り、川が満ちて田を潤します。農耕を営む人々にとって、雷と水は一続きの現象でした。

もうひとつは、天へ昇るという結末です。生まれた子が屋根を破って天へ去る。これは人の血筋ではないことの証明です。神の子であるという主張が、この一場面に集約されています。

賀茂氏は、自分たちの祖先が雷神の子であると語ったことになります。強い主張です。

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祖父の賀茂建角身命は、神武天皇を導いた神です

ここは見落とされやすいところですが、きわめて重要です。

下鴨神社に祀られる賀茂建角身命は、神武天皇の東征を導いた神とされています。八咫烏に姿を変えて、熊野の山中で道に迷った一行を先導した、という伝承です。

つまり賀茂氏は、建国の場面に自分たちの祖先を配置していることになります。天皇家が大和に入るのを助けた一族である、という位置づけです。

これを踏まえると、賀茂社の三代の構図が見えてきます。建国を助けた祖父、雷神の子を生んだ母、そして雷を分けた孫。この三柱を並べることで、賀茂氏は自らの由緒を語ったのです。

藤原氏が奈良に春日大社を築いたのと、構造としては同じことをしています。氏族が自らの祖神を祀り、その由緒によって地位を語る。古代の社には、こうした性格のものが少なくありません。

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賀茂社は平安京より古い社とも

賀茂社の創建年は、はっきりしていません。ただ、確かなことがあります。平安京への遷都よりも前から、この地に鎮座していたということです。

794年に都が移されたとき、賀茂社はすでにこの土地の神として祀られていました。つまり都が後からやって来たのです。京都最古級の社と呼ばれる理由がここにあります。

そして、都の守り神に

遷都のあと、賀茂社は朝廷から特別な扱いを受けるようになります。

とくに大きいのが、斎王が置かれたことです。皇女が神に仕える役として賀茂社へ遣わされました。この制度は伊勢の神宮にもありましたが、ほかの社には例がありません。賀茂社が伊勢と並ぶ扱いを受けていたことになります。

もとは地方の氏族の祖神でした。それが都の鎮護を担う社へと位置づけを変えていった。土地の神が国家の神になっていく過程を、賀茂社はよく示しています。

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葵祭 京都三大祭のひとつ

賀茂社の祭りが、葵祭です。正式には賀茂祭といい、毎年5月15日に行われます。

項目内容
日付5月15日
正式名賀茂祭
行列京都御所を出発し、下鴨神社を経て上賀茂神社へ向かいます
装い平安装束。行列全体で500名を超える規模になります
葵の名フタバアオイの葉を装束や牛車に飾ることに由来します
斎王代かつての斎王にならい、女性が選ばれて行列に加わります

この祭りの特徴は、勅使が派遣される勅祭であることです。朝廷の使者が訪れる形が今も保たれています。行列が御所から出発するのも、そのためです。

葵の葉は、賀茂社の神紋にもなっています。参拝の際に社殿の装飾を見ていただくと、この葉の形を見つけられます。

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流造の代表とされる本殿

建築の面でも、賀茂社は重要な位置を占めます。両社の本殿が、いずれも流造の代表例として国宝に指定されているのです。

特徴内容
入口の向き平入。屋根が横に長く見えます
屋根の形正面側だけが長く伸びて庇になります
規模三間社。正面が三間あります
普及の度合い流造は全国の神社本殿でもっとも数の多い様式です

お住まいの近くの神社を思い浮かべてみてください。正面の屋根が長く伸びて、その下で参拝する形。おそらく多くの方がこの形を思い浮かべるはずです。その原型が、賀茂社の本殿にあります。

21年ごとの式年遷宮

賀茂社にも、定期的に社殿を造り替える制度があります。周期は21年です。

伊勢が20年、春日も20年、そして賀茂が21年。なぜ1年ずれているのかについては諸説あり、決着していません。

ただ、いずれの社も20年前後の周期を選んでいることは注目に値します。職人が一生のうちに複数回関わることができ、技術を次の世代へ渡せる長さです。周期の意味を考えるうえで、この一致は手がかりになると思います。

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参拝の見どころ

神馬
社見どころ内容
上賀茂立砂細殿の前に二つ並ぶ円錐形の砂。神が降りた神山を模したとされます
上賀茂ならの小川境内を流れる清流。歌にも詠まれてきました
上賀茂社家町神職の家が並ぶ町並みが残り、重要伝統的建造物群保存地区です
下鴨糺の森原生林が残る参道。都市のなかでは稀な環境です
下鴨河合神社摂社。鏡絵馬で知られています
下鴨御手洗池土用の丑の日に足をつける習わしがあります

上賀茂の立砂は、ぜひご覧いただきたいものです。円錐形に整えられた砂が二つ並びます。神が降臨したとされる神山の形を写したものと説明され、社殿ではなく山へ向かう信仰の名残りを今に伝えています。

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筆者の考察 父を明かさない神話について

賀茂社の神話をあらためて眺めて、興味深く思う点があります。

この伝説は、父が誰かを最後まで人の口で語らせません。祖父が問い、子は答えず、屋根を破って去ることで示します。言葉ではなく、行為で証明する形です。

もし父の名を口で述べていたら、それは主張にすぎません。疑う余地が残ります。ところが屋根を破って天へ昇るという出来事は、目に見える証拠として働きます。物語の作り方として、たいへん巧みだと思います。

そしてもうひとつ。母の玉依媛命は、自分から神を招いたわけではありません。川を流れてきた矢を、美しいから拾っただけです。意図せずして神と結ばれた、という筋になっています。

ここに神道の考え方が出ているように思います。神は求めて掴むものではなく、向こうから訪れるもの。依り代に宿るものである。矢という物に神が乗ってやって来るという筋立ては、この感覚をそのまま物語にしたものだと筆者は捉えています。

賀茂社についてよくある質問

上賀茂と下鴨は、どちらから参拝すべきですか

決まりはありません。ただ、祖父と母を祀る下鴨から、孫を祀る上賀茂へ向かう順が、系譜の流れに沿っています。葵祭の行列も下鴨を経て上賀茂へ進みますので、この順にならう方が多いようです。

賀茂社のご利益は何ですか

上賀茂神社は雷を分ける神を祀ることから、厄除けや災難除けで知られます。下鴨神社は縁結びや安産、そして導きの神としての信仰があります。境内の摂社にもそれぞれの信仰があり、美麗祈願で知られる河合神社などがあります。

賀茂氏とはどのような一族ですか

山城の地に勢力を持った古代の氏族です。賀茂川の流域を基盤とし、賀茂社の祭祀を担いました。なお、陰陽道で知られる賀茂氏は別系統の一族であり、混同されることがあります。

両社は世界遺産ですか

1994年に登録された古都京都の文化財の構成要素として、上賀茂神社と下鴨神社の両方が含まれています。京都の17か所の社寺のうちの二つです。

葵祭は何時ごろ見られますか

行列は午前に京都御所を出発し、下鴨神社を経て、午後に上賀茂神社へ到着します。年によって時刻や経路の細部が変わりますので、当年の案内でご確認ください。雨天の場合は翌日に順延されます。

参考:賀茂別雷神社(上賀茂神社:かみがもじんじゃ)公式Webサイト
参考:上賀茂神社のやきもち 神馬堂と葵家 門前名物 葵餅の名店2軒を食べ比べガイド

まとめ

賀茂社とは、上賀茂神社と下鴨神社の二社をあわせた呼び名です。下鴨に祖父の賀茂建角身命と母の玉依媛命、上賀茂に孫の賀茂別雷大神。親子三代が二つの社に分かれて祀られています。

孫の誕生は、母が川で拾った丹塗りの矢によるものでした。その矢は雷神が姿を変えたものであり、生まれた子は屋根を破って天へ昇ったと伝えられます。祖父は八咫烏となって神武天皇を導いた神ともされています。

平安京の遷都より古く、のちに斎王が置かれて伊勢と並ぶ扱いを受けました。本殿は流造の代表として国宝に指定され、21年ごとに造り替えられています。土地の神が国家の神になっていく過程を、この二社はよく示しています。

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祓え給い、清め給え

「祓え給い、清め給え、神ながら守り給い、幸え給え」の語源・歴史・実践法をさらに深く知りたい方へ。

一語一語を古語の次元まで掘り下げた完全解説をnoteで公開しています。

「祓え」「清め」「神ながら」「幸え」それぞれの語根が持つ本当の意味、なぜ効果があるのか、深く唱えるための具体的な実践法まで書きました。

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日本神話と歴史
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