春日大社とは?御祭神の四柱と鹿が神の使いである理由|藤原氏が各地から神を集めた社

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奈良の春日大社には、四柱の神が祀られています。第一殿から第四殿まで、横に並んで建つ四つの社殿。そのそれぞれに一柱ずつ、という形です。
ここで気づいていただきたいことがあります。この四柱は、もともとこの地の神ではありません。茨城の鹿島から、千葉の香取から、大阪の枚岡から、それぞれ迎えられた神々なのです。
つまり春日大社は、各地から神を集めて作られた社でした。誰が、何のためにそうしたのか。この記事では、春日大社の御祭神と創建の経緯、鹿が神の使いとされる理由、20年ごとに社殿を建て替える式年造替、そして藤原氏との関係までを見ていきます。
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春日大社の御祭神は四柱です
まとめて春日神、あるいは春日四所明神と呼ばれます。
| 社殿 | 御祭神 | 読み | 迎えられた元の社 |
|---|---|---|---|
| 第一殿 | 武甕槌命 | たけみかづちのみこと | 鹿島神宮(茨城) |
| 第二殿 | 経津主命 | ふつぬしのみこと | 香取神宮(千葉) |
| 第三殿 | 天児屋根命 | あめのこやねのみこと | 枚岡神社(大阪) |
| 第四殿 | 比売神 | ひめがみ | 枚岡神社(大阪) |
第一殿と第二殿の神は、いずれも国譲りの場面で活躍した武神です。高天原から出雲へ遣わされ、大国主神に国を譲るよう迫った側の神々です。


第三殿の天児屋根命は、性格がまったく違います。天岩戸の前で祝詞を唱えた神であり、中臣氏、のちの藤原氏の祖神とされます。第四殿の比売神は、その妻とされる女神です。
武神が二柱、祝詞の神とその妻が二柱。この組み合わせ自体が、春日大社の性格を語っています。
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春日大社は、藤原氏が自らの氏神として整えた社
春日大社の社殿が造営されたのは768年、神護景雲2年のことです。藤原永手が中心となり、鹿島・香取・枚岡の三社から神を勧請したと伝えられます。
ここに、はっきりした構図が見えます。天児屋根命は藤原氏の祖神です。つまり自分の家の神を中央に据え、その脇を強力な武神で固めた。そういう配置なのです。
なぜ鹿島と香取から迎えたのか。この二社は、藤原氏の本拠と縁の深い常陸と下総にあります。中臣氏の勢力圏だった土地の神を、都のそばへ連れてきた。そう考えるのが自然です。

筆者はこの創建に、当時の藤原氏の勢いを感じます。神を集めるということは、それだけの動員力があったということです。しかも、自分の家の祖神と国家の武神を同じ列に並べています。ためらいがありません。
分けられた神が、また分けられていきました
そして春日大社は、全国におよそ3000社ある春日神社の総本社となります。
他社から迎えた神を祀る社が、今度は自分が本社となって各地へ神を分けていく。神霊は分けても減らないという考え方があるからこそ成り立つ流れです。藤原氏が力を伸ばすにつれ、その氏神も全国へ広がりました。
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鹿はなぜ神の使いなのでしょうか

奈良といえば鹿です。春日大社の周辺には多くの鹿がいて、参拝者に慣れています。
理由は、第一殿の武甕槌命に関わります。この神が鹿島から奈良へ遷るとき、白い鹿に乗って御蓋山(みかさやま)へ降り立ったと伝えられるのです。
そこから鹿は神の使い、神鹿として扱われるようになりました。春日大社の鹿が保護されてきたのは、観光のためではありません。神の乗り物だったからです。
御蓋山そのものが、聖地です
ここも押さえておきたい点です。武甕槌命が降り立ったとされる御蓋山は、現在も春日大社の神山として、一般の立ち入りが禁じられています。
山そのものが神域である。この形は、社殿を建てる以前の信仰のあり方を伝えています。社殿は768年に麓へ建てられましたが、その前から山が拝まれていたことになります。

春日山一帯の原始林が守られてきたのも、これが理由です。841年に狩猟と伐採が禁じられ、以後1000年以上にわたって手が入っていません。信仰が森を残したわけです。
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春日造という建築様式
春日大社の本殿は、春日造と呼ばれる様式の代表です。四棟が横に並び、いずれも国宝に指定されています。
| 特徴 | 内容 |
|---|---|
| 入口の向き | 妻入。屋根の三角が正面を向きます |
| 屋根 | 切妻造に、正面へ庇を付けます |
| 色 | 朱塗り。素木の伊勢や出雲とは対照的です |
| 規模 | 一間社。比較的小ぶりです |
| 数 | 同じ形の社殿が四棟、横に並びます |
一柱ごとに一棟という形が、この社の考え方をよく表しています。四柱をまとめて一棟に祀るのではなく、それぞれに住まいを用意する。丁重な扱い方です。
千木の削ぎ方が、御祭神によって違います
ここは、神社建築に関心のある方にとって見どころです。
屋根の上で交差する千木の切り方について、男神を祀る社は外削ぎ、女神を祀る社は内削ぎという説があります。全国的には当てはまらない俗説とされますが、春日大社の四棟については、実際に御祭神の性別と対応しているとされています。
つまり、この社では意識的に使い分けられているということです。参拝の際に屋根を見比べてみると、違いが確かめられます。
なお、若宮の千木は外削ぎと内削ぎの中間といえる角度で切られており、その理由はわかっていません。こうした謎が残っているところも、この社の面白さだと思います。
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20年ごとに建て替える、式年造替
春日大社には、20年ごとに社殿を建て替える式年造替(しきねんぞうたい)という制度があります。直近では21世紀に入ってからも行われ、すでに60回を数えています。
20年という周期を聞いて、伊勢の神宮を思い出された方も多いでしょう。ただ、両者には決定的な違いがあります。
| 観点 | 伊勢の式年遷宮 | 春日の式年造替 |
|---|---|---|
| 建てる場所 | 隣の敷地に新しく建てます | 同じ場所で建て替えます |
| 古い社殿 | 解体し、部材を各地へ譲ります | 修理して活かす部分があります |
| 神様の移動 | 隣へ遷ります | 仮殿へ移り、また戻ります |
| 呼び方 | 遷宮。遷ることが中心です | 造替。造り替えることが中心です |
同じ20年でも、伊勢は移す、春日は建て替える。用地の条件もあるでしょうが、遷宮と造替という言葉の違いに、それぞれの考え方が表れています。
いずれにしても、定期的に手を入れ続けることで形を保つという発想は共通しています。技術を持つ人を絶やさない仕組みでもあります。
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春日大社の見どころ
| 見どころ | 内容 |
|---|---|
| 参道の灯籠 | 石灯籠と釣灯籠が数千基。多くが個人や団体の奉納です |
| 万灯籠 | 2月の節分と8月に、すべての灯籠に火が入ります |
| 本殿と回廊 | 朱塗りの回廊に釣灯籠が並ぶ光景が知られています |
| 若宮神社 | 本社の南に鎮座。12月のおん祭はここの祭りです |
| 春日山原始林 | 1000年以上手が入っていない森。世界遺産の構成要素です |
| 神鹿 | 境内から奈良公園一帯にいます。野生の動物です |
灯籠の多さは、この社の特徴のひとつです。それぞれに奉納者の名が刻まれており、平安の貴族から江戸の商人、そして現代の企業まで並んでいます。信仰の記録がそのまま石に残っているわけです。
なお鹿は神の使いとされていますが、野生の動物です。近づきすぎない、食べ物を見せて焦らさないといった配慮は必要です。
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筆者の考察 神を集めるという発想について
四柱の出身地がばらばらであること
もう一度、御祭神の表を思い出してください。茨城、千葉、大阪。四柱の出身地が三か所に散っています。
これは、日本の神社としてはかなり特徴的なことです。多くの神社は、その土地に古くからいた神を祀るところから始まります。ところが春日大社は、最初から他所の神を集めて成立しました。
ここに、神霊は分けても減らないという考え方の力が現れていると筆者は考えます。もし神が一つの場所に一体しか存在できないのなら、鹿島の神を奈良へ連れてくれば、鹿島は空になってしまいます。しかしそうはならない。だから集めることができる。
武神を脇に置いたことの意味
もうひとつ考えたいのが、配置の意図です。
藤原氏の祖神である天児屋根命は、祝詞を唱える神です。言葉によって神意を伝える役です。武力の神ではありません。
その両脇に、国譲りを成し遂げた武神が並びます。言葉の神を、武の神が守る形です。藤原氏という一族の性格を、これほど正確に映した配置もないのではないでしょうか。彼らは武力で天下を取ったのではなく、朝廷の中枢で言葉と制度を扱うことで力を築きました。
社殿の並びが、その家の自己像になっている。神社を見るときに、御祭神の組み合わせを気にしてみると、こうしたことが読めてきます。
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春日大社についてよくある質問
春日大社のご利益は何ですか
武甕槌命と経津主命が武神であることから、勝負運や開運が挙げられます。天児屋根命は言葉と学問に関わる神とされ、学業や仕事の成就を願う方もおられます。若宮神社は芸能や技能の神として知られています。
鹿島神宮や香取神宮と関係がありますか
あります。春日大社の第一殿と第二殿の神は、この二社から迎えられたものです。鹿島神宮の武甕槌命、香取神宮の経津主命が、そのまま奈良で祀られていることになります。三社をあわせて参拝される方もおられます。
比売神とはどなたですか
第三殿の天児屋根命の妻とされる女神で、天美津玉照比売命(あめのみつたまてるひめのみこと)とも呼ばれます。比売という語は貴い女性を表す一般的な言い方でもあるため、具体的にどの神を指すのかについては議論があります。
春日大社は世界遺産ですか
1998年に登録された古都奈良の文化財の構成要素のひとつです。春日大社の境内だけでなく、春日山原始林も含めて登録されています。
参拝の作法に特別なものはありますか
二礼二拍手一礼が基本です。出雲大社や宇佐神宮のように拍手の回数が異なる社もありますが、春日大社は通常の作法で差し支えありません。
まとめ
春日大社の御祭神は、武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神の四柱です。それぞれ鹿島、香取、枚岡から迎えられた神々で、768年に藤原永手らによって社殿が造営されました。
鹿が神の使いとされるのは、武甕槌命が白鹿に乗って御蓋山へ降り立ったという伝承によります。その御蓋山は今も立ち入りが禁じられ、周囲の原始林とともに守られてきました。
四柱の出身地がばらばらであること、そして祝詞の神を武神が囲む配置。ここに藤原氏という一族の自己像が映っています。神を集めて社を作るという発想が成り立つのは、神霊は分けても減らないという考え方があるからです。







