東日流外三郡誌とは?津軽の古代王朝を記した文書|偽作とされる理由と、なぜ東北で生まれたのか

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青森県の一軒の家から、大量の古文書が出てきたとされる話があります。
そこに記されていたのは、津軽に独自の王朝があったという歴史でした。中央の記録には残らなかった東北の古代。村はこれを村史の資料編として刊行し、一時は大きな注目を集めました。
東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)です。
現在、学界ではほぼ完全に偽作とされています。それでもこの文献を取り上げる価値はあると筆者は考えています。自治体が公刊したという事実の重さ、そしてなぜ東北でこうした物語が求められたのかという問いが残るからです。
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東日流外三郡誌とは何でしょうか
東日流外三郡誌は、津軽地方の古代史を記したとされる膨大な文書群です。冊数は数百冊にのぼるとされます。
東日流という表記を、つがると読ませます。外三郡とは、津軽の三郡の外側という意味だと説明されます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 読み | つがるそとさんぐんし |
| 編者とされる人物 | 秋田孝季、和田長三郎吉次 |
| 編纂されたとされる時期 | 江戸後期 |
| 世に出た時期 | 1970年代 |
| 出てきた場所 | 青森県の和田家 |
| 現在の評価 | 学界では近代の偽作とする見方が通説です |
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どのように世に出たのか
この文献をめぐる経緯は、それ自体が近代日本の一断面になっています。
| 時期 | できごと |
|---|---|
| 戦後まもなく | 和田家の天井裏から文書が落ちてきたと語られます |
| 1970年代 | 村史の編纂にあたって資料として提供されます |
| 1975年から | 市浦村が村史の資料編として刊行します |
| 1980年代 | 雑誌や書籍で紹介され、広く知られるようになります |
| 1990年代 | 真偽をめぐる論争が本格化します |
| 現在 | 偽作とする見方が学界の通説となっています |
注目すべきは、1975年から刊行された村史です。自治体が公費で出す刊行物に、この文献が資料として収められました。この事実が、後に重い意味を持つことになります。
行政が公刊したのだから、それなりの根拠があるのだろう。多くの読者がそう受け取りました。信頼の所在が移ってしまったのです。
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何が書かれているのか
内容は多岐にわたりますが、中心となる主張をいくつか挙げます。
| 主張 | 内容 |
|---|---|
| 東日流の王国 | 津軽に、中央とは別の独立した政権があったとします |
| 荒吐族 | アラハバキを奉じる一族が、この地を治めていたとします |
| 安倍氏と安東氏の系譜 | 実在した豪族を、古代の王統につなげて位置づけます |
| 中央との抗争 | 大和の勢力に敗れ、歴史から消されたと語ります |
| 耶靡堆 | 邪馬台にあたる地名を、東北に結びつける記述があります |
構図は明快です。東北には独自の文明があった。それが中央に滅ぼされ、記録から抹消された。その真実がここに残されている、という語り方です。

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なぜ偽作とされるのでしょうか
疑問が積み上がっていった経緯を、順に挙げます。
| 指摘された点 | 内容 |
|---|---|
| 出どころが一箇所に限られる | 他の家や寺社から同種の文書が出てきません |
| 紙と筆記具 | 罫線の入った近代の紙に書かれたものが含まれていました |
| 筆跡 | 提供者本人の筆跡との類似が指摘されました |
| 近代の知識の混入 | 江戸期には知られていなかった地名や概念が現れます |
| 発見の経緯が変わる | いつどこで見つかったかの説明が、時期によって異なりました |
| 原本の提示 | 検証のための原本提示が十分に行われませんでした |
とくに決定的とされたのが、紙と筆記具の問題です。江戸後期に編纂されたはずの文書が、明治以降に作られた罫線入りの紙に書かれていた。これは書き手の意図とは無関係に残る物証であり、説明が困難です。
1990年代の論争では、擁護する側と批判する側が真っ向から対立しました。結果として、批判の側の指摘が覆されないまま現在に至っています。

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筆者の考察 偽作であることと、求められたことは別です
なぜ東北だったのか
この文献をめぐって、筆者がいちばん考えさせられるのはこの点です。
古史古伝はいくつもありますが、その舞台には偏りがあります。富士山麓、出雲、そして東北。いずれも、記紀のなかで扱いが薄い場所です。
東北はとくに顕著です。記紀において東北は、蝦夷と呼ばれる人々が住む辺境として現れます。征服の対象として語られ、その側の言葉は残りません。アテルイのように激しく戦った人物がいても、記録は征討した側の筆によるものです。

自分たちの土地の歴史が、他人の筆でしか書かれていない。この状態が長く続けば、誰かが代わりの物語を書きたくなるのは、無理のないことだと思います。
もう一つ、歴史や記録というのは強者が作るということです。その後に力を持った人たちが記録を作りそして残していくので、その者たちに屈したり弱体化させられたりしてしまった側は、その歴史自体が記録されなかったり、極悪だったというような扱いをされてしまったり、後世に残していく歴史や記録は強い者たちによりどんな風になってできてしまうものです。それでも細々とちゃんと残していくことには意味がありますし、強者側からの記録が多く、正当だとされているなかでは非常に貴重な資料です。
受け入れられた側の事情
もうひとつ考えたいのは、なぜこれが受け入れられたのかという点です。
書いた人がいただけでは、ここまで広まりません。村史に収めた人々がいて、雑誌で紹介した人々がいて、買って読んだ人々がいました。需要があったということです。
1970年代の東北は、高度成長から取り残された地域として語られていました。中央への出稼ぎが日常だった時代です。その土地に、かつて独自の王国があったという物語が現れたら、どう響くでしょうか。
偽作を作った人の責任は責任として、それを必要とした空気があったことは、別に記録しておくべきだと筆者は考えています。
行政が公刊することの重さ
この件からくみ取るべき教訓があるとすれば、ここだと思います。
村史に収録されたことで、この文献は個人の主張から公的な資料へと格が変わりました。読者の多くは、自治体が出したものなら確かめられているはずだと考えます。そして実際には、十分な検証がなされていませんでした。
誰が保証しているのかを、一度は確かめる。この習慣の大切さを、この一件はよく示しています。肩書きや発行元は、内容の正しさを保証しません。
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実在する東北の古代史のほうが、十分に面白い
最後に、これを申し上げておきたいと思います。
架空の王朝を持ち出さなくても、東北の古代史は十分に豊かです。
| 確かめられていること | 内容 |
|---|---|
| 三内丸山などの縄文遺跡 | 大規模な集落が長期にわたって営まれていました |
| 広域の交易 | 黒曜石やヒスイが遠方から運ばれていました |
| 蝦夷の抵抗 | 朝廷の遠征に対して、長年にわたる戦いがありました |
| 安倍氏と清原氏 | 前九年と後三年の役に登場する、実在の有力な一族です |
| 奥州藤原氏 | 平泉に独自の文化圏を築き、金と交易で栄えました |
とくに奥州藤原氏は、中央と距離を保ちながら百年にわたって独自の政権を維持しました。架空の王国を想像するより、この事実のほうがはるかに具体的で、しかも記録が残っています。
東北の歴史を知りたいのであれば、まず確かめられていることを追うのが得だと思います。そのうえで、なぜ東日流外三郡誌のような文献が生まれたのかを考える。この順番なら、どちらも失わずに済みます。
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東日流外三郡誌についてよくある質問
今も本として読めますか
村史の資料編や、関連する書籍として刊行されたものがあります。図書館で閲覧できる場合もあります。読む際は、偽作とする見方が通説であることを前提に置いていただくのがよいと思います。
擁護する研究者もいたと聞きました
1990年代の論争では、擁護する立場を取った研究者もいました。ただ、紙や筆跡についての指摘に説明がつかず、現在この立場を支持する研究者はほとんどいません。論争があったという事実と、決着がついたという事実は、あわせて押さえておく必要があります。
アラハバキは実在する信仰ですか
アラハバキを祀る神社は実際に各地にあり、古い信仰の痕跡と考えられています。これ自体は東日流外三郡誌とは無関係に存在するものです。ただ、この文献が荒吐族という形で取り込んだため、両者が混同されやすくなっています。
安倍氏や安東氏は実在したのですか
実在します。安倍氏は前九年の役に登場する奥州の有力な一族であり、安東氏は中世に日本海側で活動した一族です。東日流外三郡誌は、実在する一族を古代の王統に接続する形を取っています。実在の要素を土台に置くのは、こうした文献に共通する手法です。
ほかにも同じような文献がありますか
あります。富士山麓を舞台とする宮下文書、超古代の天皇を語る竹内文書などが知られ、まとめて古史古伝と呼ばれます。世に出た時期、原本の不在、中央から語られなかった地域を舞台とする点など、共通する特徴が多くあります。
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まとめ
東日流外三郡誌は、津軽に独自の王朝があったと記す文書群です。江戸後期の編纂と称しますが、世に出たのは1970年代であり、学界では近代の偽作とする見方が通説となっています。
罫線入りの近代の紙に書かれていたこと、出どころが一箇所に限られること、発見の経緯が変わったこと。こうした指摘に説明がつかないままです。
ただ、この文献が生まれ、受け入れられた背景には理由がありました。東北の歴史が長く他人の筆でしか書かれてこなかったという事情です。偽作であることと、それが必要とされたことは、分けて記録しておくべきだと思います。そして東北の実在する古代史は、架空の王国を持ち出さなくても十分に豊かです。








