旧暦の月の名前一覧|睦月から師走までの読み方と由来の早見表

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睦月、如月、弥生。日本には、月を数字で呼ぶのとは別に、季節の風景をそのまま名前にしたような美しい呼び方があります。これらは和風月名と呼ばれ、かつて日本で使われていた旧暦とともに、千年以上にわたって受け継がれてきました。
旧暦は、月の満ち欠けを基準にしながら太陽の動きも取り入れた暦です。明治5年まで日本の公式な暦として使われ、日本人の暮らしと自然観を形づくってきました。今も私たちが親しむお正月や七夕、お盆、中秋の名月といった行事の多くは、この旧暦の上に成り立っています。
この記事では、旧暦とは何かという基本から、新暦との違い、なぜ閏月という不思議な仕組みが必要だったのか、そして睦月から師走までの和風月名の由来と、そこに込められた日本人の季節感までを、神話や歴史の視点も交えながら詳しく解説していきます。
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旧暦とは何か
旧暦(きゅうれき)とは、かつて日本で使われていた暦法で、正確には太陰太陽暦(たいいんたいようれき)といいます。月の満ち欠けを基準にしながら、太陽の動きも取り入れて季節のずれを調整する、二つの天体の動きを組み合わせた暦です。
「太陰」とは月のことを指します。旧暦では、月が新月になる日を、その月の始まりである一日(ついたち)としました。翌日を二日、その次を三日と数えていき、次の新月が訪れると、そこから新しい月が始まります。つまり空を見上げて月の形を見れば、今日がおおよそ何日なのかがわかる暦でした。三日月といえば三日ごろ、満月といえば十五日ごろというように、月齢と日付が一致していたのです。
この暦は中国から伝わり、飛鳥時代に日本へもたらされました。その後、日本の風土に合わせて何度も改良が重ねられ、最終的に天保暦(てんぽうれき)という暦法にまとまります。一般に「旧暦」と呼ばれるのは、この天保暦のことです。明治5年(1872年)まで、公式な暦として日本の暮らしを支え続けました。
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旧暦と新暦の違い
現在私たちが使っているのは新暦(しんれき)と呼ばれるグレゴリオ暦で、太陽の動きだけを基準とした太陽暦です。地球が太陽のまわりを一周する約365.2425日を一年としています。
一方の旧暦は、月の満ち欠けが基準です。新月から次の新月までは平均して約29.5日なので、12ヶ月では約354日になります。太陽暦の一年より、およそ11日も短いのです。
この11日の差が、旧暦の最大の課題でした。毎年11日ずつずれていけば、3年で1ヶ月以上、10年もすれば季節が完全に食い違ってしまいます。夏に正月を迎えるようなことになりかねません。
そこで旧暦では、ずれがひと月分ほどに達したところで、一年に13ヶ月目を挿入するという方法をとりました。これが閏月(うるうづき)です。
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閏月という不思議な仕組み
閏月とは、旧暦において季節のずれを修正するために挿入される、余分な一ヶ月のことです。たとえば3月の次に閏月が入ると、その月は「閏3月」と呼ばれ、その年は13ヶ月あることになります。
閏月が入る割合は、平均すると19年に7回です。これはおよそ2年から3年に一度の頻度になります。19年に7回の閏月を入れると太陽の一年とほぼ一致するという法則は、紀元前433年の古代ギリシャで発見されたもので、メトン周期と呼ばれます。中国の暦法では章法(しょうほう)と呼ばれ、日本の旧暦もこの原理に基づいていました。
どこに閏月を入れるかは、二十四節気を目安に決められました。二十四節気は一年を24等分して季節を示したもので、立春、春分、夏至、秋分、冬至などが含まれます。この二十四節気のうち、雨水や春分といった偶数番目のものを中気(ちゅうき)と呼び、旧暦ではその月にどの中気が含まれるかで月の名前を決めていました。たとえば雨水を含む月が正月、春分を含む月が二月、という具合です。
ところが中気と中気の間隔は約30.44日で、月の満ち欠けの周期である約29.53日より長いため、どの中気も含まない月がまれに生じます。この中気のない月を閏月としたのです。実に精緻な仕組みで、月と太陽という二つの周期を、破綻させることなく組み合わせるための知恵でした。
閏月があるということは、旧暦の同じ日付でも、新暦に換算すると年によって日付が変わることを意味します。たとえば明治3年1月1日は新暦の2月1日にあたりますが、翌明治4年1月1日は新暦の2月19日でした。旧正月の日付が毎年変わるのは、このためです。
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明治の改暦、旧暦はなぜ廃止されたのか
千年以上使われてきた旧暦は、明治時代に突如として姿を消します。
明治5年11月9日、明治政府は「太陰暦ヲ廃シ太陽暦ヲ頒行ス」という改暦の布告を出しました。その内容は驚くべきもので、明治5年12月2日の翌日を、いきなり明治6年1月1日とするというものでした。つまり明治5年の12月は、わずか2日で終わってしまったのです。
布告が出たのは11月9日ですから、改暦まで一ヶ月足らずしかありません。翌年の暦はすでに印刷され出回っていた時期です。それを無視して暦の仕組みそのものを変えるという、あまりに急な決定でした。
表向きの理由は、欧米諸国との交易が本格化する中で、日付の異なる暦を使い続けることの不都合を解消するためでした。布告の前文でも、太陽暦は7000年にわずか1日の誤差しか生じないと、その精度の高さが謳われています。
しかし、これほど性急な改暦の裏には、別の事情があったと広く指摘されています。当時の明治政府は深刻な財政難に陥っていました。旧暦を使い続けると、明治6年には閏月が入って13ヶ月となり、官吏の月給を13回支払わなければなりません。改暦によって明治6年を12ヶ月にすれば、一ヶ月分の給料を節約できます。さらに明治5年12月はわずか2日しかなかったため、働いた日数が少なすぎるとして、この月の給料も支給しないこととしました。結果として、政府は二ヶ月分の人件費を浮かせたことになります。
ここからは筆者の考えですが、暦というものが単なる天文学の産物ではなく、政治や経済と分かちがたく結びついていることを、この改暦はよく示していると思います。人々が千年以上かけて育ててきた季節の感覚が、財政上の都合で一夜にして書き換えられる。その一方で、いま私たちが当たり前に使っている新暦もまた、世界とつながるための選択だったわけです。暦は自然のリズムを写す鏡であると同時に、その時代の社会が何を優先したかを映す鏡でもあるのでしょう。
なお、旧暦の廃止後も混乱は続き、明治42年の暦まで旧暦の併記が行われていました。現在では天保暦の手順どおりに旧暦を計算し公表する公的機関はありませんが、国立天文台が毎年発表する二十四節気と朔(新月)の情報をもとに、旧暦は今もほぼ自動的に定まっています。

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二十四節気、旧暦を支えたもう一つの柱
旧暦を理解するうえで欠かせないのが、二十四節気(にじゅうしせっき)です。閏月を入れる目安であると同時に、旧暦の中で実際の季節を知るための、もう一つの柱でもありました。
二十四節気は、太陽の動きをもとに一年を24等分し、それぞれに季節を表す名前をつけたものです。もともとは古代中国で考案されました。まず昼夜の長さが関わる夏至、冬至、春分、秋分の二至二分が定められ、続いて立春、立夏、立秋、立冬の四立が加わり、徐々に整えられて24の節気になりました。6世紀ごろ、暦とともに日本へ伝わったと考えられています。
| 季節 | 二十四節気 |
|---|---|
| 春 | 立春、雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨 |
| 夏 | 立夏、小満、芒種、夏至、小暑、大暑 |
| 秋 | 立秋、処暑、白露、秋分、寒露、霜降 |
| 冬 | 立冬、小雪、大雪、冬至、小寒、大寒 |
月の満ち欠けを基準とする旧暦は、そのままでは季節とずれていきます。しかし二十四節気は太陽の動きに基づくため、常に実際の季節と一致します。旧暦の日付で日を数えながら、二十四節気で季節を知る。この二本立ての仕組みによって、旧暦は農耕に適した実用的な暦となっていました。
ただし注意したいのは、二十四節気が中国の黄河中流域から下流域の気候をもとに作られている点です。日本の気候とは必ずしも一致しません。立秋が真夏の盛りに訪れるように感じるのは、そのためです。そこで日本では、節分、彼岸、土用、八十八夜、入梅、半夏生、二百十日といった雑節(ざっせつ)が独自に加えられました。これらは農作業に密着した、日本独自の季節の目安です。
二十四節気を並べて眺めていると、古代の人々が季節の移ろいをいかに細やかに見つめていたかが伝わってきます。啓蟄は虫が土から這い出る頃、小満は草木が生い茂り満ちる頃、芒種は稲の穂先の芒(のぎ)がある種をまく頃。ひとつひとつの名前が、その時期の自然の風景を切り取っています。カレンダーの数字だけでは決して伝わらない、季節への感受性がそこにはあります。
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旧暦の月の呼び方一覧表
旧暦の各月には、和風月名(わふうげつめい)と呼ばれる日本独自の名前がつけられています。それぞれの由来には諸説ありますが、代表的なものを一覧にまとめました。各月の詳しい解説は、月名のリンクからご覧いただけます。
| 現在の月 | 旧暦の月 | 読み方 | 意味・由来 |
|---|---|---|---|
| 1月 | 睦月 | むつき | 親しい人々が集まり睦み合う月から。正月の団らんが由来。 |
| 2月 | 如月 | きさらぎ | 衣更着(きさらぎ)が転じたもの。寒さで衣をさらに重ねる季節。 |
| 3月 | 弥生 | やよい | 弥(いや)はますます、生(おい)は生い茂るの意味。春の芽吹き。 |
| 4月 | 卯月 | うづき | 卯の花(ウツギ)が咲く季節。卯の花は春の訪れを象徴する白い花。 |
| 5月 | 皐月 | さつき | 早苗月(さなえづき)が略されたもの。田植えの季節。 |
| 6月 | 水無月 | みなづき | 水の無い月と書くが、田に水を張る月とも。無は「の」を意味する連体助詞とする説が有力。 |
| 7月 | 文月 | ふみづき | 七夕にちなんで文(ふみ)をやり取りする月。または穂含月(ほふみづき)からとも。 |
| 8月 | 葉月 | はづき | 木の葉が落ち始める葉落ち月が転じたもの。旧暦では秋の気配が漂う頃。 |
| 9月 | 長月 | ながつき | 夜長月(よながづき)が略されたもの。秋の夜長を感じる季節。 |
| 10月 | 神無月 | かんなづき | 全国の神々が出雲大社に集まるため神がいない月とされる。出雲では神在月(かみありづき)と呼ぶ。 |
| 11月 | 霜月 | しもつき | 霜が降り始める季節であることから。神々が帰る神帰月とも。 |
| 12月 | 師走 | しわす | 師(僧侶)も走るほど忙しい月という説が有名。年末の慌ただしさを表現。 |
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和風月名に見る日本人の季節感
和風月名を眺めていると、そこには数字では決して表せない、日本人の自然への眼差しが浮かび上がってきます。
農耕と結びついた月名
皐月の語源とされる早苗月は、田植えの時期を表しています。弥生は草木がいよいよ生い茂る春の芽吹きを、水無月は田に水を引く様子を映しています。稲作を軸に一年を巡ってきた日本人にとって、月の名前は農作業の暦そのものでした。
興味深いのは、名前と実際の季節感が一見ずれて見えることです。葉月は「葉が落ちる月」とされますが、新暦の8月といえば真夏で、葉が落ちるどころではありません。しかし旧暦の8月は、新暦では9月ごろにあたります。そう考えれば、木の葉が色づき落ち始める季節と重なるのです。和風月名を旧暦の季節に置き直してみると、それぞれの名前がぴたりと風景に収まることに気づきます。
名前と実態のずれが教えてくれること
水無月の「無」も、多くの人が誤解しやすい例です。水が無い月と書きますが、実際には梅雨の時期であり、水は豊かにあります。この「無」は打ち消しの意味ではなく、「の」にあたる連体助詞だとする説が有力です。つまり水無月とは「水の月」であり、田に水を満々と張る月という意味になります。
同じように神無月も、「神の無い月」ではなく「神の月」と読む説があります。文字通りに受け取ると意味を取り違えてしまう。そうした奥ゆかしさが、和風月名の面白さでもあります。
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日本神話と和風月名の関係
和風月名の中でも、日本神話と最も深く結びついているのが神無月です。
旧暦10月、全国の八百万(やおよろず)の神々が出雲大社に集まって会議を開くとされ、そのため各地から神様が留守になることから神無月と呼ばれます。逆に神々を迎える出雲地方では、この月を神在月(かみありづき)と呼びました。
この会議は神議(かみはかり)と呼ばれ、人々の縁結びや、その年の運命が話し合われると信じられてきました。出雲大社では現在も、この時期に神在祭(かみありさい)が執り行われています。そして神々が出雲から帰ってくる11月を、霜月とは別に神帰月(かみきづき)と呼ぶ地域もあります。

また、農耕神である大国主命(おおくにぬしのみこと)をはじめ、豊穣を司る神々の神話は、弥生や皐月といった農業に関わる月名の背後に息づいています。天照大御神が太陽神であり、同時に稲作を司る神でもあることを思えば、日本の暦と信仰が分かちがたく結びついていることがわかります。
古代の人々は、月の満ち欠けに日を数え、太陽の巡りに季節を知り、そのすべてに神々の働きを見ていました。旧暦とは、単なる日付の記録ではなく、自然と神々への感謝を日々の暮らしに織り込むための装置だったのかもしれません。
月を見上げれば日付がわかる暮らし
旧暦がもたらしていたのは、季節感だけではありません。もっと直接的で、身体的な感覚がそこにはありました。
旧暦では、月が新月になる日が必ず一日です。そこから日を数えていくので、三日には三日月が、七日ごろには上弦の半月が、十五日には満月が空にかかります。つまり夜空を見上げるだけで、今日がおおよそ何日なのかがわかったのです。
十五夜が満月の夜を指すのも、二十日過ぎの月を待つ「居待月」「寝待月」といった呼び名があるのも、すべて日付と月の形が一致していたからこそ生まれた言葉です。時計もカレンダーも持たない人々にとって、夜空は最も確かな暦でした。
ここからは筆者の考えですが、新暦に移行したことで私たちが失ったものの一つは、この「空を見上げて日を知る」という感覚ではないかと思います。今、満月の夜であっても、それが何日なのかは月からはわかりません。暦が正確になり、世界と時を合わせられるようになった一方で、私たちは日付と天体との結びつきを手放しました。旧暦の月名や行事に惹かれる人が今も多いのは、そうした失われた感覚を、どこかで懐かしんでいるからなのかもしれません。
また旧暦では、ひと月が30日の大の月と、29日の小の月がありました。その並びは一定ではなく、年ごとに変わります。月末を晦日(みそか)、一年の最後を大晦日(おおみそか)と呼ぶのは、この旧暦の名残です。晦(つごもり)とは「月隠り」が転じたもので、月が姿を隠す新月直前の日を意味していました。

旧暦は今も生きている
旧暦は公式には廃止されましたが、その名残は今も私たちの暮らしの中に息づいています。
中秋の名月は、旧暦8月15日の夜の月を指します。この日の月が美しいとされるのは、旧暦では必ず満月に近い月が昇るからです。七夕も本来は旧暦7月7日の行事でした。新暦の7月7日は梅雨の最中で星が見えないことが多いのですが、旧暦の七夕であれば梅雨が明けており、天の川が美しく観察できます。国立天文台が「伝統的七夕」を呼びかけているのは、こうした理由からです。
お盆を8月に行う地域が多いのも、旧暦の7月に近い時期に合わせているためです。旧正月を祝う文化は、中国、台湾、韓国、ベトナムなど東アジアの各国で今も続いています。
二十四節気も、旧暦の中で季節の目安として使われてきた仕組みが、そのまま現代に受け継がれたものです。立春、夏至、立秋、冬至といった言葉に季節の移ろいを感じるとき、私たちは知らず知らずのうちに旧暦の感覚に触れています。
まとめ
旧暦とは、月の満ち欠けを基準にしながら太陽の動きも取り入れた太陰太陽暦であり、飛鳥時代から明治5年まで日本で使われていた暦です。月の形を見れば日付がわかり、二十四節気によって季節を知る。その季節のずれは、19年に7回という精緻な割合で挿入される閏月によって調整されていました。
明治の改暦によって旧暦は公式の座を降りましたが、そこで育まれた和風月名は、今も美しい日本語として残っています。睦月の団らん、弥生の芽吹き、皐月の早苗、神無月の神議、師走の慌ただしさ。それぞれの名前が、その季節の風景と人々の営みを、鮮やかに写し取っています。
暦は本来、自然のリズムに寄り添うためのものでした。日々のカレンダーをめくりながら、ときに旧暦に思いを馳せてみる。そこには、失われつつある季節感と、自然への畏敬の念が、静かに息づいているはずです。



