お彼岸にやってはいけないことは本当か?|10項目を根拠から検証、禁止が増えた理由と本来の意味

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お彼岸にやってはいけないこと。そう調べると、ずらりと並びます。結婚式はだめ、引っ越しはだめ、納車もだめ、お見舞いもだめ、神社へ行くのもだめ、土をいじるのもだめ。
これだけ禁じられていると、何もできない一週間のように思えてきます。
ところが、仏教の教えにも神道の作法にも、これらを禁じる根拠はほとんど見当たりません。それどころか、お彼岸という行事はもともと、してはいけないことを並べるものではなく、するとよいことを説くものでした。
この記事では、よく挙がる禁止事項を一つずつ根拠にあたって確かめます。そのうえで、なぜこれほど禁止が増えたのか、そして本来このお彼岸という期間が何のために置かれていたのかを考えていきます。
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お彼岸に明確な禁止事項というのはない
お彼岸そのものに、宗教上の明確な禁止事項はほとんどありません。
お彼岸の本来の中身とされるのは、六波羅蜜(ろくはらみつ)という六つの実践です。布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧。人に与えること、行いを整えること、耐えること、努めること、心を静めること、物事を正しく見ること。いずれも、するべきことを説いた徳目です。
この六つのどこにも、引っ越しをするなとも、車を買うなとも書かれていません。そもそも禁止のリストではないのです。
では、なぜ世間ではこれほど多くのことが禁じられているのか。ひとつずつ見ていけば、その理由もはっきりしてきます。
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よく挙がる禁止事項を、一つずつ検証します
| よく言われること | 宗教上の根拠 | 実際のところ |
|---|---|---|
| 結婚式や入籍を避ける | ありません | 親族が集まる週で日程が組みにくい、という事情が転じたものです |
| 引っ越しをしない | ありません | お彼岸に引っ越しを禁じる教えは確認できません |
| 車の納車をしない | ありません | 六曜や土用との混同とみられます |
| お見舞いに行かない | ありません | 先方の体調と都合次第です |
| 神社に参拝しない | ありません | 忌中との取り違えです。詳しくは後述します |
| 土いじりをしない | ありません | 土用の禁忌との混同です |
| 釣りや狩りをしない | 限定的です | 不殺生は常時の戒めであり、彼岸だけの決まりではありません |
| 派手な服を着ない | ありません | 法要や墓参りの場にふさわしい装いという話です |
| 旅行に行かない | ありません | 墓参りの予定と両立できるなら問題ありません |
| お墓参りを欠かさない | 義務ではありません | 行けない年があっても差し支えありません |
見ていただくとわかるとおり、ほとんどが根拠のないものです。とはいえ、なぜそう言われるようになったのかには、それぞれ事情があります。誤解が大きいものを取り上げます。
神社に参拝してはいけない、は明確な誤解です
これが、もっとも誤解されている項目だと思います。
神社への参拝を控えるべきとされるのは、身内に不幸があった直後の忌中です。神道では死を穢れとみなし、一定の期間、神域への参入を慎みます。期間の目安は50日とされることが多く、仏式では49日が区切りになります。
お彼岸は、これとはまったく別のものです。先祖を供養する期間ではありますが、参拝する人が穢れを負っているわけではありません。ですから神社へ行って差し支えありません。
それどころか、この時期は神社の側でも祭りが行われます。春分と秋分に近い戊の日には、土地の神を祀る社日(しゃにち)という行事があり、各地の神社で祭典が営まれてきました。宮中でも、春分と秋分の日に歴代天皇の御霊を祀る皇霊祭が行われています。
つまり春分と秋分は、仏教の側でも神道の側でも、先祖に向き合う日として扱われてきた日なのです。神社に行ってはいけない日どころか、行ってもよい日だと申し上げてよいと思います。
土いじりは、土用との取り違えです
土を動かすことを控えるべきとされるのは、土用の期間です。土を司る神が支配する期間とされ、地面を掘り返すことを慎む習わしがあります。
土用は年に4回あり、春の土用は立夏の前の18日間ほどです。春彼岸とは時期がずれますが、季節の変わり目という点が似ているため、混同されたのでしょう。お彼岸そのものに、土いじりを禁じる決まりはありません。
むしろ、お墓の周りの草を抜き、掃除をするのはお彼岸の作法そのものです。土を触るなという話と、正面から矛盾します。
お祝い事は、禁止ではなく日程の問題です
結婚式や入籍を避けるべきという話にも、教えの裏づけはありません。
ただし、現実的な事情はあります。お彼岸の一週間は、親族が墓参りや法要で予定を埋めている時期です。そこへ結婚式の招待を重ねれば、来られない人が出ます。地域によっては、お寺の法要に一族で出向く習慣も残っています。
つまりこれは、縁起の問題ではなく段取りの問題です。参列する方々の都合がつくのであれば、避ける理由はありません。気にする親族がいる場合は、縁起の話としてではなく日程の相談として持ちかけるほうが、話が早いように思います。
釣りや狩りは、彼岸に限った話ではありません
仏教には不殺生の戒めがあります。六波羅蜜の持戒にも含まれる考え方です。ただしこれは、お彼岸の期間だけ守るものではなく、日常的な心がけとして説かれています。
ですから、お彼岸だから釣りをやめる、というのは筋としては少しおかしなことになります。あえていうなら、お彼岸は六波羅蜜を思い出す期間ですから、そのきっかけとして控えてみるのはひとつの実践です。禁じられているからではなく、自分で選ぶという形であれば、それは本来の趣旨に沿っています。
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なぜ「してはいけない」ばかりが増えたのでしょうか
ここから、筆者の見方を述べます。
禁止は、覚えやすく、伝わりやすいのです
布施を心がけましょう、忍耐を養いましょう、と言われても、実行したかどうかは自分にしかわかりません。伝えるのもむずかしい。
その点、してはいけないことは明快です。やったかやらなかったかがはっきりします。人に伝えるのも簡単で、聞いた側も忘れません。
行事が世代を越えて受け継がれていくとき、この差は大きく効きます。するべきことは薄れ、してはいけないことだけが残る。お彼岸に限らず、日本の年中行事にはこの傾向があるように思います。
期間が区切られた行事には、禁止が集まります
お彼岸は7日間と、期間がはっきり決まっています。正月、お盆、土用も同じです。

期間が区切られていると、人はその内と外で扱いを変えたくなります。この期間は特別だ、だから普段どおりではいけない、という感覚です。そこへ別の行事の禁忌が流れ込んでくる。土用の土いじりが彼岸に紛れ込んだのは、この流れだと思われます。
特別な期間だと感じること自体は、悪いことではありません。ただ、その中身が借り物の禁止で埋まってしまうと、もともと何のための期間だったのかがわからなくなります。
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筆者の考察 お彼岸は、備えるための期間だったのではないでしょうか
では、何のための期間だったのか。暦のほうから考えてみます。
中日は、昼と夜が入れ替わる日です
お彼岸の中日は、春分の日と秋分の日です。昼と夜の長さがほぼ同じになる日として知られています。

ここで、もう一歩踏み込んで考えてみたいのです。この日は、単に昼夜が等しい日ではありません。昼と夜のどちらが長いかが入れ替わる日です。
春分を過ぎれば昼が長くなり、その長い昼が積み重なって夏の暑さになります。秋分を過ぎれば夜が長くなり、その長い夜が積み重なって冬の寒さになります。つまり中日とは、これから訪れる季節の向きが決まる折り返し点なのです。
暑さ寒さも彼岸まで、という言い方があります。あれは体感の話としてだけでなく、実際に気候の向きが変わる日を指していたのだと考えると、納得がいきます。
昔の暮らしでは、ここが仕事の切れ目でした
農事の暦に重ねると、この位置の意味がはっきりします。
| 観点 | 春彼岸 | 秋彼岸 |
|---|---|---|
| 暦の位置 | これから昼が長くなります | これから夜が長くなります |
| 気候の向き | 暖かくなっていきます | 涼しくなっていきます |
| 田畑の状況 | 田の支度が本格化する直前です | 稲の収穫が落ち着くころです |
| 食べもの | 冬を越した蓄えが尽きるころです | 夏野菜が旬を終えるころです |
| 暮らしの区切り | これから始まる仕事に備えます | 終えた仕事をねぎらい、冬に備えます |
どちらも、忙しさの谷間にあたります。春は本格的な農作業が始まる前、秋は一年でもっとも重い仕事を終えた後。手がいちばん空く時期に、この7日間が置かれているわけです。
「やってはいけない」の原型は、これだったのかもしれません
ここで、冒頭の話に戻ります。
この時期にわざわざ大きな用事を入れないというのは、禁止ではなく生活の判断だったのではないでしょうか。せっかく手が空いたのだから、この一週間は先祖に向き合い、次の季節の支度を整えることに使う。そういう配分です。
今はその時期ではない。この感覚が、代を重ねるうちに、やってはいけないという言い方に変わっていった。筆者はそう見ています。だとすれば、禁止の項目を一つずつ潰していくことより、なぜこの一週間が空けられていたのかを思い出すほうが、本来の趣旨に近いはずです。
半年に一度、生きていることを確かめる
もうひとつ、この二つのお彼岸の配置について申し上げたいことがあります。
春分と秋分は、きっかり半年ずつ離れています。正月は年に一度、お盆も年に一度です。ところが彼岸だけは、一年をちょうど二つに割った場所に置かれています。
しかも、その日は昼と夜がもっとも釣り合う日です。どちらにも偏っていない日に、先祖へ感謝を伝え、これから始まる季節に備える。この設計は、偶然にしてはよくできていると思います。
半年前の自分は何をしていたか。この半年で何が変わったか。次の半年をどう過ごすか。そういうことを考えるのに、これ以上の節目はないでしょう。
そして、備えることができるのは、生きているからです。来年の春のことを考えられるのは、今この時期を越えられたからです。先祖に手を合わせるという行為は、自分がまだここにいるという事実を、半年に一度、静かに確かめる作業でもあるのだと思います。

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本当に気をつけたほうがよいこと
縁起の話ではなく、実際に注意したほうがよい点を挙げておきます。こちらのほうが、はるかに役に立つはずです。
| 気をつけること | 理由 |
|---|---|
| お供え物を置いて帰らない | 鳥や動物に荒らされ、隣の区画に散らかることがあります |
| ろうそくと線香の火を確かめる | 周囲の枯れ草に燃え移ると火災になります |
| 他家の区画に立ち入らない | 通り抜けや荷物置きに使わないようにします |
| 暑さと寒さの対策をする | 秋彼岸はまだ暑い年があり、春彼岸は冷え込む日があります |
| 高齢の家族に無理をさせない | 墓地は足場が悪く、階段や坂が多い場所もあります |
| 写真の公開に気をつける | 他家の墓石や名前が写り込むことがあります |
| 水場や道具の使い方を守る | 共用の桶や柄杓は、使い終えたら元の場所へ戻します |
どれも当たり前のことばかりですが、実際に墓地で起きている困りごとはこの種のものです。縁起を気にするより、こちらに気を配るほうが、周囲にも先祖にも誠実だと筆者は思います。
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行けない年があっても構いません
最後に、これも書いておきたいことです。
お墓が遠い、体調がすぐれない、仕事が動かせない。そうした事情で行けない年は誰にでもあります。行かなかったから罰が当たる、という考え方を、筆者は採りません。
手を合わせる先は、墓石である必要もありません。仏壇の前でも、家の中で静かに思い出すだけでも構わないと思います。大切なのは場所ではなく、半年に一度、そちらへ心を向ける時間を持つことのほうです。
義務として苦しくなってしまえば、続きません。続かなければ、次の世代にも渡りません。ゆるやかに、しかし途切れずに。それが年中行事の続き方なのだと思います。
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お彼岸のタブーについてよくある質問
お彼岸に入籍や結婚式をしても大丈夫ですか
宗教上の問題はありません。ただ、親族が墓参りや法要で動いている時期にあたるため、日程が合わないことがあります。気にされる方がいる場合は、縁起の話ではなく予定の相談として進めると角が立ちません。
お彼岸に神社へ行ってもよいのですか
差し支えありません。参拝を控えるべきなのは身内に不幸があった直後の忌中であり、お彼岸とは別の話です。春分と秋分の前後には、社日など土地の神を祀る行事が行われる地域もあります。

お彼岸に引っ越しや納車をしてはいけませんか
禁じる根拠は確認できません。六曜や土用の禁忌と混同されている可能性があります。ご家族に気にされる方があれば、そのお気持ちを尊重して日をずらすという判断はありうると思いますが、決まりとして避ける必要はありません。
お彼岸の期間に旅行へ行ってもよいですか
問題ありません。秋彼岸は連休と重なる年もあり、帰省を兼ねて墓参りをする方も多くおられます。墓参りの予定と両立できるかどうかだけ考えれば十分です。
お彼岸に肉や魚を食べてはいけませんか
決まりはありません。精進料理をいただく習慣がある家や地域はありますが、全国共通の禁止事項ではありません。宗派や家の慣習に従っていただければ結構です。
お彼岸とお盆で、やってはいけないことは違いますか
性格が異なります。お盆は先祖の霊を迎えて送る行事で、迎え火や送り火といった段取りがあります。お彼岸は霊を迎えるのではなく、こちらから向き合い、自分の行いを整える期間です。どちらにも厳格な禁止事項は少なく、地域や家ごとの慣習のほうが重く働きます。

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まとめ
お彼岸にやってはいけないとされることの多くは、宗教上の根拠を持ちません。神社参拝は忌中との取り違え、土いじりは土用との混同、お祝い事は日程の都合が縁起の話に変わったものです。
お彼岸の本来の中身は、六波羅蜜という六つの実践であり、してはいけないことの一覧ではありませんでした。するべきことは伝わりにくく、してはいけないことだけが残った。そういう経緯だと考えられます。
中日である春分と秋分は、昼と夜のどちらが長いかが入れ替わる日です。ここを境に、夏の暑さへ向かうか、冬の寒さへ向かうかが決まります。農作業の谷間にあたるこの時期に、先祖へ感謝を伝え、次の季節に備える。半年に一度、自分がまだここにいることを確かめる。お彼岸という一週間は、そのために空けられていたのではないでしょうか。










