鹿島神宮の要石とは?地震を抑える石の正体|大鯰伝説と「割れた」という噂の真偽

この記事はプロモーションが含まれます。
鹿島神宮の要石(かなめいし)は、地中の大鯰(おおなまず)の頭をおさえて地震を防いでいる石として知られています。ただ、この「鯰」という説明が広まったのは、実は江戸時代の終わりごろのことです。
それ以前の日本人は、地震の原因を鯰だとは考えていませんでした。古代には地震そのものを神として祀り、中世には地中の龍が動くからだと語られていました。要石という石は古くからあったのに、その下にいるものの正体だけが時代ごとに入れ替わってきたのです。
このページでは、要石がどこにあってどんな石なのかという基本から、鯰伝説が定着した経緯、徳川光圀が掘らせたという伝説、「割れた」「抜いたらどうなる」という検索でよく見かける疑問、香取神宮の要石との関係まで整理します。映画をきっかけにこの言葉を知った方にも読めるようにまとめました。
広告
要石とは何か、2つの意味があります
「要石」という言葉には、まったく別の2つの意味があります。検索したときに建築の話が混ざってくるのはこのためです。
| 意味 | 読み | 内容 |
|---|---|---|
| 神社の要石 | かなめいし | 鹿島神宮や香取神宮にある、地震をおさえるとされる霊石 |
| 建築の要石 | かなめいし | 石造アーチの頂点にはめる石。これを抜くとアーチ全体が崩れます |
面白いのは、どちらも「これ1つで全体をとめている」という同じ考え方だということです。扇子の骨をまとめる「要(かなめ)」が語源で、要点や肝心なところを指す「要」と同じ言葉です。神社の要石も、大地という大きなものを1点で押さえている石として考えられてきました。
広告
鹿島神宮の要石はどこにあるのか

要石は、茨城県鹿嶋市の鹿島神宮の境内にあります。本殿で参拝してから奥参道を進み、奥宮に着いた先の分かれ道を進むとたどり着けます。
実際に目にすると、多くの人が拍子抜けします。柵に囲まれた中にあるのは、地面からわずかに顔を出した丸い石で、大きさは直径40センチほど。中央がくぼんだお椀のような形をしています。想像していたような巨石ではありません。
ただ、伝えられているのは「見えている部分はごく一部で、地中にどこまでも続いている」ということです。地上に出た小さな頭だけで、下は底知れない。この語られ方そのものが、要石という信仰の形をよく表しています。
広告
なぜ地震をおさえる石とされているのか
鹿島神宮の祭神は武甕槌大神(タケミカヅチ)です。国譲りの場面では、出雲の浜辺で剣を波の上に逆さに突き立て、その剣先に座って大国主神と向き合ったと『古事記』に記されています。

刃を地に向けて立てる姿と、地中深くまで埋まった石。筆者が要石の前に立って感じたのは、この2つがまったく同じ所作だということです。どちらも「刺して、止める」という形をしています。荒れ狂う力をねじ伏せるのではなく、動かないように上から押さえておく。鹿島の神が地震の神として拝まれてきた理由は、この一点に尽きるのではないでしょうか。
要石には「石の御座(いしのみまし)」という別名も伝えられています。武甕槌大神が座った石という意味です。神が腰を下ろして動かずにいることが、そのまま大地が動かないことを意味する。座るという行為が鎮めになるという考え方は、日本の信仰のなかで繰り返し出てきます。
広告
大鯰の伝説はいつ生まれたのか
ここがこのページでいちばんお伝えしたい部分です。「要石が大鯰をおさえている」という説明は、古代から続く伝承のように紹介されることが多いのですが、鯰という形に定まったのはかなり新しい段階です。
古代、地震そのものが神だった
『日本書紀』の推古天皇7年(599年)には大きな地震の記録があり、諸国に命じて地震の神を祀らせたと記されています。原因となる生き物を想定するのではなく、地震という現象自体を神として鎮めようとしていたわけです。
中世、地中にいるのは龍だった
中世の文献には、大地の下に龍がいて、その身動きが地震になるという説明が見られます。日本列島をぐるりと囲む龍、あるいは地下にとぐろを巻く龍。仏教の世界観が入ったことで、こうした説が広まったと考えられています。
江戸時代、鯰絵が形を決定づけた
決定的だったのは1855年(安政2年)の安政江戸地震です。この直後、江戸では「鯰絵(なまずえ)」と呼ばれる刷り物が大量に出回りました。巨大な鯰を人々が叩きのめす図、鹿島大明神が鯰を取りおさえる図、そして神が出雲へ出かけて留守のあいだに鯰が暴れたという趣向のものまであります。
災害直後の不安と不満を、鯰という具体的な姿に託して笑いに変えた出版物でした。この鯰絵が短期間に大量に広まったことで、「地震の原因は鯰、それをおさえているのが鹿島の要石」という組み合わせが人々の常識になっていきます。
| 時代 | 地震の原因と考えられたもの | 対応の仕方 |
|---|---|---|
| 古代 | 地震そのものが神の働き | 地震の神を祀って鎮める |
| 中世 | 地中の龍が動くため | 仏神の力で龍を抑える |
| 近世(江戸) | 地中の大鯰が暴れるため | 鹿島の神と要石が鯰をおさえる |
| 近代以降 | 地殻の変動 | 科学的な観測と防災 |
つまり要石という石は古くからそこにあり、「下にいるもの」の名前だけが時代とともに書き換えられてきました。これは要石の価値を下げる話ではないと思います。むしろ、どの時代の人も自分たちが理解できる言葉で災害を説明し直し、そのたびに同じ石に願いを託してきたということです。石は変わらず、人の側の言葉が変わっていった。1,000年以上もそれを受け止めてきた石だと考えると、見方が変わってきます。
広告
徳川光圀が掘らせたという伝説

要石にまつわる最も有名な逸話が、水戸藩主の徳川光圀(水戸黄門)が石の正体を確かめようとしたという話です。
光圀は家臣に命じて要石の周囲を掘らせました。ところが7日7晩掘り続けても根元にたどり着かず、作業にあたった者に次々と具合の悪い者が出たため、ついに掘るのをやめたと伝えられます。このとき掘り返したことで、もとは出ていた石の頭が今のようなくぼんだ形になったという言い伝えもあります。
学問に熱心で『大日本史』の編纂を始めた人物が、合理的に確かめようとして果たせなかったという筋立てになっています。確かめようとする側が折れることで、かえって石の底知れなさが強調される構造です。伝説としてよくできた話で、史実かどうかは別として、この逸話が要石の名を広めたことは確かでしょう。
広告
「要石が割れた」という話について
検索では「鹿島神宮 要石 割れた」という調べ方が一定数あります。結論から申し上げると、要石が割れたという鹿島神宮の公式な記録は確認できません。
ただ、関係しそうな出来事があります。2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災で、鹿島神宮の石造の大鳥居が倒壊したことです。これは事実で、当時の報道でも伝えられました。その後、境内に生えていた杉の木を用いた木造の大鳥居が建てられ、2014年(平成26年)に完成しています。
地震をおさえる神社の鳥居が地震で倒れたという出来事は、当時かなりの衝撃をもって語られました。「要石が割れた」という話は、この大鳥居倒壊の記憶が別の形で伝わったものか、あるいは後述する映画の描写と混ざったものと考えられます。参拝して確かめるのがいちばん確実です。
広告
要石を抜いたらどうなるのか
これもよく見かける疑問です。伝承に従えば、おさえが外れて地中の鯰が動き出し、大地震が起こるということになります。
ただ、そもそも要石は抜けるものとして語られていません。光圀の逸話が示しているのは「どこまで掘っても底がない」ということで、地中の部分には終わりがない。つまり抜くという行為が最初から成り立たないように語られているのです。
ここに要石という信仰のうまさがあると感じます。もし「抜ける石」であれば、人の手で災いを起こせることになってしまいます。底なしに続いていると語ることで、この石は人の手が及ばないものとして守られている。参拝するとき柵の外から手を合わせるだけで十分なのは、そういう石だからです。
広告
香取神宮の要石との関係
千葉県香取市の香取神宮にも要石があります。祭神は経津主神(フツヌシ)で、武甕槌大神とともに国譲りを果たした一対の神です。
| 項目 | 鹿島神宮 | 香取神宮 |
|---|---|---|
| 所在地 | 茨城県鹿嶋市 | 千葉県香取市 |
| 祭神 | 武甕槌大神 | 経津主大神 |
| 要石の形 | 中央がくぼんだ凹型 | 中央が盛り上がった凸型 |
| 伝えられる役割 | 大鯰の頭をおさえる | 大鯰の尾をおさえる |
2社で頭と尾をおさえているという語り方は、両社が一対の神を祀っていることと重なります。鹿島と香取のあいだには霞ヶ浦と利根川の水域が広がっていて、その両岸に武の神が配置されている。地理の上でも1本につながった構図になっています。

鹿島神宮・香取神宮に息栖神社を加えた3社をめぐる東国三社巡りは、国譲りに関わった神々と2つの要石を一度にたどれる道程になっています。

映画『すずめの戸締まり』で知った要石との違い
2022年に公開された新海誠監督のアニメーション映画『すずめの戸締まり』をきっかけに、要石という言葉を知った方も多いと思います。作品の中では、災いを封じる役割を持つものとして要石が登場します。
作品の設定は創作であり、鹿島神宮の要石そのものの説明ではありません。ただ、「1つの点をおさえておくことで大きな災いを止めている」という発想の骨格は、江戸の人々が鯰絵に託したものと通じています。日本人が災害に対して長く抱いてきた感覚が、現代の物語にも形を変えて受け継がれていると見ることもできそうです。

要石があるとされるその他の神社
| 神社 | 所在地 | 特徴 |
|---|---|---|
| 鹿島神宮 | 茨城県鹿嶋市 | 最もよく知られた要石。奥宮の先にあります |
| 香取神宮 | 千葉県香取市 | 凸型の要石。鹿島と一対で語られます |
| 大村神社 | 三重県伊賀市 | 地震除けの神社として知られ、要石と鯰の信仰が伝わります |
| 各地の鹿島神社 | 関東・東北ほか | 鹿島神宮から分かれた社に要石を置く例があります |
よくある質問
要石の読み方は何ですか
「かなめいし」と読みます。扇子の骨をまとめる「要(かなめ)」から来た言葉で、全体をとめている肝心なものという意味です。
要石は触れますか
柵に囲まれているため触れることはできません。柵の外から手を合わせる形で参拝します。
要石はどのくらいの大きさですか
地上に出ている部分は直径40センチほどです。地中の部分は底が知れないと伝えられ、確かめられていません。
どんなご利益がありますか
地震や災害からの守り、物事の土台を固めること、ぶれない心などが願われてきました。家を建てるときや新しいことを始めるときに参拝する人もいます。
奥宮と要石はどちらを先に参拝しますか
本殿、奥宮、そのあとに要石と御手洗池という順路が自然です。奥宮より奥にあるため、奥宮を飛ばして要石だけを見ることは順路の上でも難しくなっています。
まとめ
鹿島神宮の要石は、見た目はごく小さな石です。けれども地中には底がないと語られ、その下にいるものは古代の神から中世の龍、江戸の鯰へと姿を変えながら、1,000年以上おさえ続けられてきました。
原因の説明が変わっても、人が願うことは変わりませんでした。動いてほしくないものを止めておきたい、という願いです。地震を科学で説明できるようになった今も、多くの人がこの石の前で手を合わせるのは、おそらく同じ願いが残っているからでしょう。
鹿島神宮を訪れるなら、本殿で手を合わせたあと、奥参道を奥宮まで歩き、その先の要石まで足を運んでみてください。大きな社殿を見たあとに小さな石の前に立つと、この信仰が何をおさえようとしてきたのかが、かえってよく分かるように思います。




