鹿島神宮は何に強い神社?社殿が北を向いている理由|タブーの真偽と見どころの順路

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鹿島神宮に参拝して、少し戸惑った方は多いのではないでしょうか。楼門をくぐっても、正面に本殿がありません。参道は本殿の前を素通りして、そのまま奥へ伸びていきます。
これは造りの都合ではありません。鹿島神宮の社殿は、日本の神社では珍しい北向きに建てられています。そして参道は社殿を正面に据えず、東へ奥宮の方向へ抜けていく。この配置こそ、鹿島神宮がどういう神社なのかを最もよく表しているものだと思います。
このページでは、よく検索されている「何に強い神社なのか」「何がすごいのか」「タブーはあるのか」という疑問にお答えしながら、社殿が北を向いている理由、湖の中に立つ一之鳥居、徳川3代が建てた社殿、境内の回り方と所要時間までまとめます。
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鹿島神宮の基本情報

| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 所在地 | 茨城県鹿嶋市宮中 |
| 祭神 | 武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ) |
| 社格 | 常陸国一宮、旧官幣大社、全国の鹿島神社の総本社 |
| 創建 | 神武天皇の御代と伝えられます |
| 境内の広さ | およそ70万平方メートル。樹叢は茨城県の天然記念物です |
| 国宝 | 直刀(布都御魂剣と伝えられる大刀) |
| 重要文化財 | 本殿・石の間・幣殿・拝殿、奥宮の社殿、楼門 |
| 最寄り駅 | 鹿島線の鹿島神宮駅から徒歩約10分 |
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何の神様か、何に強い神社なのか
鹿島神宮の祭神は武甕槌大神(タケミカヅチノカミ)です。

『古事記』で国譲りの談判を果たし、神武天皇には布都御魂剣を下した神で、雷の神・剣の神として知られます。

何に強い神社かという問いには、次のように整理できます。
| 願い | 根拠となるもの |
|---|---|
| 勝負運・武道の上達 | 剣の神であり、鹿島の地から剣術の流派が生まれました |
| 旅立ち・新しい挑戦 | 防人が出発前に参拝した「鹿島立ち」の言葉に由来します |
| 決断・交渉事 | 国譲りの談判で役目を果たした神としての信仰です |
| 地震・災害からの守り | 境内の要石が大地をおさえているという信仰からです |
| 厄除け・心願成就 | 荒御魂を祀る奥宮への信仰と結びついています |
この5つのうち、他の神社とはっきり違うのは「旅立ち」です。古代、東国から九州の防衛に向かう防人たちは、出発前に鹿島神宮に参拝したと伝えられます。ここから旅立ちを「鹿島立ち」と呼ぶようになりました。
何かを始めるとき、進路を変えるときに参拝する神社として、鹿島神宮はこの言葉の分だけ特別だと思います。願いを叶えてもらうのではなく、出発に踏ん切りをつけるために寄る社。参拝者が「背中を押された」と感じて帰るのは、この性格があるからではないでしょうか。
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社殿はなぜ北を向いているのか
日本の神社は南向き、あるいは東向きに建てられることが一般的です。太陽の運行に沿わせる考え方からです。ところが鹿島神宮の社殿は北を向いています。
この向きについては、朝廷が東国を経営していく時代に、北方の勢力に対して睨みを効かせるためだったという説が知られています。鹿島は当時、朝廷の支配が及ぶ地域の東の端にあたりました。武の神を北に向けて置くことに意味があったという見方です。

そしてもう1つ、参道の造りにも特徴があります。楼門をくぐった参拝者は、まず右手に拝殿を見ることになります。社殿が参道の正面に据えられておらず、参道はそのまま東の奥宮へ向かって伸びていく。普通の神社なら、参道の突き当たりが本殿です。
筆者はこの配置に、鹿島神宮の役割が形になって残っていると感じます。参拝者を迎え入れるための正面を作らず、社殿は北を見据え、道は奥へ抜けていく。信仰を集めるための社というより、守りの要として置かれた社の造り方に見えるのです。初めて参拝して「正面がない」と戸惑ったなら、その戸惑いのほうが正しい反応だと思います。
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「神宮」と呼ばれた3社のうちの1社
「鹿島神宮は日本三大神宮の1つですか」という質問をよく見かけます。これには明確な根拠があります。
平安時代の『延喜式』神名帳において、「神宮」と記されていたのは3社だけでした。伊勢の神宮、鹿島神宮、香取神宮です。現在は多くの社が神宮の号を用いていますが、古代にこの呼び名を持っていたのはこの3社に限られます。

伊勢が皇祖神を祀る社であることを考えると、残る2社が関東の東の端に、しかも川と湖をはさんで向かい合う形で置かれていることの重さが分かります。「鹿島神宮の何がすごいのか」という問いへの答えとしては、この一点がいちばん確かだと思います。

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徳川3代が建てた鹿島神宮の社殿
現在の主な建物は、いずれも江戸時代初期に徳川家から奉納されたものです。3代にわたっている点が興味深いところです。
| 建物 | 奉納 | 年 |
|---|---|---|
| 奥宮の社殿 | 徳川家康 | 1605年(慶長10年)、関ヶ原の戦勝御礼として |
| 本殿・石の間・幣殿・拝殿 | 徳川秀忠 | 1619年(元和5年) |
| 楼門 | 徳川頼房(水戸藩初代藩主) | 1634年(寛永11年) |
注目したいのは奥宮です。

家康が奉納したこの社殿は、もともと本殿として建てられたものでした。1619年に秀忠が新しい本殿を造営したとき、家康の建てた旧本殿を奥宮の位置へ移したのです。つまり奥宮の建物は、鹿島神宮で最も古い現存の社殿ということになります。
武の神を祀る社に、関ヶ原を制した者とその子が立て続けに社殿を奉納している。楼門は水戸徳川家の初代です。徳川家がこの社をどう見ていたかが、建物の履歴そのものから伝わってきます。
なお楼門は、熊本の阿蘇神社、福岡の筥崎宮と並んで日本三大楼門の1つとされます。朱塗りの大きな門で、境内に入る前の見どころです。
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境内の見どころを順路でたどる
| 順 | 場所 | 見どころ |
|---|---|---|
| 1 | 大鳥居 | 震災で倒れた石造に代わり、境内の杉で再建された木造の鳥居です |
| 2 | 楼門 | 日本三大楼門の1つ。朱塗りの大きな門です |
| 3 | 拝殿・本殿 | 参道の右手にあり、北を向いて建っています |
| 4 | 鹿園 | 神鹿が飼われています。春日大社へ鹿を送ったのがこの地です |
| 5 | 奥参道 | 杉の並木が続く参道。境内でもっとも静かな場所です |
| 6 | 奥宮 | 荒御魂を祀る社。家康が奉納した最古の社殿です |
| 7 | 要石 | 地震をおさえるとされる石。奥宮の先にあります |
| 8 | 御手洗池 | 清水が湧く池。かつての禊の場です |
御手洗池には、大人が入っても子供が入っても水の深さが胸のあたりを超えないという言い伝えがあります。かつては参拝の前にここで身を清めてから社殿へ向かったと伝えられ、現在の順路とは逆の流れだったことになります。

鹿園の鹿は、奈良の鹿とつながりがあります。768年に藤原氏が春日大社を創建する際、鹿島から武甕槌命を迎えました。このとき神が白い鹿に乗って御蓋山に降り立ったと伝えられ、以後奈良では鹿が神の使いとされるようになります。奈良公園の鹿のはじまりは鹿島にある、という言い方もできます。
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一之鳥居は湖の中に立っています
鹿島神宮の鳥居は境内のものだけではありません。西の一之鳥居は、北浦の水面に立つ水上鳥居です。
2013年に再建されたもので、高さは18メートルを超え、水上鳥居としては日本最大とされます。かつて鹿島神宮へ向かう人々は、船でこの鳥居をくぐって参拝したと伝えられます。境内からは離れた場所にあるため、参拝者の多くが見ないまま帰ってしまう鳥居です。夕景が美しく、訪れるなら日の入り前がよいと思います。
東西南北に一之鳥居があるとされ、水上に立つのが西の一之鳥居です。水の上から社へ入るという参拝の形は、鹿島が水運の要にあった土地だということを思い出させてくれます。
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鹿島神宮のタブーと言われているもの
検索でいちばん多く見かける質問が、鹿島神宮のタブーについてです。先に申し上げておくと、鹿島神宮に固有のタブーとして神社が公表しているものは見当たりません。
ただ、境内の性格から実際に気をつけたいことはあります。よく挙げられる「タブー」を、根拠のあるものとそうでないものに分けて整理します。
| 言われていること | 実際のところ |
|---|---|
| 要石に触ってはいけない | 柵に囲まれているため触れません。柵の外から拝みます |
| 鹿に勝手に餌を与えてはいけない | これは守るべきことです。用意された餌以外は与えません |
| 御手洗池に入ってはいけない | 現在は立ち入れません。水を汲むことも神社の案内に従います |
| 奥宮を参拝せずに帰るのはよくない | そうした定めはありません。ただ奥宮まで行かないと境内の半分も見ていないことになります |
| 参道の中央を歩いてはいけない | どの神社にも共通する一般的な作法で、鹿島神宮に固有のものではありません |
| 社殿を正面から拝まないと失礼になる | 拝殿の前から拝めば十分です。参道から見て横向きに見えるのは造りによるものです |
タブーという言葉で検索したくなる気持ちは分かります。失礼をしたくないという気持ちの表れです。ただ、この種の話は根拠が示されないまま広がりやすいものでもあります。
筆者の考えでは、気にすべきことは1つだけです。立入禁止の場所に入らないこと。要石の柵、御手洗池のまわり、禁じられた区域には理由があります。それ以外は、鳥居で一礼し、手水で清め、静かに歩き、拝殿で手を合わせる。この基本を守っていれば、何かを踏み外す心配はありません。
「呼ばれる人」という言い方について
鹿島神宮は「呼ばれた人しか行けない」と語られることがあります。これについても触れておきます。
神社がそうした説明をしているわけではありません。ただ、この言い方が生まれた理由は想像がつきます。鹿島は東京から2時間ほどかかり、ついでに寄れる場所ではありません。思い立って出かけなければ着かない社です。
行こうと決めて、時間を作って、実際に向かう。その一連の決断を「呼ばれた」と表現しているのだと思います。であれば、呼ばれるのを待つ必要はありません。行こうと思えたときが、その人にとっての鹿島立ちです。
年中行事と剣の伝統
鹿島神宮の祭礼で最も知られているのが祭頭祭(さいとうさい)です。3月9日に行われ、国の重要無形民俗文化財に指定されています。色鮮やかな装束の大勢が樫の棒を組み合わせ、囃しながら町を練り歩く独特の祭りです。防人の鹿島立ちに由来するという説があります。
また、12年に一度、午年の9月に御船祭(みふねさい)という大祭が行われます。鹿島の神が船で香取へ渡るという古い形を伝える祭礼で、斎行年は神社の案内でご確認ください。
剣の神を祀ることから、鹿島は武芸の地としても知られてきました。戦国期にこの地から出た塚原卜伝は剣術史に残る人物で、鹿島の太刀の系譜は後世の流派に大きな影響を与えています。現在も武道の上達を願って参拝する人が多い社です。
香取神宮・息栖神社との関係
鹿島神宮の経津主神を祀る香取神宮、そして息栖神社をあわせた3社を巡るのが東国三社巡りです。江戸時代には伊勢参りの帰りにこの3社を回る習慣があり、「下三宮巡り」とも呼ばれました。

3社を巡って組み上げる東国三社守というお守りもあります。1社では完成しない形になっているため、3社すべてを回る動機になっています。取り扱いの詳細は各社でご確認ください。
「鹿島と香取はどちらが古いのか」という問いもよく見かけますが、どちらも創建を神武天皇の御代と伝えており、記録の上で優劣をつけることはできません。国譲りで一対となった神を祀る2社ですから、どちらかを選ぶより両方を訪ねる形が本来に近いと思います。
参拝の所要時間
| 回り方 | 目安 |
|---|---|
| 楼門から拝殿まで | 30分ほど |
| 奥宮まで往復 | 1時間ほど |
| 要石・御手洗池まで含めて | 1時間30分から2時間 |
| 宝物館と西の一之鳥居も加えて | 半日 |
奥参道から先は足場が土と坂になります。歩きやすい靴で行くことをおすすめします。
よくある質問
鹿島神宮は何の神様を祀っていますか
武甕槌大神です。雷の神であり剣の神であり、地震をおさえる神として信仰されてきました。
鹿島神宮の何がすごいのですか
古代に「神宮」と呼ばれたのが伊勢・鹿島・香取の3社だけだったこと、全国の鹿島神社の総本社であること、徳川家康から3代にわたる社殿が現存していること、国宝の直刀を伝えていることが挙げられます。
タブーはありますか
神社が公表している固有のタブーは見当たりません。立入禁止の区域に入らないこと、鹿に勝手に餌を与えないことを守れば問題ありません。
奥宮だけ参拝してもよいですか
順路の上では拝殿を通ってから奥宮へ向かう形になります。拝殿で手を合わせてから進むのが自然です。
国宝の直刀は見られますか
境内の宝物館で展示されています。拵を含めた全長が2.7メートルを超える巨大な直刀で、布都御魂剣と伝えられています。
鹿島神宮と香取神宮はどちらに行くべきですか
一対の神を祀る2社ですので、どちらかを選ぶ必要はありません。鹿島線で移動できる距離にありますので、1日で両方を参拝することもできます。
映画に出てくる場所がありますか
要石という言葉で映画と結びつけて語られることがありますが、作品の設定は創作です。鹿島神宮の要石そのものの説明ではありません。
まとめ
鹿島神宮は、参拝者を正面から迎える造りになっていません。社殿は北を向き、参道は奥へ抜け、境内の奥には地面をおさえる石が埋まっています。
華やかさで人を集める社ではなく、守りの要として置かれた社です。だからこそ、何かを始めようとする人や、腹を決めたい人がここを訪ねるのだと思います。願いを届ける場所というより、自分の向きを定める場所に近い。
参拝するなら、拝殿で引き返さずに奥参道を歩いてください。杉並木が続く静かな道を抜けて奥宮に着き、その先の要石まで行って、御手洗池の湧き水を見る。ここまで歩いて初めて、鹿島神宮という社の形が見えてきます。所要は1時間半ほど。歩きやすい靴でお出かけください。







