「たてまつる」の意味・語源から神道・古事記・祝詞まで遡る、日本語に刻まれた「捧げる」の思想

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「よろしくお願い奉(たてまつ)ります」、格式ある文書でたまに目にするこの言葉を、なんとなく雰囲気で読み流していませんか。あるいは神社でお祓いを受けるとき、神職が奏上する大祓詞(おおはらえのことば)の中に「依さし奉りき」「仕へ奉りて」という言葉が繰り返し流れてくるのを聞いたことがある方もいるでしょう。

「たてまつる(奉る)」は、古文の教科書に必ず出てくる頻出語ですが、その語源まで知っている人は多くありません。この言葉を分解していくと、日本語に古代から刻み込まれた「捧げる」という行為の深い意味が見えてきます。神道の「まつり(祭)」とも根を同じくし、大祓詞をはじめとする祝詞の言語構造をも支えているこの言葉を、語源・古文での意味・神道との関係・祝詞の中の用法という四つの視点から解説します。

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「たてまつる」の基本的な意味——まず辞書的に整理する

「たてまつる」は漢字で「奉る」と書き、ラ行四段活用の動詞です。

現代語でも使われますが、もとは古語・文語の言葉です。意味は大きく謙譲語と尊敬語の二方向があります。

種別 意味
謙譲語① 差し上げる・献上する(「与ふ」「贈る」の謙譲語) 「幣(ぬさ)をたてまつる」(土佐日記)
謙譲語② 補助動詞として〜申し上げる(動詞の連用形に付く) 「仏の御法を守りたてまつる」
尊敬語① 召し上がる(「飲む」「食う」の尊敬語) 「豊御酒(とよみき)まつる」(続日本紀)
尊敬語② お召しになる(「着る」の尊敬語) 「御袴着のこと、一の宮の奉りしに劣らず」(源氏物語)
尊敬語③ お乗りになる(「乗る」の尊敬語、「乗り給ふ」より敬意が強い) 「女御殿、対の上は一つに奉りたり」(源氏物語)

現代語では主に①の「差し上げる・献上する」と補助動詞「〜申し上げる」の用法が残っています。また「会長に祭り上げる」のような「形だけある地位に就けて敬意を払ったことにする」という皮肉な用法も生まれました。これだけ見ると「ああ、謙譲語ね」で終わってしまいますが、ここからが本当の面白さです。

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語源に分け入る——「たてまつる」を分解すると何が見えるか

「たてまつる」という言葉は、二つの動詞が複合したものです。精選版 日本国語大辞典(コトバンク)の解説によれば、

「たて(立)」+「まつる(奉/祭)」

という構成です。「たて」は「たてる(立てる)」の連用形で「出発させる・差し出す」という意味を持ち、「まつる」は上位者に献上する・神に供えるという意味を持ちます。つまり「たてまつる」の原義は、「立てて奉る」——物や人を差し出して、上位の存在に向けて送り届けるという動作です。

「まつる」単体は上代語として万葉集や続日本紀にも登場し、古くは「豊御酒まつる(天皇様が御酒を召し上がる)」のように天皇への尊敬語として使われた一方、「神に献上する」という方向でも使われていました。そして「まつり(祭)」「まつる(祀)」「まつる(奉)」はすべて同語源です。

注目すべきは同語源という事実です。「神を祀る」も「天皇に奉る」も、もとは同じ行為の概念からきています。それは「上位の存在(神・天皇・貴人)に対して、下位の者が何かを差し出す、奉仕する」という一つの原型的な行為です。

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「まつる」という言葉が宿す世界観——神道との深い接続

「まつり」の語源については古来さまざまな説があります。「待つ」(神が降りてくるのを待つ)、「順ふ(まつらふ)」(神に従う・服従する)、「参る(まゐる)」(神のそばに参じる)という説が並立しています。

どの説をとっても共通するのは、「まつり」とは神との関係のなかで成立する行為だということです。神の側に立って待つ・従う・参じる——これらすべてが、神という上位存在と向き合う人間の姿勢を表しています。

そして「たてまつる」の「まつる」もこの世界に属しています。物を差し出し、神や天皇という絶対的な上位存在に向けてそれを「たてる(立てる=差し出す)」——この動作の構造は、神道の幣帛(へいはく)の奉納や玉串奉奠(たまぐしほうてん)と同じ論理です。

神社の神事で玉串(榊の枝)を神前に捧げるとき、その動作は「神に向けて立てて差し出す」という原義の「たてまつる」そのものです。神棚に御神酒を上げるとき、幣帛を神前に奉るとき、すべてそこには「たてまつる」という古い言葉の身体的な記憶があります。

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古事記・日本書紀にみる「たてまつる」の世界

古事記や日本書紀には「奉る(たてまつる)」が随所に登場します。

天の岩戸の場面——「差し上げ持つ」という神事の原型

天照大御神が天の岩戸に隠れた場面、太玉命(アメノフトダマノミコト)が幣帛を「ささげ持ち」、天児屋命(アメノコヤネノミコト)が祝詞を申し上げます。この「幣帛を捧げ持つ」動作が「たてまつる」の原型的な用法のひとつです。神に向けて物を立て差し出す——この儀礼が、後の「たてまつる」という言葉に結晶しています。

天孫降臨——「三種の神器を奉る」

ニニギノミコトが天から降りる際、天照大御神三種の神器を授けます。この場面でも「奉る」は神からその子孫への「神聖な委託・下賜」という意味合いをも帯びています。「奉る」という言葉が、神→人という方向でも、人→神という方向でも使われるという点は、この語義の核心が「方向の上下」ではなく「神聖な授受の関係」そのものにあったことを示しています。

土佐日記の「幣をたいまつる」

紀貫之が書いた土佐日記には「言ふにしたがひて、幣(ぬさ)たいまつる」という一節があります。住吉の神に幣を差し上げる場面です。「たいまつる」は「たてまつる」のイ音便で、幣帛を神に奉る日常の神事の言葉として「たてまつる」が使われていたことがわかります。

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祝詞の中の「奉り」——声に出して神に届ける言葉の構造

「たてまつる(奉る)」を最も深く、最も純粋な形で体験できる場所が祝詞(のりと)です。

祝詞とは、祭典に奉仕する神職が神に奏上する言葉のことです。その語源は「宣(の)る言(こと)」——神に対して言葉を宣り上げることを意味します。祝詞には言霊が宿り、口に出して述べることでその霊力が発揮されると考えられてきました。「たてまつる」という動詞は、この祝詞の世界で特別な役割を果たしています。

大祓詞の中の「奉り」——神話の構造を刻む言葉

現在も全国の神社で六月と十二月の大祓(おおはらえ)に奏上される大祓詞(おおはらえのことば)は、「たてまつる」が祝詞の言語においてどのように機能するかを示す重要な一次資料です。大祓詞の冒頭部分を見てみましょう。

「高天原に神留り坐す皇親神漏岐神漏美の命以ちて八百萬神等を神集へに集へ賜ひ(中略)我が皇御孫命は豊葦原の水穂の國を安國と平らけく知ろし食せと事依さし奉りき 此く依さし奉りし國中に荒振る神等をば(中略)天降し依さし奉りき 此く依さし奉りし四方の國中と大倭日高見國を安國と定め奉りて 下つ磐根に宮柱太敷き立て高天原に千木高知りて皇御孫命の瑞の御殿仕へ奉りて

現代語に訳すと「豊葦原の瑞穂の国を安らかな国として治めよと、ニニギの命にお委ね奉った。このようにお委ね奉った国の中で……国を定め奉り、宮柱を打ち立て、皇御孫命の御殿にお仕え奉って」となります。

この短い節の中に「奉り(たてまつり)」が何度も繰り返されていることに気づくでしょうか。「事依さし奉りき」「定め奉りて」「仕へ奉りて」——これらはすべて「たてまつる」の活用形です。

祝詞の「奉り」が担う役割——神話と祈りをつなぐ言葉

なぜ大祓詞はこれほど「奉り(たてまつり)」を繰り返すのでしょうか。

大祓詞の構造を見ると、前半は神話の再現です。高天原で天照大御神がニニギに国を委ねた——という神話の一場面が、祓いの場で毎回言葉として再現されます。そのとき「委ねた」という動作を表す言葉として選ばれているのが「依さし奉りき」です。

「事依さし奉りき」という言葉をほどくと、「こと(事)+よさし(依り決めさせ)+奉りき(たてまつりき)」となります。「神が皇御孫命に対して、国土の経営を立て差し出した(たてまつった)」という、神から下位者への神聖な委託行為を表しています。ここで「たてまつる」は方向が逆転しています。人から神への「差し上げる」行為ではなく、神から人への「委ねる・授ける」行為に使われているのです。これは前述した「奉る」の語義の核心——「上下方向の差し出し」ではなく「神聖な授受の関係」そのもの——を裏付けています。

祝詞の中で「奉り」が繰り返されることには、もう一つの意味があります。神職が祝詞を奏上するとき、その言葉は神に「差し上げる(たてまつる)」言葉です。祝詞全体が「言葉をたてまつる行為」であり、その中に「奉り」という言葉が埋め込まれているという二重構造があるのです。

延喜式祝詞の「奉る」——国家祭祀を支えた言葉

平安時代に編まれた延喜式(905〜927年成立)には二十七編の祝詞が収録されており、現存する最古の公式祝詞集とされています。これら延喜式祝詞にも「奉り(たてまつり)」は要所要所に登場します。

中臣寿詞(なかとみのよごと)や大嘗祭の祝詞には「称辞竟へ奉らくと申す(たたえ言い終えたてまつると申します)」という定型句があります。これは祝詞の末尾を締めくくる重要な慣用句で、「神に申し上げる言葉を、これで言い終えます」という奏上の完結を示します。「奉らく」は「奉る(たてまつる)」に推量の助動詞「らく」が付いた形で、「奉りましょうとする」という謹み深い表現です。

また六月晦大祓(延喜式原文)には「天皇が朝廷に仕奉る(つかえたてまつる)伴男……官官に仕奉る人等の過ち犯しけむ……」とあります。天皇に仕え奉る人々が犯した罪を、大祓で清める——という祝詞の論理の中心に「仕奉る(つかえたてまつる)」という言葉が据えられているのです。

延喜式祝詞の研究者は「延喜式祝詞の基礎的要件は、神への幣帛を読み上げ、それによる神徳を祈願することにある」と指摘しています。この「神への幣帛を読み上げる」という行為が、まさに「言葉をたてまつる」——言霊を捧げる行為です。

神棚祝詞の「奉り」——日常に息づく言葉

大祓詞や延喜式祝詞という大きな舞台だけでなく、毎朝の神棚祝詞にも「奉り」は生きています。

「掛けまくも畏き天照大御神・産土大神等の大前を拝み奉りて 恐み恐みも白さく 大神等の廣き厚き御恵みを辱み奉り(かたじけなみたてまつり)」

毎朝神棚に向かって唱えるこの言葉の中に、「拝みたてまつって」「かたじけなく思いたてまつって」という形で「奉り」が息づいています。日々の生活の中で、神棚の前に立つとき、私たちはこの「たてまつる」という古代の言葉の構造の中に入っているのです。

祝詞そのものが「たてまつる」行為である

祝詞(のりと)という言葉の語源は「宣(の)る言(こと)」です。神に向かって言葉を宣り上げることが祝詞の本義です。この「宣り上げる」という行為は、まさに「たてまつる」です。言葉を立て、神に向かって差し出す。神職が声に出して祝詞を奏上するとき、その声は神への「言葉のたてまつり」です。

大祓詞の最後は「天つ神・國つ神・八百萬神等共に聞こし食せと白す(もうす)」と締めくくられます。「白す(もうす)」は「申し上げる」という意味の古語で、これもまた「奉る」と同じく下位から上位への言葉の差し出しです。祝詞の言語全体が、神という上位存在に向かって言葉を「立て差し出す」という「たてまつる」の構造で成り立っているのです。

祝詞の中で「奉り」が語られながら、祝詞そのものが神への「言葉のたてまつり」である——このことは偶然ではありません。古代日本人にとって、「言葉」と「物」と「行為」はすべて同じように神に差し出すことができるものでした。「たてまつる」という語には、その根本的な世界観が宿っています。

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平安文学での展開——神から天皇へ、そして貴人へ

「たてまつる」という言葉の歴史をたどると、神への「奉納」から天皇への「献上」、そして平安貴族社会での「目上の人への差し出す行為」全般へと意味が広がっていく過程が見えます。

源氏物語では「奉る」が非常に頻繁に使われ、物を差し上げるだけでなく「着物をお召しになる」「お乗りになる」という尊敬語としても使われます。源氏物語研究者の指摘によれば、「奉る(たてまつる)」は「見る」「聞く」「返す」「抱く」など具体的な身体的動作に付き、「聞こゆ」は「思ふ」「恋ふ」など精神的・内面的な動作に付く傾向があります。「奉る」が身体・物質・行為の世界に属するという特徴は、この言葉が本来もっていた「具体的な物の授受・行為の差し出し」という性格——物を立て差し出す「たてまつる」の原義——を反映しています。

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「たてまつる」と「まつりごと(政)」——権力の構造が言葉に宿る

「まつりごと(政)」という言葉があります。「政治」を意味するこの言葉は、もとは「神事・祭りのこと」という意味でした。古代日本では神を祀ること(祭)と国を治めること(政)は同一でした。「祭政一致」の社会では、神に奉る行為(たてまつる)と君主に仕える行為が、言語の根っこでつながっていたのです。この視点から見ると、「たてまつる」という言葉が謙譲語として使われ続けてきたことは、単なる「丁寧な言い方」以上の意味を持ちます。日本語の中に生き続ける、古代の神聖な秩序——上位存在に向けて下位の者が何かを「立てて差し出す」という関係性——の痕跡です。

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「祭り上げる」——現代語に残る皮肉な用法

現代日本語で「たてまつる」の名残りが最も鮮明に現れるのが「祭り上げる(まつりあげる)」という表現です。「彼を会長に祭り上げて口出しをさせない」——形だけ高い地位に就けて実権を奪う、という意味です。かつては神聖な行為だった「たてまつる」「まつりあげる」が本来の神聖さを失い、「飾りにする」「実質を伴わない敬意を示す」という皮肉な意味に転じました。神に向けて物を差し出す行為だった「まつる」が、権力者への儀礼的な奉仕を経て「形式だけの敬意」へと腐食していく変遷は、言葉が神聖な秩序から離れるとき何が起きるかを示しています。

まとめ——「たてまつる」の意味と語源を整理すると

視点 内容
語源 「たて(立てる=差し出す)」+「まつる(奉る・祀る)」の複合語
原義 上位の存在(神・天皇・貴人)に向けて物・人・行為を立てて差し出す
古語の主な意味 ①差し上げる・献上する(謙譲)②〜申し上げる(謙譲の補助動詞)③召し上がる・お召しになる・お乗りになる(尊敬)
同語源の言葉 まつる(祭る)・まつる(祀る)・まつりごと(政)・まつり(祭)
神道との接続 幣帛・玉串の奉納など、神前に物を差し出す神事行為が原義に対応
祝詞の中の役割 大祓詞「事依さし奉りき」「仕へ奉りて」・延喜式「称辞竟へ奉らくと申す」・神棚祝詞「拝み奉りて」——神話の再現・神への奉仕・祈りの表現として機能する
祝詞との二重構造 祝詞そのものが「言葉をたてまつる行為」であり、その中に「奉り」という言葉が繰り返し登場するという自己言及的な構造をもつ
意味の変遷 神への奉納→天皇への献上→貴人への差し出し→「祭り上げる」(皮肉な現代語用法)
現代に残る用例 神事(御神体を移し奉る)・祝詞奏上・格式ある書面(お願い奉ります)・「祭り上げる」

「たてまつる」は古文の教科書では「差し上げる」「〜申し上げる」と覚えさせられますが、その語源には「神に向けて物を立てて差し出す」という古代の行為が宿り、「まつり(祭)」という日本文化の根幹とつながっています。そして大祓詞や延喜式祝詞という形で今日も神社の神事の言葉として生き続けています。

神社でお祓いを受けるとき、神職が唱える大祓詞の中に「依さし奉りき」「仕へ奉りて」という言葉が流れるとき——それは単なる古い言い回しではありません。神と人間、高天原と地上、言葉と行為を結ぶ「たてまつる」という古代日本語の構造が、そのまま今の神事の場に息づいているのです。言葉一つに日本の神観・礼節観・権力構造の歴史が折りたたまれています。これが日本語という言語の豊かさです。

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