
「田子の浦ゆ うち出でて見れば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける」——山部赤人がこの歌を詠んだのは奈良時代のことです。万葉集には富士山を詠んだ歌が11首残り、10世紀には竹取物語にも登場します。日本人にとって富士山は古来より特別な存在でした。
ところが不思議なことがあります。日本最古の歴史書とされる古事記(712年)にも、日本書紀(720年)にも、富士山の記述が一言も存在しないのです。
あれほど雄大で、当時すでに知られていた山が、なぜ国家が編纂した二大歴史書から完全に姿を消しているのか。この謎は多くの研究者・歴史ファンを惹きつけてきました。本記事では確認できる事実を整理しながら、提唱されている複数の説を比較して解説します。
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本当に富士山は記紀に出てこないのか
富士山に関する記述が「一言もない」というのは本当のことです。
古事記・日本書紀の全文を通じて、「富士」「不尽」「布士」という表記はもちろん、富士山を指すと確定できる記述は確認されていません。
ただし一点、注意が必要な記述があります。
古事記に登場するヤマトタケルの東征説話で、ヤマトタケルが足柄の坂本(現・神奈川県南足柄市)から甲斐の酒折宮(現・山梨県甲府市)に向かう場面で「あづまはや(吾妻よ)」と三度嘆くくだりがあります。足柄から甲斐に向かう途中、眼前に富士山が見えたはずであり、「あづまはや」は富士山を指したのではないかという解釈もあります。しかし富士山と明記されているわけではなく、謎は解けません。
一方で古事記には、木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメ)が祀られる浅間神社との接点がある神話は存在します。ただし「富士山」という固有名詞は登場しません。
これに対し同時期の万葉集には富士山が11首詠まれており、常陸国風土記にも「福慈岳(ふじのたけ)」として記載があります。同時代の文献にはあるのに、記紀にだけない——これが謎の核心です。
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記紀が作られた背景——「壮大なフィクション」の必要性
諸説に入る前に、古事記・日本書紀がいつ・なぜ・誰によって作られたかを確認しておきましょう。これが富士山不在の謎を読み解く最大の文脈です。
663年、倭国は白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗を喫しました。大陸の超大国が朝鮮半島を制圧し、日本列島への侵攻も現実的な脅威となりました。この危機に直面した天武天皇(在位673〜686年)は「日本列島を一つの強い国家としてまとめなければならない」という国防上の急務を抱えました。
しかし現実の日本列島は、各地に独自の王・豪族・伝承を持つ複数の「国」の集合体でした。北九州の祝(ほうり)氏が白村江の前後に朝鮮半島の白王国と連携して大和に反抗した「祝の乱」のような事例も起きていました。「あちこちに王朝があった」という現実を抱えたまま、外圧に対峙することはできません。
そこで天武天皇を中心に歴史編纂の委員会が作られ、日本書紀の場合は藤原不比等が中心的な役割を果たしました。各地の伝承(腰子古典と呼ばれるもの)を集め、矛盾するものはなかったことにし、「日本列島は初めから天皇を中心とした一つの国だった」という壮大な物語を作り上げた、これが記紀の成立背景です。
この視点で見るとき、「記紀は完全な歴史的事実の記録ではなく、当時の政治的な必要性から選択・編集された物語」であることがわかります。そして富士山の不在もまた、その選択と編集の結果として理解できます。
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説①——東国の辺境にある山だったから
最も「穏当」な説が、富士山が東国の辺境に位置していたからというものです。
記紀が編纂された8世紀初頭、大和朝廷の実質的な支配圏は奈良盆地とその周辺でした。富士山のある駿河国・甲斐国は、当時の感覚では「東国」の奥深くです。現代人は「静岡は関東地方の隣」と感じますが、当時の道路事情・情報網で考えると、富士山は中央からはるかに遠い場所にありました。
万葉集で富士山を詠んだ山部赤人も、奈良から東海道を東に下る旅の途中で目にしたことが歌から読み取れます。万葉集の中央の官人層が富士山について作歌したものは、山部赤人とそれに続く高橋虫麻呂の歌だけで、結局のところ中央では歌のテーマとして流行っていなかったという指摘もあります。
記紀はあくまで「大和(ヤマト)の物語」として編纂されました。大和の神話・大和の王権の系譜・大和に関わった出来事が描かれるべき書物に、大和から遠い東国の山が登場しない——という解釈は素朴ですが一定の説得力があります。
ただしこの説だけでは説明が不十分です。同じく「東国」に属す常陸国は風土記に詳しく記録されており、大和から遠い九州の神話も記紀に豊富に登場します。「東国だから書かなかった」では、なぜ富士山だけがこれほど完全に不在なのかの説明になりません。
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説②——活火山への恐怖と「書けない」事情
2番目の説は、富士山が活発な活火山であり、大和朝廷にとって「書きにくい存在」だったというものです。
奈良時代の富士山は今よりはるかに活発な火山でした。万葉集の歌にも「わぎもこに 逢ふよしをなみ 駿河なる 富士の高嶺の 燃えつつかあらむ」(愛しい人に逢えない思いよ、富士の高嶺の燃える炎のように)という歌があり、当時の富士山が噴煙を上げ続けていたことがわかります。富士本宮浅間社記によれば第7代孝霊天皇の御代に大噴火があり、周辺住民が離散したとも伝えられています。
大和の神々の権威でコントロールできない、恐ろしい活火山の存在を国家の正史に書き込むことは、むしろ人心の不安を煽るリスクがあったかもしれません。「神代から続く天皇の統治が及ぶ安定した国土」という物語のためには、制御不能な火山の存在は触れない方が都合がよかったとも考えられます。
またこの説の延長として、富士山を鎮める祭神「木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメ)」は九州・日向(宮崎)の神を起源とする系統の神です。「大和の神では抑えることのできない恐怖の活火山富士を治めるには九州の神が必要だった」という指摘は、当時の信仰感覚として興味深い視点を提供しています。
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説③——藤原不比等による「政治的抹消」説
より踏み込んだ説として、藤原不比等が意図的に富士山(および関東の記録)を記紀から抹消したという見方があります。戸矢学氏の著書『古事記はなぜ富士を記述しなかったのか——藤原氏の禁忌』(河出書房新社)などがこの説を展開しています。
この説の骨格はこうです。記紀編纂の実質的な主導者は藤原不比等でした。不比等の出自と権力基盤は、鹿島・香取神宮を擁する中臣氏(後の藤原氏)であり、その信仰圏は関東方面にありました。ところが関東から東北にかけては、ヤマト王権とは異なる独自の文化・信仰・歴史を持つ勢力が存在しており、その記憶を正史に書き込むことは藤原氏の権力基盤を揺るがす可能性があった——というロジックです。
この説の傍証として、新撰姓氏録(平安初期に編纂された貴族の家系一覧)を見ると、神別(神の子孫)として記載された氏族の中に関東から来た人々が多く含まれており、「神の祖先は関東の人たちだった」という記録が消しきれずに残ってしまっているという指摘があります。
この説は魅力的ですが、「藤原氏が意図的に消した」という直接的な証拠はなく、あくまで状況証拠からの推論であることは認識しておく必要があります。
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説④——高天原は関東・東国にあったという視点
最も大胆な説が、高天原は富士山周辺・関東・東国にあったという仮説です。
「高天原(たかまがはら)」という言葉に注目します。高天原は通常「天空の神々の世界」として抽象的に解釈されますが、実際の古事記・日本書紀を読むと、そこで稲作が行われ、蚕が育てられ、機織りがなされ、具体的な農業的・産業的活動が描かれています。また「原(はら)」という言葉は天空ではなく平原・地上の場所を指します。
さらに鹿島神宮(茨城県)の近くに「高天原(たかまはら)」という地名が今も残っていることも興味深い点です。
「高く険しい場所」ではなく、海が見渡せる普通の平地に「高天原」の地名が残っているという事実は確認できます。
縄文時代の遺跡の分布を見ると、人口が最も密集していたのは関東から東北にかけての地域です。農耕が本格化するにつれて、人が集まり組織が生まれた場所が関東・東国にあったとすれば、そこに独自の「王朝」的な統治が生まれていたとしても不自然ではありません。宮下文書では「富士王朝」があったということが記されていますが、一般的には疑問視されています。
この枠組みで読むと、スサノオが高天原を追放されるエピソードは「関東・東国から追放された」ということになり、天岩戸の場面(富士山の大噴火による暗闇と解釈される)は関東で起きた出来事の神話的記憶として読める——という解釈が展開されます。
この説は証拠が薄く、学術的な定説ではありません。しかし「なぜ記紀には関東・東北の記録がほとんどないのか」「なぜ高天原の描写がこれほど具体的な農耕・生活の場なのか」という問いへの一つの応答として、記紀神話を読む視点を豊かにするものとして興味深い仮説です。
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富士山が文献に登場してくる流れ——万葉集から竹取物語へ
記紀(712年・720年)には出てこなかった富士山が、他の文献にはどのように登場していくのかを辿ってみましょう。
記紀とほぼ同時期に編纂が進んでいた万葉集(8世紀後半成立)には富士山が11首登場します。最も有名なのが山部赤人の「天地の別れし時ゆ 神さびて 高く貴き 駿河なる 富士の高嶺を……」という長歌で、「天地創造の時代から高く神々しい」と、富士山を神代の山として詠んでいます。この赤人の歌の反歌が「田子の浦ゆ うち出でて見れば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける」であり、百人一首にも収録されています。
注目すべきは赤人の出身地です。続日本紀などに名前が記されていないことから下級官人だったとされていますが、上総国(千葉県)山辺郡出身という古文書が残っています。関東出身の官人が、東国への旅の途中で富士山を歌った——万葉集の富士山は「中央ではなく東から詠まれた山」という特徴を持っています。
9世紀末〜10世紀初に成立した竹取物語には、かぐや姫が「不死の薬」を残し、帝がそれを富士山頂で燃やすという結末があります。この物語で「富士山は不死の薬を燃やした山」として、中国由来の神仙思想における「蓬莱山(ほうらいさん)」、不老不死の仙人が住む霊山のイメージと結びつきます。
さらに中国・五代の僧・義楚が著した仏教辞典「義楚六帖」(955年頃)には「日本国の東に富士山あり、頂に火煙あり」という記述があります。10世紀には中国にまで「富士山=噴火する神山」の情報が伝わっていたことがわかります。
こうして見ると、富士山の「霊山」としてのイメージが確立していくのは9世紀〜10世紀であり、記紀が編纂された8世紀初頭はまだその以前の段階でした。
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富士山と浅間神社——記紀に出ない山が、なぜ全国に信仰を持つのか
富士山を御神体とする浅間神社(せんげんじんじゃ)は、全国に約1300社存在します(富士山本宮浅間大社が総本社)。主祭神は木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメ)で、富士山の噴火を鎮める神として祀られてきました。
この木花咲耶姫命は、古事記・日本書紀に登場する神です。天孫ニニギノミコトと結婚し、一夜の契りで身ごもったことを疑われ、それが嘘ではないことを証明するために産屋に火を放って出産したという神話を持ちます。炎の中で子を産む——この神話が、噴火する山の祭神として結びついていきます。
「記紀に富士山は出てこないが、富士山の祭神はいる」というこの構造自体が興味深いのです。山の存在を記さず、祭神だけが記紀の中に存在する——富士山に対する記紀編纂者の「意識的な距離」を示しているようにも読めます。
各説の比較と評価
| 説 | 主な根拠 | 弱点・反論 | 説の性格 |
|---|---|---|---|
| 東国辺境説 | 大和から遠く、当時の支配圏外だった | 九州・常陸は記紀に登場する。富士山だけが特別に不在な理由にならない | 比較的穏当。一因としては有力 |
| 活火山恐怖説 | 当時の富士山は活発な噴火活動中。書くことで人心不安を招く | 浅間神社(富士山の祭神)は認識されていた。完全に無視できる理由にならない | 一因として説得力あり |
| 政治的抹消説(藤原不比等) | 記紀編纂の主導者が藤原氏。東国の独自王朝の痕跡を消す必要があった | 直接的な証拠なし。状況証拠の積み重ね | 学術的には傍証のみ。仮説として有力視する研究者あり |
| 高天原関東説 | 縄文時代の人口密集地は関東。高天原地名が残る。高天原の農耕描写と一致 | 証拠が薄い。神話的解釈の範囲を出ない | 学術的定説ではないが、記紀を読む視点として興味深い |
「どんな歴史書も偏っている」——記紀を読む視点として
富士山の不在という謎を考えることは、記紀そのものをどう読むかという根本的な問いに繋がります。
記紀は712年・720年に完成した当時の最高水準の編纂物です。しかし同時に、天武天皇〜藤原不比等の時代という特定の政治状況の中で、特定の目的(国家統一の正統性の確立)のために書かれました。
どんな歴史書も書いた人の「立場・ポジション」があります。記紀も例外ではありません。
実際、各地にあった地方の伝承(風土記など)と記紀の記述が矛盾する場合は少なくなく、「記紀に書かれていないこと」が「なかった」ことを意味するわけではありません。
富士山が記紀に出てこない謎は、一つの「正解」で完結するものではありません。複数の要因が重なった結果であり、またその謎を追うことで、記紀とは何か・日本神話はどのように成立したか・古代日本列島にはどのような多様性があったかという、より深い問いへと誘われます。
古事記・日本書紀の神話を愛しながらも、そこに「どんな意図があったのか」「何が語られなかったのか」を問い続けること——それが日本の歴史と神話と向き合う姿勢の一つです。
まとめ
富士山が古事記・日本書紀に出てこない理由として提唱されている主な説は、東国辺境説・活火山恐怖説・藤原不比等による政治的抹消説・高天原関東説の四つです。どれも決定的な証拠があるわけではなく、複数の要因が重なっている可能性が高いと言えます。
確かなことは、万葉集・竹取物語・常陸国風土記などの同時代・近接時代の文献には富士山が登場していること、記紀が国家統一の政治的目的のもとで特定の視点から編纂されたこと、そして富士山の祭神・木花咲耶姫命は記紀にしっかりと登場していることです。
「書かれなかった山」の謎は、逆説的に日本最大の霊山が古代においていかに特別な存在であったかを照らし出しています。











