産霊(むすひ)とは?おむすび・むすこ・苔のむすまでの意味と共通点|日本神話に創造主がいない理由

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おむすび。むすこ。むすめ。苔のむすまで。
日本語には、「ムス」という音を含む言葉が多くあります。食べ物にも、家族の呼び名にも、国歌の一節にも。これらは、たまたま音が似ているだけなのでしょうか。
その手がかりが、『古事記』の冒頭にあります。この国の神話は、天之御中主神に続いて、高御産巣日神と神産巣日神という二柱の神を登場させます。名前に含まれる産巣日(ムスヒ)こそ、ムスという音の中心にある言葉です。
この記事では、産霊(むすひ)という考え方が何を指しているのか、なぜ神話の最初に置かれたのか、そして日常語のなかにどう残っているのかを見ていきます。日本人が命というものをどう捉えてきたか、という話でもあります。
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産霊(むすひ)とは何でしょうか
産霊は、ムスとヒという二つの要素からできた言葉です。
ムスは、生じる、生え出る、ひとりでに成るという意味です。ヒは、目に見えない霊妙なはたらきを表す語とされます。つまり産霊とは、ものが生じてくるはたらきそのもの、ということになります。
ここで大切なのは、これが作るという動作ではない点です。
| 観点 | つくる | むす |
|---|---|---|
| 働きかけ | 外から手を加えます | 内から生じてきます |
| 作り手 | 誰かがいます | 特定できません |
| 完成 | できあがれば終わります | 生じ続けます |
| できたものとの関係 | 作り手から切り離されます | つながったままです |
| たとえると | 器を成形する | 苔が生え、芽が出る |
この違いは、あとで見る神話の構造にそのまま関わってきます。日本の神話には、世界を設計して組み立てた創造主が登場しません。代わりに、生じるはたらきそのものが神として置かれているのです。
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神話の最初に、産霊の神が二柱います
『古事記』は、天地のはじまりにおいて三柱の神が現れたと記します。天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神。まとめて造化三神と呼ばれます。
この三柱のうち、二柱までが産霊の神です。天之御中主神は名のとおり中心に座す神で、その後ほとんど物語に登場しません。実際に動くのは、産霊の神のほうです。
つまり日本の神話は、最初の一手として、生成のはたらきを神として立てました。誰かが世界を設計したのではなく、生じる力がまずあった。この置き方に、筆者は神道の性格がもっとも端的に表れていると考えています。
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高御産巣日神は、実は物語の司令塔です
名前だけ見ると抽象的な神ですが、高御産巣日神は神話のなかで具体的に動きます。しかもかなり重要な場面ばかりです。
この神は、高木神(たかぎのかみ)という別名でも呼ばれます。物語の後半では、この名で登場することが多くなります。
| 場面 | 高御産巣日神の役割 |
|---|---|
| 葦原中国の平定 | 天照大御神とともに、誰を地上へ遣わすかを決めます |
| 天若日子の裏切り | 返ってきた矢を投げ返し、天若日子を射抜きます |
| 国譲りの交渉 | 建御雷神の派遣を決定します |
| 天孫降臨 | 邇邇芸命を地上へ降すよう命じます |
| 神武東征 | 八咫烏を遣わすなど、道案内を手配します |
並べてみると、天照大御神と対等か、場面によってはそれ以上に主導的です。『日本書紀』ではこの傾向がさらに強く、高皇産霊尊が前面に出る場面が目立ちます。
神産巣日神は、いのちを取り戻す神です
もう一柱の神産巣日神も、重要な場面で現れます。
大国主神が兄弟たちに謀られ、焼けた岩に押しつぶされて命を落としたとき、母の願いを受けて二柱の女神を遣わし、大国主神を蘇生させたのがこの神です。また、小さな神である少名毘古那神(スクナビコナノカミ)を生んだ神ともされます。
高御産巣日神が指令を出し、天から地上へと働きかけるのに対し、神産巣日神は失われた命を戻し、地上の営みを助けます。生じるはたらきにも、押し出す方向と、包み育てる方向の二つがあるということでしょう。

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宮中で祀られてきた八柱のうち、五柱が産霊の神です
産霊がどれほど重んじられてきたかを示す、はっきりした証拠があります。
律令の時代、朝廷には神祇官という役所が置かれ、そこに八神殿が設けられていました。天皇の身体と国の安泰を守る、特別な八柱の神を祀る場所です。

| 神名 | 読み | 産霊の神か |
|---|---|---|
| 神産日神 | かみむすひのかみ | 産霊の神 |
| 高御産日神 | たかみむすひのかみ | 産霊の神 |
| 玉積産日神 | たまつめむすひのかみ | 産霊の神 |
| 生産日神 | いくむすひのかみ | 産霊の神 |
| 足産日神 | たるむすひのかみ | 産霊の神 |
| 大宮売神 | おおみやのめのかみ | 宮に仕える神 |
| 御食津神 | みけつかみ | 食物の神 |
| 事代主神 | ことしろぬしのかみ | 託宣の神 |
八柱のうち五柱が、名前にムスヒを含んでいます。国家が公に祀る神々の中心に、生成のはたらきが据えられていたということです。
この八神は、現在は宮中三殿の神殿に祀られています。制度としての神祇官は明治期に姿を消しましたが、祀られる神々は続いているわけです。
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「むす」は日常語のなかに生きています
苔のむすまで
国歌の一節にある、苔のむすまで。この「むす」が、まさに生じるという意味の動詞です。苔は植えるものではなく、条件が整えばおのずと生えてきます。ムスという語の感覚を、これ以上ないほど正確に表しています。
なお現代語でも、草が生い茂ることを表す言い方として「むす」は残っています。使う機会は減りましたが、死語ではありません。
むすこ、むすめ
息子と娘を、むすこ、むすめと読みます。この語源を、産す子、産す女に求める説があります。生じ出た子、生じ出た女性という理解です。
この説が正しいとすれば、日本語では子どもを、作られた存在ではなく、生じてきた存在として呼んでいることになります。産霊の思想と、そのまま重なります。
ただし語源には諸説があり、確定しているわけではありません。心地よくつながる説ほど慎重に扱うべきだというのが、筆者の基本的な姿勢です。
「結ぶ」と「産す」は同じ語なのでしょうか
ここは、はっきりさせておきたい部分です。
産霊を説明するとき、しばしば「むすび」と読み、結ぶことと同じだと語られます。縁を結ぶ、絆を結ぶ、といった話につなげる説明もよく見かけます。
しかし言語の側から見ると、生じるという意味の「むす」と、紐を結ぶという意味の「むすぶ」は、本来別の語であるとする見方が有力です。音が似ていることから後に結びつけて理解されるようになった、という順序が考えられます。
ですから、産霊は結ぶことだ、と言い切るのは正確ではありません。正確に言うなら、こうなります。もともとは生成を意味する語だったが、結ぶという語と重ねて受け止められるようになった。
そのうえで筆者は、この重なり自体を否定する必要はないと考えています。二つのものが結ばれたとき、そこから新しい何かが生じる。結ぶことと生じることは、現象としては続いています。古い日本語が二つを別語として持ちながら、後の人々がそれを重ねて感じ取ったのだとすれば、それは誤解というより発見だったのかもしれません。
おむすびという呼び名
握り飯をおむすびと呼ぶのも、同じ流れのなかにあります。米を握り固める行為を、結ぶという言葉で表しています。
三角に握るのは山の形をかたどったもので、神の宿る山にあやかったという説もありますが、これも確かめられた話ではありません。ただ、稲を神からの賜りものと考えてきた土地で、その米を手で結び固めた食べ物にこの名がついたことは、偶然としても味わいがあります。
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筆者の考察 創造主を立てなかったことの意味
作られた世界と、生じた世界
世界の神話には、神が世界を作ったと語るものが数多くあります。設計し、材料を選び、順序を決めて組み立てる。作り手と作られたものは、はっきり分かれています。
日本の神話は、この道を取りませんでした。最初に置かれたのは作り手ではなく、生じるはたらきです。この違いは、その後のあらゆる場面に効いてきます。
作られたものは、完成した時点で作り手から切り離されます。しかし生じたものは、生じさせたものと地続きです。切り離されていないから、人も自然も神と連続していると考えられる。八百万の神という発想が成り立つ土台は、ここにあると筆者は見ています。
責任の所在という問題
この構造には、弱点もあります。あわせて書いておきます。
創造主がいる世界では、世界のあり方に責任を負う存在がはっきりしています。なぜ苦しみがあるのか、なぜ理不尽が起きるのかを、その存在に問うことができます。答えは容易ではありませんが、少なくとも問う相手がいます。
生じるはたらきには、問う相手がいません。ただ生じ、ただ移り変わる。だから日本の信仰は、なぜという問いよりも、どう受け止めるかという方向に発達してきました。もののあはれという感じ方も、その延長にあるように思います。
これは優劣の話ではありません。世界をどう捉えるかという前提が違えば、そこから育つ態度も変わるというだけのことです。ただ、自分たちがどちらの前提の上に立っているかを知っておくことには、意味があると思います。
いま、産霊をどう受け取るか
現代の言葉に置き直すなら、産霊は、ものごとが生まれてくる場に対する敬意ということになるでしょうか。
自分が作ったと思っている仕事も、実際には多くの条件が重なって生じたものです。子どもは、親が設計したわけではありません。作物も、育てるとは言いますが、育つのは作物自身の力です。人にできるのは、条件を整えることまでです。
すべては自分の手柄ではなく、生じてきたものを預かっている。そう考えると、扱い方が変わってきます。産霊という古い言葉が伝えているのは、そういう構えなのだと筆者は受け止めています。
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産霊についてよくある質問
むすひとむすびは、どちらが正しいのですか
古い形は、清音のムスヒです。のちに濁ってムスビとも読まれるようになりました。どちらが誤りということはありませんが、神名として扱うときはムスヒと読むのが一般的です。
産霊の神を祀る神社はありますか
あります。高御産巣日神や神産巣日神を御祭神とする神社は各地にあり、造化三神をあわせて祀る社もあります。また、宮中の神殿には産霊の神々が祀られ続けています。
縁結びの神様と産霊は関係がありますか
直接の関係は薄いと考えるのが正確です。縁結びで知られる大国主神の信仰は、旧暦10月に神々が出雲へ集まって縁を定めるという伝承に由来します。産霊は生成のはたらきを指す語であり、由来としては別の系統です。ただし言葉としてのむすびが重なるため、あわせて語られることが増えています。

高御産巣日神と高木神は同じ神ですか
同じ神とされます。『古事記』の後半では高木神という名で登場する場面が多く、天孫降臨や神武東征の場面では、この名で指示を出しています。もともと別の神が同一視されたとする見方もありますが、記紀の記述では同一の神として扱われています。
天之御中主神は、なぜ登場しなくなるのですか
明確な理由は記されていません。中心に座す神として名だけが置かれ、物語には関わらないという性格だったと考えられます。後世、この神を根源の神として重んじる解釈が現れ、中世や近世の神道説で大きく扱われるようになりました。
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まとめ
産霊とは、ものが生じてくるはたらきそのものを指す言葉です。作るのではなく、生じる。この違いが、日本の神話の構造を決めています。
『古事記』の冒頭に現れる三柱のうち二柱が産霊の神であり、神祇官の八神殿に祀られた八柱のうち五柱が産霊の神でした。高御産巣日神は高木神の名で神話の指令役を担い、神産巣日神は失われた命を戻す神として登場します。
そして苔のむすまで、むすこ、むすめ、おむすびといった言葉のなかに、この語は生き続けています。作り手を立てず、生じる力そのものを神とした。その選択が、この国の信仰の形を決めたのだと思います。












